「#想像していなかった未来」「君、20年後、囲碁の先生になってるんだぜ」
※この文章は、株式会社マイナビさんとnoteさんで開催する「#想像していなかった未来」への応募作品として、ふと書いてみたものです。
こんにちは!
最近、地味にYouTubeを始めたIGOcompany-Uこと、宇佐美@毎日note継続中(439日目)です!!
(2ヶ月弱で150人も登録者が増えました、めちゃくちゃ嬉しいです。ありがとうございます!まだまだ小さいチャンネルですが、地味にコツコツ続けていけば結構見てもらえるようになるんじゃないかと思っております)
公益財団法人日本棋院での15年間の勤務を経て、文章を書いたり、「川崎囲碁普及会」「川崎囲碁サークル(宇佐美囲碁教室)」「新百合囲碁学園」などなど「囲碁」の普及活動をしていたりしています。
さて、
本日のnoteは、
「#想像していなかった未来」ってテーマなんですが、
そもそも高校生の僕は、20年後に自分が囲碁の先生になって生活をしているなんて1㎜も思ってなかったと思うので、そんなことをツラツラと書いてみようと思います。
折角書くんだし、何か有意義なメッセージでも込めたいなって考えまして、「スキ」を続けていくと未来へ繋がります、っていうのも、何か、ありふれているワケですが、それしか伝えられる事がないような気もします。
noteもコツコツ毎日書いたら、たくさんの人に読まれるようになりましたし。継続は力なりって書くと、結構陳腐ですけど。
例えば、学生の時にたいした実力がなくても、続けていけば、20年後くらいには誇れるものになってたりもするんですよ(まあ、学生の時って、その時点で圧倒的な「才能」が、ただただ欲しいモノなんですけどね。それもわかります)。
高校生の時の僕は、なんですかね、おそらく、小説家とか、絵描きさんにになれたらいいなぁ、なんて、漠然と考えていたような気がします。
まさか未来で囲碁の先生になって、どこからも給料をもらわずに生きているなんて想像もしていませんでした。
そもそも「囲碁」なんて全く知りませんでしたからね。
小さな頃から「囲碁のプロ棋士になるんだ!」って夢を持っていた人間ではないんですが、何故か、今、巡り巡って囲碁でご飯を食べてます。
理由としては、囲碁がめちゃくちゃ面白すぎて、離れられなかったって事になるんだと思います。いや、別に離れたいって思った事はないんですけど。
続けてきて、ホント、良かったなって思っています。
僕は、どこにでもいる地方(岩手)の学生でした。
ちょっと付け足すと、そこそこ成績の良い学生でした。
中学の時に、多分、300名くらい同級生がいたと思うんですが、その中の上位1割くらいには入っていたと思います。
そうすると高校は、だいたい県下で2~3番目くらいの進学校に進むのが定番なんですが、そこって自転車で小一時間くらいかかる距離にあるんですね。
それくらい通えよって思う方もいらっしゃると思うんですけど、さっきも書いた通り僕の故郷は雪国なんですよ。トンネルを通り抜けるまでもなく、全部雪国なんです。そんな遠いトコロに行きたいくないじゃないですか。
冬の自転車は危ないです。あと、寒いです。
僕は学級委員長とか、ソフトテニス部の部長とかもしてたりするくらいの真面目な中学生ではあったんですけど、今考えると(ワリとダラダラしている人間でして)そういうのが好きじゃなかったんだなぁと思います。
昔の変な感じの「責任感」は苦手でしたね。今はもちろん「責任感」を持って、仕事をしたり、生きてたりはしますけど。
そんな中、中学生の時に心の底からロックンロールにハマってしまいまして、3年生の時には、もう「自由」でいいんじゃないかと(グレたり、髪を染めたりしたワケでは決してないですよ、そもそも僕の中学全員坊主っていうクレイジーな学校でしたし)、近くの歩いて10分くらいの普通の高校に進学したんですが、
そのせいで教師から「宇佐美は志が低い」だの、最後の期末だけ(勉強しなくていいと思ったんで)40位くらいの成績を取ったら「怠けている、楽をしようと思っている、人間的に良くないだの」言われまして、ホント、教師っていう人間が嫌になりましたね。
今は多様性(?)の時代ですし、人の選択にとやかくいうような風潮はないと思いますが、この当時って結構酷かったんですよ。
いや、普段、わざわざ、こんな失礼なこと書かないんですけど、20年以上経った今でも思い出すと気分は良くないので、ついつい載せてしまいました。失礼しました。 絶対に忘れないからな。
まあ、そんなこんなで(知らない赤の他人の昔話ほどツマラナイものはないと思いますので出来るだけ端折りますが)、普通の中学生→高校生を経て、なんと僕は憧れの東京の大学へ(実際には神奈川なんですけど)進学することになったんです。
これ、凄いことなんですね。だって、普通の田舎の高校って、クラスの2割くらいしか大学へ進学しないんですから。
同じ市内に塾はありませんし、高校生3年生の夏に、そろそろ大学受験しようかな、そもそも大学ってドコがあるんだろう、って考えるのが田舎の常識です。遅すぎる。いや、ホント、大学っていうと、東大しか、知らないんじゃないかな。
最近は囲碁の先生をしていると、政治家の先生とか、企業の社長さんとか、こう、学閥的なものを保有している人言いますか、そういう方達と会ったりするんですが、その人たちの受験に対する認識も全然違うんですよね。
そういう選択肢がある人生っていうのは、結構ウラヤマシイナと思ったりもします。まあ、それはそれで、大変なんでしょうけど。
でも、それは、しょうがないですよね。地方ってそんなものです。持っている手札で勝負するしかないって、チャールズ・M・シュルツ(谷川俊太郎 訳)さんも書いてますし。
で、
僕は大学生になり、恋愛とかをしながら、普通に生きていくワケです。
この時点では、まだまだ「囲碁」は登場しません。
音楽と読書を愛するごく一般的な文系の大学生です。
TSUTAYAやタワレコ、HMV、ブックオフがあるって素晴らしいなと都会に感動しっぱなしの毎日でした。色んな本を片っ端から読み漁ったと思います。
原付通学だったので、雨が降ったら大学には行かないって決めてた部分以外は、真面目な大学生でした。
(雨の日以外は)授業にコツコツ出席してたんで、2年生までで取れる大学の単位は全て取得しました。フル単ってヤツです。その結果、3年生はゼミのみになるという、めちゃくちゃ暇な時期が到来するんです。
ここで折角時間があるんだし、何かやらないといけないなぁって思って、何故か、「ドイツ語」と「囲碁」を頑張るようになるんですね(僕の人生に囲碁が登場します)。
ドイツ語の方は、ベルリンにあるフンボルト大学へ留学したりもするんですがあまりモノにならず、結局、囲碁だけが僕の人生に残りました。
今風で言ったら、沼っていくワケです。
授業が終わると、遠藤さんていう社長さんが趣味で経営している碁会所に寄って、何故かご飯をご馳走になって帰るという毎日を週に7日間続けました。たまに、遠藤さんの会社で仕事もしたりしました。この時に出会った大人の人達との付き合いが、僕の人生の結構な糧になっていると思います。
こんなことを書くのは恥ずかしいんですが、
僕は、自分のことを(上には上がいるっていうのは十分知っているものの)そこそこ賢い人間だと思っていたんですが、
囲碁をやってみると、右も左もどころか、上も下もわからないみたいな状態になってしまいまして、こんなにも不可解で面白そうなものがこの世にあるのかと衝撃を受けたんですよね。
ちなみに、
このnoteを読んでくれている方は、このあたりで「囲碁の先生になるのね(その道へ進むのね)」って思うかもしれませんが、全然違うんですよ。
そんな甘いものじゃないんです。
何故かっていうと、囲碁って棋力ってものがありまして、そろばんとか、柔道の黒帯とか、まあ、そういうレベルを表すものなんですが、
最初は25級からスタートしまして、1級、1級の上は、初段、二段、三段、と続いていくワケです。今はネット碁があるので、アマチュアでも九段までの棋力を表記できますが、この頃は六段が最高峰って認識だったと思います。
僕は1年ちょっとで初段になったんですが、これって流石に先生が出来るレベルでは全然ないんですよ。
プロ棋士になるには、一般的には17歳までしか入る事のできない「院生」というものになりまして(入るだけでも六段は欲しい)、そこで院生手合い(リーグ戦)を勝ち抜いたものだけが数人プロになれるっていう仕組みです。プロ試験というものもあるんですが、これも23歳になると受験資格を失います(※今現在の制度)。
厳密に言えば、僕の頃は、29歳までプロ試験を受けられたと思うんですが、21歳で囲碁を始めたばかりの人間が思いつきで受験できるものではないのです。小学生が医師国家試験を受けようって思わないのと一緒(?)です。
正直に言えば、囲碁が面白すぎるので、出来れば毎日囲碁を打って、読書をして、音楽を聴いて、生活したいって思っていたワケですが、プロ棋士になれるはずもないし、そんな夢みたいな話は無理と一度はあきらめてるんですね。
この後、
大学を卒業して、就職をします。
そして、
1年後に退職します。
その半年後に、何故か囲碁教室の先生になります。
ホント、どうしようもない、音楽と読書が好きなだけの若者なんですが、そこから、出来れば文章で身を立てたいなとフリーランスのライターになり、Hanakoとか東京ウォーカーとかの雑誌の仕事とかを仕事なんかをしつつ、囲碁のアルバイトもするようになるんです。
そして、ぐにゃぐにゃぐにゃっとして、今は(文章の仕事の依頼もくるので受けてますが)ほぼ純度100%の囲碁の先生になりました。
気持的には、生き残りました(笑)。
門前の小僧習わぬ経を読むじゃないんですが、好きなことを続けていくと、実力はついてくるようです。好きなことって、面白いから続けるんですよね。今では、それなりに誇れる棋力となりました。
最初は、周りのレベルが高すぎて(囲碁って小学生の時に始めないとモノにならないみたいな認識があるんですよ)、外様大名みたいな(?)気分を味わうことが多かったです。
我ながら、頑張ったなぁと思います。
このntoeのテーマは「#想像していなかった未来」ってことなんですが、
ホント、「囲碁」と共に生きる未来になるとは思っていなかったです。
両親も、ビックリしてると思います。
囲碁の「い」の字もしらなかった若者が、「毎日囲碁を打って暮らしたい」って願うのは、今の大学生が「毎日ゲームをして生活したい」と言っているのとほぼ同じですからね(苦笑。
でも、何故か、そんな夢が叶ってしまいまして。。。
毎朝ゆっくり起きて、囲碁を打って、読書をして、音楽を聴いて、なんだったら映画も観る生活が出来ているので、おぉ、なんか幸せだなぁって思ったりもしています。
と言っても、
数年前には、コロナっていう大きな転機もありまして、一度はどん底にまで落ちて、今も深い傷跡が残ってたりもしてるんですが、なんて言いますか、今は好きなことで(何とかかんとか)生きていけてるので、贅沢だなぁって感じています。
お客さんあってのことですし、日々、感謝しながら生きております!!
あっ、そうそう、このnoteを読んでくれた方に伝えたいんですが、囲碁の棋力ってちゃんとしたスキルなんですよ。
自宅を利用して、ピアノを教えている人とかいるじゃないですか。そんな感じで、上手く伝えれば喜んでくれる人も沢山いるので、囲碁を楽しみながら、そのスキルも磨いてみて欲しいなって思います。
自分で言うのもなんですが、囲碁でご飯食べている人ってそんな多くはないと思うので、少しでも参考になる事を書いていこうかなと。
囲碁を仕事にしてみたいなって人が増えれば増える程、囲碁の世界も広がるんじゃないかなぁと考えてたりもしているので、出来るだけ情報発信をしていきたいと思います。
ではでは、
以上、
「#想像していなかった未来」「君、20年後、囲碁の先生になってるんだぜ」
でした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!
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