【まとめ】第一回「学び」について
日時:10月17日(水)16:00~17:30 場所:ラーニングコモンズ
参加人数:6名
議題:①日本の大学生はなぜ学ばないのか ②そもそも学びとは何か③私の学び宣言
①ここでの議論は次の2つに分類された。環境と価値観である。
環境については、「講義の方法が小中高的なものに終始してなんら変わらないため面白くない」、「出題者が求める正解を求める教育に面白みがない」、「小中高での個性を奪う環境」、「小中高を一般的に通過すれば、好きな学びを追及する時間がないため大学で時間が与えられてもいきなりそれができない」、「入学偏差値で評価され、在学中の研究などが評価されない就職市場」、「学費、生活費が足りないため可処分時間をアルバイトに奪われる」、「スマホの登場」などといった意見が参加者から述べられた。
価値観については、「大学=遊び場の浸透」、「普通が良く、変わり者がたたかれ、人と違った意見を封じることが学びの追求を狭めている」、「大企業、終身雇用、年功賃金が尊く、自らによってではなく自らの属するところによって自らが形成されるという昭和的価値観の踏襲」などといった意見が参加者から述べられた。
②ここでの議論は大方一つの方向にまとまった。それは、学びというものは欲望や喜びといった極めて生物的な感覚に近いということである。自分がしりたいと思ったことや、気になったことを追及する。そして、その結果わからないことがわかるようになったり、能力が身に付いたり、具体が抽象になったり、抽象が具体になったり、人間関係が広がったりするということだ。そして、これによって我々は大きな喜びが得られる。
③最後に議論のまとめとして、個々人にこれから自分はどう学んでいくのかを述べてもらった。そのなかでは、「大学生のうちに読みたい本がたくさんあるので読み切りたい。」といったことや、「いつからでも遅くはない。これからも自分の気になったことはいつになってもその場で追いかけたい。」といったことや、「0から1を作る。新しい概念をつくる。」といったそれぞれの個性のある学び宣言が為された。
主催者総括
今回の議論は、「学び」についてであった、まずは大学生という身近な視点から学びと大学生の乖離の現状を把握し、その原因を議論したのであるが、ここの議論では意見が分かれるところが多く、大学生の学びの阻害要因は其々の置かれている環境、周りの人々の価値観、自分の価値観に応じて、多くあるということが示唆された。その中でも共通功を得ることができたのが、「不寛容」ということだと考えられる。環境であり、価値観であり、出た意見の形は違えど、考えが固定的になるという「不寛容」なものが学びを阻害すると捉えることができたのである。
そして、「学びとは何か」という根本的な問いによって、今一度我々と乖離ていると考えられる「学び」とは何かを見つめなおし理解し直す機会を設けた。しかし、そこで分かったのはむしろ「学び」とは我々に近いものであるということである。「知りたい」、「気になる」と言った思いなのだということで合意が図られたのだ。そうしたときに「学び」を難しく、そのハードルを高くしているのは我々自身かもしれないということに気づかされたのであった。「知りたい」、「気になった」というところでもうすでに学びは始まっている。後は、それをいかにして追及し、喜びを得るかである。方法は後付けなのだ。その方法にこだわりすぎているのが上に上げられる私たちの価値観ではないか。そして、その方法の多様性を阻害する不寛容な環境や価値観が私たちの周りには存在するのではないかというように考えられるのである。
最後の学び宣言は個々人が「善き生」を実現するための学び方、学びに対しての思いを宣言してもらい、哲学を机上ではなくより実践的なことに落とし込むことをしてもらったのであった。目の前のこと、先の人生のこと個々人の様々な学びに大しての思いが見られたのだった。
今一度私たちは「学び」の原初状態に立ち返ることが必要である。そうしたうえで、学びに対して寛容な価値観、環境を構築していかなければならない。この寛容な価値観、環境というのは次回の「空気」についても繋がってくるだろう。
最後に、参加して、活発な議論を展開してくれた人々に感謝して総括を終わりたい。