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原理は覇権を行使する
2019年9月26日文化庁があいちトリエンナーレへの補助金を交付しないと発表した。https://www.huffingtonpost.jp/entry/aichi-triennale_jp_5d8c4af3e4b0019647a2fb1c 今も…
被告 シンデレラへの判決 主文「Joker:フォリ・ア・ドゥ」
シンデレラストーリー
2019年トッド・フィリップス監督作の映画「Joker」におけるアーサー・フレックのキャラクターは単純明快である。彼はシンデレラだ。はじめは完全な被害者として登場し理不尽な目にあい続ける。ある日ついに彼を暴行するサラリーマンたちを射殺し、その後自分の意志で復讐の殺人を行っていく。最後には究極の復讐として世界=ゴッサム・シティに対する暴動がおこり、アーサーはジョーカーとしてア
それいけぼくらのメアリー・スー! キャプテン・アメリカ!
マーベルのヒーロー、キャプテン・アメリカおよび映画「キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー(2011)」は現代アメリカのいち指標として非常に興味深い作品だ。もちろんこれはフィクションであり、ごく限定的な判断基準にしかならないことは強調しておく。しかし1941年から現在まで続く古株であり人気のあるキャラクターであることは否定できない。
以下ストーリーと結末を論じるので未視聴のかたは注意
戦略的「レプティリアン排外ヘイト」反対声明文
親愛なるなごやトリエンナーレ運営諸君。
私は貴兄らの超芸術と砂漠化思想を全面的に支持する。
それゆえにパートナーシップ事業である、10.13「種族主義による」排外ヘイトデモへの反対を表明する。
https://twitter.com/LU3nEwJJ4onbZeg/status/1180030642639097856?s=20
種族による排外主義はレプティリアンの親人類派を強硬派に転じさせ、反
原理は覇権を行使する
2019年9月26日文化庁があいちトリエンナーレへの補助金を交付しないと発表した。https://www.huffingtonpost.jp/entry/aichi-triennale_jp_5d8c4af3e4b0019647a2fb1c
今もSNS、マスコミを問わず議論が盛んに行われているが、国が公費を使い文化事業を経営する際、必ず論じられるのは以下の三点である。
①憲法二一条に則り表現の
アート・反アート・死・嗤うメフィストフェレス
やあ破産者諸君!元気にアートやっているのかな?
さっそくだがお伝えしよう。アートはすでに死んでいる!
いま君たちが腐心しているもの、それは趣味か商売にナルシシズムをぶちまけた別の何かだ。断じてアートではない。
どうも君たちは忘れっぽいらしいし、耳が遠いふりをしているので、何度でも言おう。
アートは死んでいるし、君たちのなめまわしているそれはアートではない。
死の泉芸術の死はマルセル・デュシャンの
表現の不自由展:「二項対立」しか 選べないひとたち
表現の不自由展によって二項対立と分断が顕在化した、とみな嘆いている。
私はこの反応の一様性に違和感がある。なぜ、美的センスに優れているはずのアーティストや芸術愛好家、および反対者は同じようなことしか言わないのか?
アートや表現活動が本当に創造的・触発的・挑発的・多様であるのならば、なぜ一様に「暴力によって表現の自由が侵されたのが悲しい」や「国民の税金を使って反日作品の展示は許されない」といったお
あいちトリエンナーレ、アーティスト・ラン・スペース「サナトリウム」無効論
ここで論じるアート無効論は「弱者排除社会」と「官製芸術展」の文脈より始める。
弱者排除社会と排除「アート」排除アートというものをご存じだろうか。都市の高架下や広いスペースにオブジェ、置石といったものを配置し、ホームレスの居住を防ぐものである。あるいはベンチを寝そべることのできないようデザインしたり、不自然な傾斜をつくるというものである。アートが弱者排除の偽装として利用されているという批判はあれど
美しき砂漠の原理 なごやトリエンナーレ
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」にて昭和天皇の肖像が燃やされた作品に対して批判が高まり、脅迫を受けたとして展示が中止された。芸術にせよ、憎悪表現にせよ、なぜ天皇陛下の肖像を燃やす作品が問題となり、展示を取りやめることになったのか。そこに一貫した原理があったのか考察したい。
そして、最後に芸術弾圧プロジェクト「なごやトリエンナーレ」について言及する。
まず、表現のために焼いてもよい写真を選ん
疎外の時代とアイデンティティー・人類廃絶論
現代は疎外の時代である。それは病の時代である。
人々を苛む病、「自らの人生に価値があるかどうかが分からない」の正体は何だろうか。
人間は秩序と真理、普遍性と無窮を求める精神と、個別的、具体的、一時的であることを先天的に定められた頭脳と肉体を持つというギャップがある。それが「疎外」「嘔吐」、あるいは「生の不全感」「虚無的な絶望感」の正体である。様々な理由で、あるものは怠惰から、あるいは道徳からか、