友情ごっこのiGEM出場・相棒との軌跡を振り返る~Feat. Paris→Venice→Rome~
iGEM Waseda-Tokyo 2024 Team Leader
Ryojun Hayashizaki
モチベーション
この記事では、将来のiGEMerに向けて為になることはほとんど(※)書きません。
「ほとんど」と書いたのは、僕のような友情起点のiGEMの出場動機を持ってもいいんだよ、という事を後世に伝えられたらな、と淡い期待があるからです。僕のようなiGEM出場のきっかけを持つことは、多くの人にとって財産になると思います。真にコンペとして大事なことは既に以下の記事で書いたので、読んでやってください。
『iGEM勝利の必要条件と、iGEMが求める価値観』
『Special Awardの極意~Waseda-Tokyo2024のNew Composite Partに着目して~』
ここでは僕がiGEM2024に出場することになってしまった「ある男」の存在と、彼とのiGEM2024旅行の思い出(France→Italy)をつらつらと書きながら、友情ベースのiGEM出場モチベーションの重要さを書きます。
あの時、飛行機の中で
ある男の存在が、私がiGEM2024に出場した理由のすべてである。
iGEM2022の帰路、Gold MedalとBest Foundational Advance Nomineeの獲得という戦果を胸に抱きながら、私は帰りの飛行機の中でiGEMを続けるか否かを思案していました。正直、もうこれで終わりにしてもいいのではないか。そんな気持ちがちらついていました。
その時、隣に座っていた山〇〇太が放った言葉は、私を奈落の底に突き落とすことになったのです。
狂気じみた提案だった。正直、もうやめてもいいと思っていた。別に(当時は)合成生物学で世界を変えるつもりは微塵もなかったし、普通の人生を送れればいいと考えていた。しかし、そんなことを言われたら、やるしかない。いや、やるべきなのか?その問いを考える間もなく、言葉が脳内で反響し、奇妙なリズムを刻み始めた。「壇上に登ろうよ」。その一言が、私を不可解な引力で引き寄せた。こいつと壇上に登る。それは実現可能な目標か、それとも一時の気の迷いか?
「友情ごっこ」とは何なのか。子供の約束のようでいて、その実態は謎に包まれている。それは決まりきった儀式のようなものかもしれない。しかし、抗えない魅力があったのかもしれない。やるしかない。壇上に登るしかない。「友情ごっこ」かもしれないが、「友情ごっこ」という自然現象に飲み込まれてやってもいいか、そう思った帰りの飛行機だった。
山〇〇太という男について
初めて彼を目撃したのは、私が大学1年生の頃だった。附属高校の同期でありながら、互いの存在を知らないまま進学した我々。普通であればそのまま接点なく、私は平穏無事な大学生活を満喫していたはずだ。しかし、そうはならなかった。私の大学生活は、彼の登場によってiGEM2024への奇妙な冒険へと変わっていったのである。
我々が初めて邂逅したのは、「iGEM-Waseda」という奇妙なサークルにおいてである。前に彼に初めて会った時のことを覚えているか、と尋ねたことがある。それに対して彼は、
と言ったのである。不快だったのを覚えている。私は「陽キャ」という言葉が嫌いだ。私からすれば、個性を持って面白い人間は全員「陽キャ」である。超絶きゅるきゅる美人でも、さわやかイケメンでも、派手な格好をしていても、面白いことを言えても、個性が無ければどうしようもない。その点で言えば、iGEMの面白さに気づけて本気になれている人は全員、「陽キャ」である。
それで言えば、私より彼の方が輝かしい「陽キャ」であった。彼は情報理工学科に所属しており、生物の知識など皆無であるにもかかわらず、「どうすればiGEMに貢献できるか」を真剣に考え、行動を起こす姿は、個性の塊であったし、「陽キャ」であったと思う。
iGEMへの思い
冷静に考えれば、iGEMに必要な時間や労力に対して得られる教育的価値は、極めて限定的だと言わざるを得ない。もちろん、それを求める価値観や教育的成果を軽視するつもりは毛頭ない。それについては、私が真面目に書いた記事「iGEM勝利の必要条件と、iGEMが求める価値観」を読んでいただければわかるだろう。
だが、少なくとも私にとって、2024年のiGEMに挑戦する理由は教育的価値などではなかった。冒頭で話した通りすべては、あの山〇〇太という男とともに壇上に立つという純粋な願望のためだった。
iGEM 2024 Jamboree
「友情ごっこ」に乗ることにした私は、iGEM2022終了後、まず初めに、実験環境の確保にとりかかっ゚ + .゚.゚ 。+ ゚ ..゚.゚ 。 。 。゚ + .゚.゚ 。+ ゚ ..゚.゚ 。
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※ごめんなさい、書くのがめんどくさくなってしまいました。この間にあった数多のイベント・アクシデントは僕を飲みに誘って聞いてください。
往路
旅程は以下のようであった。今回、全ての旅程はあいにく、山○○太と全て一緒になった。
往路のトランジットのハノイでは、フォーとカフェをたしなんだ。フォー、本当においしかったです。一方で、カフェでは「キャラメルラテ」っぽい何かを指さし「これ何?」と聞くも「違う、これ飲め」と全く違う商品を強制購入させられた。海外遠征の始まりを感じた瞬間であった。
New Composite Partの昨年度優勝者のJudging Session動画をローカルに落とし、次の便でParisを目指した。山○○太はフォーで腹を満たし、機内食以外の時間を全て爆睡する一方で、僕にとってはローカルに保存した動画のお陰で有意義なフライトにすることができました。
Parisのおすすめ
無事パリに着いた僕と山○○太の初日のディナーはフランス料理でした。そこらへんのUT〇ky〇のリーダーとは違って、僕はフランス料理の味が分かります。ボンジュール。
下の画像は、今回の旅で3回くらい食べた鴨のコンフィです。写真のは、特にその中でも一番おいしかった店。柔らかく旨味が詰まってて、ソースとの相性が抜群でした。少し味が濃い目に作られているので、おそらくバゲットへの食指を促進させる意味があるのでしょう。
また、Parisを感じる場所として、お勧めしたいのが、早朝パン屋です。コンビニくらいの感覚で点在していて、朝6時くらいから焼きたてのパンを売っています。何といっても種類が豊富で、本当においしい。日本でもなかなか食べられないくらいパン、おいしいです(語彙力)。早起きしてこのパンを頬張る事が、きっとパリジャン/パリジェンヌのたまったストレスを解消する手段なのでしょう。早朝パン屋、パリにいる間は毎日キメていましたが、飽きませんでした。
そして、Jamboree初日、僕らは+ .゚.゚ 。+ ゚ ..゚.゚ 。 。 。゚ + .゚.゚ 。+ ゚ ..゚.゚ 。
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獲得する事ができました。「友情ごっこ」の末、それをまるで少年漫画みたいな形で有終の美を山○○太と飾れたのは本当にうれしかった。ありがとう、山○○太。僕がiGEM2024に出るキッカケをくれて、本当に、本当に、ありがとう。自分についてきてくれた皆も、チームを壇上に押し上げてくれて、本当にありがとう。
表彰式の後、みんなでトロフィーを抱えたまま、セーヌ川クルーズに行きました。Japan United2023がやっていたのを真似て、エッフェル塔バックにトロフィーの写真を撮りました。激エモです。
表彰式の夜、Louvreの近くにあるラーメン屋の味を、僕は一生忘れないと思います。ラーメン食いたい後輩たちを集め、「Kodawari」という友達におすすめされたラーメン屋に行きました。おそらく漁業市場を模した店内で、店員さんが「いらっしゃいませ~」と挨拶してくれて、日本人が見てもオモローな感じです。本格的な魚介系濃厚ラーメンをすすれました。大変美味しくすすれました。日本でも出せるくらいのクオリティで、めっちゃうまかったです。
とにかく、ラーメンとビールを摂取している間、感情の波が追いつかなかったのを覚えています。ただただ、ラーメンビールセットが泣けるほど旨かった。それだけは鮮明です。いつかまたパリに行ってこれを食べても、同じ味には絶対ならない。そんな確信が、不思議と胸にあります。
Venice
翌日、僕と山○○太はメンバーと離れ、イタリア・ベネチアに向かいました。ベネチア初日、山○○太は「バイトがある」とか抜かして宿に引きこもり、僕に構ってくれなかったので、宿のあったベネチア本島の隣にあるリド島の散歩を一人でしました。
霞がかかった水平線をずーっと眺めていました。それは、死後の世界のような場所で、今、ここでなら死んでもいいかな、と思うくらいの風景でした。ベネチア本島は観光客であふれかえっていますが、隣のリド島は、地元の人しかおらず、のびのびした世界が広がっています。リド島は、ベネチア本島から水上バスで10分ほど。ベネチアに観光に行って人混みにつかれてしまったり、時間が余ったら是非寄ってほしい、隠れた名所です。
夜、宿でパソコンにしがみつく山○○太をなんとか引きはがし、水上バスで夜のベネチアへ向かった。イカ墨パスタの名店で、4時間あまり、ひたすら語りつくした。ベネチアの名物であるイカ墨パスタは、サ○ゼのそれよりもより漆黒で、味は濃厚で、深みがありました(食レポうまくなりたい)。
ワインもイタリアのリキュールもおいしくて、魚介のグリルも食べ応え十分だった。ただ、名物とはいえ、イカ墨パスタをカッコよく食べるのは不可能だと悟りました。無念。
その翌日は、ベネチア本島の歴史的な建造物を巡りました。サンマルコ広場にそびえる塔から見た水の都の景色は、ここでしか見られない格別の景色でした。
危うく、スタンド能力に目覚めて、イタリアンマフィアに入団してボスの娘を護衛しながら、ギャングスタ―を目指すところでした。イタリア旅行に行く際は、是非、『ジョジョの奇妙な冒険』の第5部を見て聖地巡礼を兼ねることを強くお勧めします。
ベネチアでは、水上ゴンドラが有名です。1隻あたりの金額になるので2人組だと割高で断念しましたが、水上バスから見える景色も十分、ゴンドラに引けを取らないと思います。夕日を背に、観光客を乗せたゴンドラを水上バスの船尾から眺める時間は格別で、まさに、致死量のベネチアでした。
最終日、相変わらずバイトが忙しい山○○太は移動時間になっても一生パソコンとお友達でした。意味が分かりません。僕が彼のスーツケースを持ち彼をカフェへと誘導していました。パソコンを今このベネチアの海底に落としてやったらどうなるだろうな、そんなことをずっと考えていました。
Rome(地獄)
ここからが地獄の始まりでした。ベネチア最終日の午前11時26分、新幹線でローマへ移動する予定の我々は、計画性の無さゆえにベネチア本島をスーツケースを引きずりながら爆走する羽目に陥いりました。
朝、イタリア人になりきってカフェでコーヒーを優雅に楽しんでいたのですが、気づけば新幹線の30分前。絶望的な状況で、僕は山○○太のスーツケースまで抱えながら走り、細い道とガタガタのレンガ道を突破し、Google Mapの予想を10分上回る奇跡的な到着を決めました。理論値を超える「体育会系精神」の真髄が発揮できたと思っています。
余裕ができた我々はベネチア駅でジェラートを購入し、新幹線の中で時間を間に合わせた自分たちにご褒美をあげることにしました。
しかし、ジェラートで味わった勝利感は一瞬でした。新幹線の車中で突如私を襲う吐き気とめまいがあったのです。日本の新幹線を基準にして考えると、イタリアの新幹線は大分揺れます。ベネチア市街を爆走した疲れもあってか、吐き気が止まらなくなりました。
ローマに新幹線が到着して降車しても、その酔いは収まらずこの後、帰国までの3日間ほどを吐き気と下痢のオールパレードで生きていました。観光も、あまり記憶がありません。山○○太が薬を買ってくれた優しさだけが一番身に沁みました。ありがとう山○○太。
枯れていたトレビの泉
さらに、何よりも悲しかったのは、ほとんどの著名なキリスト教関連の観光地が工事中だったことです。翌年の2025は「聖年」らしく、世界中からローマに信心深い教徒が集まるのを見越し、様々な箇所で修繕工事等を行っている様でした。トレビの泉も下の画像のように枯れており、その周りに観光客が大勢押し寄せていて、いったい何をみんな見に来ているのか謎な空間が展開されていました。トレビの泉はかなりの額、泉にコインが投入されており、市の財源になっている様でしたが、それを賄う為にバスタブのようなものが置かれ、そこに申し訳程度の水が入った場所がありました。そこにコイントスしている人もいるといった有様でした。思てたんと違う。。。林﨑の体調は悪化しました。
ローマの唯一よかったところは結局ごはんがおいしいところでした。下の写真はモッツアレラ食べ比べみたいなお店()です。モッツァレラチーズ、ローマではその日に作ったものはその日のうちに消費仕切るようで、日本ではどうあがいても本物は食べれないことを知りました。燻製のモッツアレラはセッタの味しかしませんでしたが、他は全て濃厚でおいしかったです。少しばかり体調が回復してきました。
帰国
帰りは、ローマ発北京経由の便で帰国しました。某UT〇KY〇のリーダーの方が「今回の旅で一番おいしかった」とXでつぶやいていた麻婆豆腐を食べました。うん。確かにうまい。体調はほぼ完全に回復しました。ありがとう、たかはしくん。
あとがき:iGEMと「友情ごっこ」
人生とは、時に思いもよらない方向に私たちを連れ去るものです。私にとってiGEM2024は、まさにそんな奇妙な冒険でした。壇上に登ること、それだけが目標である一方で、実際の原動力はもっとシンプルなものでした。それは、隣に座る男、山〇〇太とただ壇上に立ちたいという願いでした。
彼との友情は、冷静に考えれば「友情ごっこ」と呼べるかもしれません。でも、その「ごっこ」が、私を突き動かす燃料となり、全力を尽くす理由になりました。「壇上に登ろうよ」と彼が言ったその瞬間から、iGEMはただの科学大会ではなく、私の人生の重要な部分を構成する特別章へと変わりました。
iGEMの挑戦を終え、トロフィーを手にしたその夜、パリのラーメン屋で感じた不思議な幸福感は、一生忘れられないと思います。そのラーメンは、科学の結果でもなく、研究の延長線上にあるものでもなく、ただ純粋に友情と達成感が生んだ一皿でした。
この旅路で学んだのは、科学と友情が絡み合った時の力強さです。科学は理論や実験で未来を切り開く道具ですが、それを動かすエネルギーは人との繋がりや夢、そして時にはくだらない「ごっこ遊び」なのかもしれません。
iGEM2024で得たものは、トロフィーや称賛だけではありませんでした。山〇〇太と語り明かしたベネチアの夜、吐き気の止まらない新幹線、枯れたトレビの泉を前に感じた妙な虚無感、そしてセッタ味のモッツァレラを味わったローマの静かな時間。すべてが私にとってかけがえのない宝物です。
この記事を読んでくれた皆さん、そして私の奇妙な冒険に付き合ってくれた全ての仲間たちに、心からの感謝を。そして、これからiGEMを目指すすべての人へ。「友情ごっこ」でもいいから、全力でやってみてください。その先には、個人個人に対して、良いとも悪いとも断言できない、思わぬ発見が待っています。
Ryojun Hayashizaki
Waseda-Tokyo2024 Team Leader