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「偏差値26」だった子どもが「二月の勝者」になるまで 〜2024年中学受験体験記「ゆる受験」など都市伝説〜


◾️はじめに


こんにちは。普段は本を書いたり、ネットメディアで記者をしたりしている猪谷千香といいます。都内で絶賛子育て中です。我が家は苛烈な中学受験を避けようと、小学校受験をしました。無事に高校までエスカレーター式でいける学校に合格し、安心しきってました。

しかし、子どもは親の想像のはるか上を超えていく生き物です。

2022年春、小学5年生になった子どもが突然、「中学受験をしたい」と言い出したことから、我が家の行き当たりばったりな中学受験が始まりました。

中学受験に立ち向かう親子のドラマを描いた名作漫画「二月の勝者」を愛読していた私ですが、まさか自分が受験生の親になるとは本当に予想外でした。

「え?あれをやるの?私が?本当に?無理無理無理無理…」

最初から腰が引けていました。ご存知の通り、通常の中学受験は少なくとも3年生の終わりから始まるのがセオリーです。

何周も遅れていた我が家は、親子共々「御三家を目指そう!」とかそんな志は持ちようがなく、とにかく「ボリュームゾーンの学校に適当に受かってくれればいい」くらいの気持ちでした。

当時、「塾通いは1年だけの"ゆる受験"でもOK」という記事が話題になっていました。1〜2年間だけ受験勉強に取り組んで、偏差値50程度の学校の合格を目指すというものです。記事の中には実際の校名も挙げられており、その一つが私の出身校である「共立女子」だったことから、どぎまぎしながら読みました。

「共立女子、跡見学園は20年ほど前まで、女子校トップの桜蔭の併願先として人気でした。共学校の躍進もあり、このところ偏差値は低迷傾向ですが、教育力が下がったわけではありません。共立女子は内部進学の権利をキープしつつ、難関大を目指すという子が昔から多いため、進学指導の力には定評があります」(記事から抜粋)

(プレジデントオンライン2021年9月26日付)

(確かに、私が受験したウン十年前はそんな感じでした。「桜蔭に追いつけ!」という雰囲気が学校にあった気がします。今から考えれば、この記事は中学受験が年々激化、塾通いも低年齢化していますから、子どもへのプレッシャーや親の経済的負担が増していることへの反発だったのかもしれません)

とはいえ、「1年の受験勉強で本当に受かるの?」という期待も抱きました。そう、「ゆる受験、できるのでは?」と考えた時期が、私にもありました。実際に5年生の夏休みから中学受験勉強を始めて、2024年2月1日まで子どもに伴走した今なら言えます。

そんなものはない(断言)。

一見、穏やかな海でも水面下では激しい生存競争が待っていました。偏差値50前後であっても、全力で泳がなければ、溺れてしまうのが中学受験の海でした。

この文章は、そんな我が家の「戦記」です。こんな親子でも中学受験を勝ち抜けたんだと、笑って読んでいただけたらと思って、記録代わりに書き溜めていたものをまとめて公開することにしました。

これから受験本番を迎える2025年組の皆様には激動の日々の息抜きに。2026年組以降の皆様には今後のイメトレに。2024年組から上の皆様、懐かしい思い出をご一緒に。

以下、お読みになる前の注意です。これらをご了承いただいた上で、お進みくださいね(念の為、書いておきますが、この文章は子どもにも読んでもらっています。本人の許可は出ています)。

【こんなことが書いてあります】


・突然、5年生になってから中学受験をしたいと言い出した子どもが、いきなり算数で「偏差値26」を叩き出し、天王山と言われる6年生の夏休みを過ぎても成績が低迷していたものの、なんとか10月頃から本気を出して、かろうじて合格できるまでの足跡と、それに伴走してボロボロになった親の財布と情緒。ここまで雑な展開は、今時のなろう系でもそうないだろうと自負しています。

・偏差値40台〜50台の東京都内の私立中学の話が中心です。特に城南地域の学校が多いので、地域が異なる方はご注意ください。ただ、1月に受験した地方の私立中学の話も出てきます。受験しなかったけど、どうしても推したい学校のことも書いてます(ここに実名を挙げた学校には、がんばって目指していたり、実際に通っていらっしゃるお子さんたちがいます。どうか、どうか、ご感想はお手柔らかにお願いします)。

・どうやって志望校を見つけたか。女子が受験できるボリュゾの学校は数多く、志望校選びは本当に難しかったです。学校説明会への参加はもちろん、受験情報雑誌や塾のサイトには出ていない情報を求め、在校生の保護者の方にツテをたどってお話を聞いたり、教員の待遇はどうなっているのか、学校の労働問題を調べたりしました。SNSも活用して情報収集は怠りませんでした。

・どうやって受験日の志望校の打線を組んだか。かつてない大博打でした。何度も志望校のカードを組み替えて、塾の先生に相談もしましたし、最後まで悩みました。しかし、最終的に受験するのは子ども本人ですし、合格後に通うのも子ども本人なので、子どもと何度も話し合い、できるだけ希望に添えるようにしました。

・受験日直前に準備したこと、受験日当日に実行したこと。受験生はいわばF1レーサーみたいなもので、サーキットを爆走してほかの受験生と競っています。受験日になればもう親は手出しができません。親はピットでいかに適切に燃料補給して、タイヤ交換して、サーキットに送り出すかが問われます。我が家の場合は何をどうしたか、ご参考までに書いてみました。

【残念ですがこんなことは書いてありません】


・偏差値を上げる方法。すみません。何度もGoogleで検索したり、ChatGPTにも相談してみましたが、最後までわからなかった…。

・我が子に合った塾選び。すみません。塾は家からの近さだけで決めました。もっと子どもに合った塾があったような気もしますが、これも最後までわかりませんでした。

・勉強しない子どものやる気が出る魔法の言葉。すみません。とりあえず、途中から親の方が音を上げて、「もう受験やめてもいいよ?もう十分がんばったよ」くらいしか声をかけてませんでした…。私は友人も少なく、中学受験も大学受験も勝ち組だったオットは生存バイアスがかかりまくりで頼りにならないので、仕方なく夜中にChatGPT相手に相談してました。AIは受験生の母に優しかった…。

こんな感じでよろしければ、どうぞ。なお、申し訳ありませんが、最後の方は有料とさせていただきました。さすがにネットで我が家の騒動を全公開するのが恥ずかしいという、謎の羞恥心です。お許しください。お好きな方だけ、お好きなだけ、お願いします。

(目次で興味ないパートがあったら、飛ばして読んでくださいね)

記者仲間が送ってくれたごうかく行き切符

【1】 2月1日、母はガラスの仮面をつける


2024年2月1日早朝。よく晴れた冬の空とは裏腹な重々しい1日が始まりました。ついに、中学受験の「本番」がきてしまいました。

「泣いても笑っても」とよく言いますが、泣きたい気持ちと笑いたい気持ちがないまぜとなりつつ、情緒はずっとジェットコースターみたいに猛スピードでアップダウンを繰り返しています。

それでも、子どもの前では普段と変わらない顔をしなければなりません。2月1日、多くの保護者様は皆、北島マヤになるのではないでしょうか。私も必死に「平静な母親」の仮面をつけ続けました。親の緊張が、子どもに伝染するのだけは避けたかったのです。

緊張しないための対策として、とにかく、2月1日の朝は特別なことをしない。

そう決めて、朝ごはんも普段と変わらないメニューで出しましたが、さすがに子どもも食欲がないようだったので、移動中に食べられるよう、一口サイズのおむすびを作り、ラップにくるんで持ちました。

前の日に子どもと一緒に持ち物のチェックをしていましたが、家を出る直前、最後のチェックを重ねました。

クリアファイルに入れた受験票、ばらけないようにヘアゴムでまとめた鉛筆、消しゴム2個、SEIKOの腕時計2本(我が家は数字の文字盤にしました)、パスモ、ハンカチ、ティッシュ、マスク、ホッカイロ、机がガタついた時に挟むダンボールの切れ端。

それから、集中力が高まるという「大粒ラムネ」や、のどが乾燥した時に舐める飴「たたかうマヌカハニー」、猫舌の子どもがやけどしない程度の温かさのほうじ茶が入った水筒、お正月に世田谷区の松陰神社で頂いてきた合格祈願のお守りも。

思いつく限りのものを背負い慣れた「N」が描かれた日能研のリュックに詰めて、親子で午前中に受験する第一希望の学校に向かいました。

インフルエンザや新型コロナなどの感染症が猛威をふるい、ともすれば雨や雪で交通機関に遅れが出る季節。学校まで子どもを無事に送り届けるのが、2月1日にできる親としての最後の仕事です。

学校に到着して、続々と校内に入っていく子どもたち。その背中を見守る親たち。ライバルではありますが、「よくぞお互い、ここまで無事に試験会場に到着できましたね!」と心の中でエールを送っていました。

子どもが試験会場に入っていくのを見届けた後、オットと私は近くのカフェに入り、一息つきました。入試が終わるまでの、いわゆる待機時間。ここまできたら、親ができるのは祈ることしかありません。

店内の壁掛け時計に何度も視線をやりながら、「今、算数が始まったくらいかな。最後まで苦手だった図形問題、簡単だといいね」「国語は漢字でミスがないといいね。ちゃんと丁寧に書けてるかな」などと、オットに落ち着きなく話しかけます。「平静な母親」の仮面はとっくに壊れてしまいました。月影先生、ごめんなさい。

カフェラテを飲んでも、朝ごはん代わりのドーナツをかじっても、味はまったくしません。1分1秒がとてつもなく長く感じられ、店内の壁掛け時計の針が止まっているかのよう。しまいには、あの時計は壊れているんじゃないかと疑ってしまいました。

頭は重苦しい一方で、足元はフワフワして落ち着かず、なんとも形容し難い時間が過ぎていきましたが、唯一実感できたのが、「もうこれであの辛かった日々は終わるんだ」ということでした。

塾の送迎、お弁当づくり、宿題チェック、問題集の復習、模試の申し込み、過去問の振り返り、学校説明会、入試説明会、願書提出、スケジュール管理、健康管理。中学受験のためだけにあった怒涛の日々。それらの一切が突然、2月1日に終わるのです。

待機時間中、仕事でもしようかと持参していたPCを開き、通っていた日能研のサイトにアクセスして、これまで受けた公開模試の結果を見始めました。自分でもその時、何を考えていたのかよくわかりません。中学受験の最後に、子どもが戦ってきた記録を見返してみよう。そんな思いつきだった気がします。

初めて受けた公開模試は、小学5年の9月。算数は150点満点中、たった「5点」。偏差値は「26」でした。

「ビリギャルか!」

思わず、リアルに声が出ていました。その後、ビリギャルでさえ(失礼)偏差値30だったことを知りました。うちの子、ビリギャルにも及んでいませんでした。ビリギャルの方、ごめんなさい。

この模試のことはよく覚えてます。これまでの人生で見たことのない結果に、「偏差値って、20台もあるんだ…」と、しょうもない感想しか思いつきませんでした。もうどこから手をつけていいのかわからない。初めの一歩から迷子でした。

【2】 中学受験を回避したくて小学校受験したのに…


まず、我が家がなぜ中学受験を始めたのかを、少しさかのぼって説明します。小学校受験の話ですので、ご興味なければ次の章に飛んでください。
きっかけは、「中学受験をしたい」という子どもの一言でした。当時、子どもは小学校受験を経て、台湾系インターナショナルスクールの5年生。我が家が小学校受験をした理由は、大きく二つあります。

一つは、完全に夫婦間のすれ違いからでした。オットは東京学芸大学附属世田谷中学校の卒業生です。まだ子どもが保育園の年中さんだった時、オットがぽつりと言ったのです。

「僕の中学校、小学校もあって受験できるらしいよ」

オットはいつも脳内で自分の考えをまとめてしまう自己完結型で、アウトプットはとても少ないタイプです。そのアウトプットされた少ない情報から、私が彼の意図を推察するというのが、私たちのいつものコミュニケーションでした。

オットの言葉を聞いて、「そうか、オットは子どもに自分の母校の小学校を受験してほしいのだな」と早とちりをしていました。同時に、子どもの保育園でも、仲の良いお友達が小学校受験のためにお教室に通い始めたりしてまして、なんとなく小学校受験へと意識が向いていきました。

もう一つ大きな理由は、できれば中学受験を回避したかったからです。

子どもが保育園に通っていた頃、すでに中学受験は過熱する一方でした。

中学受験は3年生の終わりからというのがセオリーと言いましたが、近年では低年齢化しており、低学年からSAPIXに入れないと、「席」が確保できないとも言われています。実際、子どものお友達のお兄ちゃんやお姉ちゃんたちが、3年終わりからSAPIXに入ろうとしても満員で入れず、空席のある遠い教室を案内されたと聞いたことがあります。

そうした中学受験の低年齢化についてオットと話したLINEが残っていたので載せてみます。

オットと私の会話。いつもこんな感じです

学部1年からD論の準備?

過酷過ぎない?

また、近所にはSAPIXや日能研といった中学受験の大手がひしめいていました。夜8時や9時ごろ通りかかると、塾帰りの子どもたちを待つ親御さんたちを毎日のように見かけました。お弁当のバッグを持っている子もいました。親御さんたちが持たせてるんですよね。共働きの親御さんもいらっしゃるでしょうに。

そこまでサポートするなんて、私には金銭的にも精神的にも無理では…。

親御さんたちの献身的な姿をみて、そう思っていました。恐れをなした私は、なんとか中学受験を回避しようと考えて、小学校受験という可能性の検討を始めました。

私は中学受験の経験者です。都内の私立女子校を中学受験し、中学から高校まで6年間を楽しく過ごしました。今でも付き合いのある友人との出会いや思い出、小さい時から体が弱く体力のなかった私でも、そこそこの学力をつけさせてくれたのが、母校でした。なので、中学受験に決して否定的ではありません。

しかし、私の頃とはだいぶ様相が異なるらしいことを知るにつれ、なんとか回避したいと思い始めました。

そこで、オットと塾代や学費のシミュレーションをしてみました。

「多少の費用はかかるが、中学受験ほどはかからない小学校受験を保育園のお友達とのんびりやりながら、学費のかかる私立小学校に通わせ、中高まで受験せずに進学させる(もしも不合格でも、普通に公立小学校に行かせればよいので、合否があんまり気にならないというオプション付き)」

「公立小学校に通わせ、一説には塾代だけで300万円とも言われる苛烈な中学受験をして、私立中高に通わせる(もしも不合格だったら、大事な青春時代を本人にとって不本意な学校で過ごすことなるかもしれないというリスク付き)」

結論からいうと、私立小学校の学費を抑えることができれば、「どっちもどっち」という感じでした(あくまで親の事情から見ての話です)。私立小学校といえば、専業主婦家庭が多いイメージでしたが、当時すでに共働き家庭の受験も増えつつあり、校内に学童を設置する学校も増えてきていたのも、我が家にとっては追い風になりました。

「であれば、小学校受験してみてもいいのでは?」ということで、結局、子どもは年中の頃から、国立小学校受験のためのお教室(私立小学校受験よりかなり安めでした)に通い始めました。恵比寿にある「こぐま会」です。

当時から人気のあった神山眞先生(「国立小学校合格バイブル」という本も出されています)のクラスに運良く入れ、子どもは楽しく通うことができたのではと思います。「こぐま会」や別のお教室の私立小学校向けコース(何度も言いますが、レギュラーのお教室ではなかったせいか、割と安かったです)も受講し、約1年間の準備を経て3校を受験しました。

そのうち、私立大学附属小学校と華僑のお子さんたちが通う台湾系インターに合格しました。合格した2校、どちらに入学するか悩んだ結果、三国志大好きなオットの「中国語を学びたい」という不純な動機から、台湾系インターに進学しました。通常の私立小学校より、学費が安いのも魅力的でした。

なお、残念ながら、学芸大附属世田谷には合格できませんでした。余談ですが、国立小学校の試験は11月末で、2校に受かってから1カ月程度経っており、親子ともどもモチベーションが継続できなかったのも、大きな敗因だったと思います。

特にオットと子どもはもうやる気を失っていました。学芸大附属世田谷の入試当日、紺色のワンピースに身を包んだお母様方が鬼気迫る表情で座している教室で、オットだけはよく言えばリラックス、悪く言えば緊張感なく、学校から配布されたプリントに中国語を書いたり、謎の絵を描いたりしていました。

実物がこれです。

オットが試験中に描いていたモノ

やる気ねええええ!

旧字体漢字はまだしもタコとかキノコとか星は一体、なんなのか。いまだにオットの考えることは理解不能です。

翌年春、子どもが入学した台湾系インターは高校まであり、「これでもう中学受験はしなくていいんだ!」とほっとした覚えがあります。

我が家は何代さかのぼっても日本人という家庭でしたが、子どもは入学が決まった直後から学校で中国語を習い始め、小学校でもお友達がたくさんできて、高学年になった時には、すっかり台湾の文化と中国語に慣れていました。

ところが…。

ご存知の通り、華僑の方々は世界をまたにかけてビジネスをしています。子どもの仲良しのお友達も、パパの出身国であるマレーシアに引っ越したり、ママの仕事でロンドンに引っ越したりと、どんどんワールドワイドに転校していってしまいました。確かに華僑の子女のための学校とはわかっていましたが、これは私たちの認識が甘過ぎました。

また、教育熱心な親御さんも多く、当時、鳴物入りで開校したばかりだった寄宿制のインター「ハロウインターナショナルスクール安比ジャパン」に転校していくお友達も数人いました(我が家もハロウのサイトを見てみましたが、学費が年間900万円と知り、PCをそっ閉じしました)。

気づけば、子どもが仲良しだったお友達の多くが転校していってしまいました。もともと1学年に40人ほどしかない小さな学校です(高校に上がるまでにもっと減ります)。子どもが学校に通うモチベーションが目に見えて下がり、学校での小さなトラブルも増えていきました。

同時に、自分も海外に行ったお友達のように、広い世界に行ってみたい、別の中学校に通って新しいお友達をつくっていずれは留学してみたい、という希望が子どもに芽生えてきたようでした。

親としてはせっかく中学受験を回避するために入った学校なのだからと、最後まで粘ってみましたが、子どもの意思は堅く、学校の先生や子どもと何度も相談して、中学受験をすることになりました。

「公立中学校に進学すれば良いのでは?」という選択肢もあったと思います。ただ、オットも私も「自分が公立中学に行きたくなかった」「親が公立中学校に行かせたがらなかった」という理由で、中学受験をしていたため、その選択肢には後ろ向きでした。

私たちが暮らす東京都の高校入試は、内申点が3割程度と比較的大きな割合を占めるそうです。子どもの性格は、そうした入試制度に不向きだとも思いました。

先ほども言いましたが、オットも私も中学受験をして中高一貫校に進学したという選択肢は、間違いではなかったと思っています。そのため、中学受験をしたいという子どもの背中を押すことにしました。

余談ですが、中学受験に取り組む以前から、中学受験の特集をしたビジネス誌やムック本、関連書籍はもちろん購入していました。子どもと同世代の子達がどのような教育を受けているのか、最新情報を知りたかったからです。

また、中学受験前から愛読していたのが、漫画「二月の勝者」とその作者である高瀬志帆さんが描かれた漫画「中学受験をしようかなと思ったら読むマンガ」です。


特に「二月の勝者」は新刊が出る度に購入して泣いていたので、子どもも気になったらしく、私の本棚から取り出して読んでいました。

子どもの中で中学受験のイメージは、「二月の勝者」で養われたといっても過言ではありません。2021年秋のドラマも子どもと一緒に見ていました。

子どもが中学受験することになり、まさかの当事者になってからも、親子で何度も読み返し、「二月の勝者」に登場する受験生やその保護者たちに勇気づけられました(我々が応援していたのは、まるみちゃんです)。

自ら大好きな漫画断ちをしていた子どもですが、「二月の勝者」だけは読み続けていました。最後まで、併走してもらった気分です。

【3】 伝説を超えるレジェンド、算数「0点」


さて、中学受験への道をふらふらとおぼつかない足取りで歩き始めた我が家です。

当時通っていた台湾系インターは、先生方がとても勉強熱心で、毎日大量の中国語の宿題が出されていました。宿題に加えて毎週、中国語と算数のテストがあり、基準点まで届かない子は、土曜日も登校して補講を受けなければなりませんでした。

このまま在校しながら、中学受験をすべきか悩みましたが、学校の勉強と受験勉強の両立は難しいと考え、思い切って5年の1学期に退学し、2学期からは地元の区立小学校に通うことになりました。

学校の手続きを終えるとともにやらなければならなかったのが、塾選びです。

SAPIXは上位校を狙うイメージが強すぎたため、家から最寄りで通いやすく、どんな偏差値でも幅広く対応してくれそうだった日能研に入ろうと考えました(そもそも、大人気と聞いた最寄りのSAPIXの教室が、5年生の後半から受け入れてくれるとは思えなかったので、問い合わせすらしてません)。

知らなかったのですが、塾に入るのにも入塾テストがあるんですね!

どんな問題が出るのかわからず、とりあえずGoogle先生に「日能研 入塾テスト」と聞いたところ、「不合格」という不穏なワードがオファーされ、受験勉強を始めることすら危ぶまれるのかと不安になりました。

それでもなんとか、入塾テストに合格することができました。その時、採点してくださった日能研の先生は、「算数は習ったことがないものばかりなので、点数は取れていません。これから追いつけるようがんばりましょう」「国語は漢字などの知識系が足りてませんが、長文は点数がちゃんと取れています」とコメントをくださいました。

その時は、なんとか受験勉強の準備がととのったと安堵しました。まさか、入塾テストで評価された子どもの得手不得手が、本番直前まで響くとは思わずに…。

さあ入塾するぞと意気込みましたが、タイミングが悪く、夏期講習直前でした。夏期講習はこれまでの復習がメインなので、できれば2学期から入塾したほうがいいというアドバイスを塾側からいただき、正式な入塾は9月になりました。

では、宙ぶらりんになった夏休みはどうするのか。時間を無駄にはできません。2学期からの塾通いに備え、最近お子さんを中学受験させた経験のある知人友人に相談して、とある個別指導塾を紹介してもらうことにしました。

その個別指導塾は、自宅から30分くらいかかり、やや遠かったのですが、知人友人のお子さんたちはここで学び、見事御三家などに合格していたので、とにかく信じて始めることにしました。

それからもう一つ通い始めたのが、ベネッセの文章教室です。少し調べたところ、2科目(国数)や4科目(国数理社)の受験だけでなく、多様なタイプの入試があることがわかってきました。その中で、自己紹介文や作文を求められる試験もあり、本格的に受験勉強が始まる前に文章力をつけておくことは、そうした試験への対応や、国語の強化にもつながると考えたからです。

何より、突然始まる中学受験勉強の中で、もともと本を読むのが好きだった子どもにとっては、息抜きになるだろうという目論見もありました。ベネッセの文章教室では、物語だけでなく、論理的な文章の読み方などを教えてくれて、さらに自分自身で文章を書くという練習もさせてくれました。5年生の間だけでしたが、この経験が子どもの国語力の基盤をつくったのではないかと思っています。

ここで、当時の子どもの勉強がどういう状況だったのかをふりかえります。

先に書いた通り、子どもは小学1年から5年まで、ほとんどの授業を台湾の中国語で受けてきていました。毎日、中国語の授業があり、算数や社会も中国語で学んでいました。

つまり、九九は中国語で覚えており、算数も中国語で解いてきたので、日本語の算数の問題を読み解くことが十分にできていませんでした。台湾系インターでは国語(日本語)の授業もありましたが、中国語の授業の方が圧倒的に多く、国語の問題で重視される漢字の書き順はほとんど習ったことがありません。また、気を抜くと日本語と中国語の漢字(繁体字)が混ざっていました。

こんな状態だったので、親としては不安しかありませんでした。

案の定、9月になって日能研に通い始めても、なかなか成績は上がりません。最初に書いた通り、9月に初めて受けた全国公開模試で、「算数5点」(偏差値26)というもはや我が家ではレジェンドとして語り継がれる点数を叩き出します。国語はかろうじて72点、偏差値は41でした。

続く10月の全国公開模試では、さらにレジェンドを上書きする「算数0点」(偏差値26)!!!

この時の記憶はショックのあまり欠落しています。一体、子どもに何があったのか、本人と何を話したのか、まったく覚えていません。ただ、前回が5点でしたので、0点だったとしても仕方ない……わけあるかーーー!!

当時、オットとは、LINEで子どもの勉強の状況についてよく話し合っていました(もちろんリアルでも話していましたが、共働きなのでLINEの方が好きな時にメッセージを送れたので便利でした)。その頃のやりとりを振り返ると、オットが衝撃的なことを書いていました。

「九九ができていないから、計算問題が解けてない」

「大問も問題の意図を理解できていないから、解けてない」


その結果の「偏差値26」でした。さっきも述べた通り、子どもは九九を中国語で覚えていました。後で本人に確認したところ、「日本語の数字を一旦、中国語の数字に置き換え、中国語の九九で計算し、それをまた日本語の数字に置き換える」という非常にまどろっこしい方法をとっていたのです。

これでは時間もなくなるし、焦って間違いが多発します。とにかく、日本語で九九を覚えて日本語だけで計算ができるようにならなくてはなりませんでした。

(外国語を学んでいるお子さんがすべてこうなるとは思いません。単にうちの子どもが不器用だったのだと思います)

個別指導塾で算数をみてくださっている先生からも、日能研は宿題が少ないので、計算問題はとにかく数をこなしてほしいと言われました。家での算数の学習は、理系で数学が得意なオットを教科担当として、簡単なドリルから始めることにしました。

ちょっとだけ嬉しいこともありました。10月の公開模試は、算数が0点にもかかわらず、国語は90点で偏差値50となっていました。前回に比べると、一気に偏差値が10も上がってきました。

最初の入塾テストでも指摘されたように、子どもは日本語の漢字が身についていませんでした。例えば、草冠ひとつとっても、中国語だと横棒が切れています。似たような形ですが、異なる文字です。

そこで、比較的国語は得意だった私が国語の教科担当となり、夏休み中から漢字の問題集「中学入試 でる順過去問 漢字 合格への2610問」(旺文社)を子どもと少しずつ取り組みました。


専用のノートを作り、私が出題してとにかく漢字を書きまくります。大体、私がまとまった時間のとれる週末が中心です。前回間違えた漢字を最初に確認しました。4、5回間違える漢字もありましたが、とにかくローラー作戦で潰していくしかありません。この時間は「ママ漢」(ままかん)と呼ばれるようになり、6年生の夏くらいまでこの習慣は続きました。

【4】 つながらないミライコンパス


5年生の2学期、日能研が週2日(国算)、個別指導塾が週1日(算)ベネッセの文章教室(国)が2週間に1日(国)というスケジュールを組んで、受験勉強を本格的にスタートさせていました。

この頃から、家族3人のスケジュール管理はGoogleカレンダーに集約するようにしています。それまではリビングの壁に貼ったカレンダーに書き込むスタイルでしたが、オンラインで見られて、瞬時に情報を共有したり、変更したりするために導入しました。案外これが便利で、今も続けています。

子どもの受験勉強を軌道に乗せつつ、親は親でやることが山積みでした。そう、学校探しです。

「子どもが行きたくなるような学校」と「子どもを受け入れてくれる学校」、そして「親が子どもを行かせたい学校」という理想と現実の狭間を行ったり来たりしながらの学校探しが始まりました。

しかし、オットも私も東京で中学受験を経験したことがあるとはいえ、令和の私立中学事情はかなり変化していました。

いつの間にか、順心が広尾学園に。東横は東京都市大学等々力に。戸板は三田国際に。嘉悦はかえつ有明に。他にも、共学化したり、カリキュラムを改革して学校名を変更するところはたくさんあり、覚えるのにも一苦労です。偏差値も乱高下が激しくて、知識のアップデートは急務でした。

そこで始めたことの一つが、学校説明会や学校主催のイベントに行きまくるということでした。百聞は一見にしかず。「令和の私立中学校を見に行こう!」ということで、アクセスしまくったのが、「miraicompass」(ミライコンパス)というサイトです。

まったく知らなかったのですが、大多数の私立中学が、このサイトで学校説明会や文化祭などのイベントの申し込みをしなければなりません。また、出願もこのサイトを通じておこなうので、受験生の保護者は避けて通れないサイトになっています。

しかし、この使い勝手が少々悪い…。学校ごとの管理になっているので、ユーザー自身がどの申し込みをしたのか一覧で管理することはできません。さらに、人気校の学校説明会の申し込みは瞬殺です。サイトにつながらず、あわあわしてるうちに、席がなくなる恐怖!

現在進行形で使ってる方もいらっしゃるかと思いますが、ネット回線の安定と高速を維持してがんばってください(祈)

話が横道にそれました。学校説明会ですね。

最初に見学をしたのは、家から比較的アクセスが良い学校でした。

【トキワ松学園中学校】


東京都目黒区にある女子校です。きれいな校舎やかわいい制服に目を見張りました。グリーン系の制服にはスラックスもあるところが、子どもも気に入ったようでした。

ここは美術やデザインの教育に力を入れているのが特色で、高校になると「美術デザインコース」に進むことができます。系列である横浜美術大学をはじめとして、5美大に進学する生徒が多いことで知られています。校内に展示されている作品も素晴らしかったです。

一方で、近年では総合選抜型入試で慶應に合格する生徒も出てくるなど、入学後に学力を育ててくれる学校という印象を持ちました。そして何より、地下にあるプールに惹かれました。

子どもが通っていた台湾系インターはプールの授業がなく、子どもは水泳を経験したことがありませんでした。でも、トキワ松では、泳げない生徒の指導もしてくれる上、天候や盗撮などを気にすることない環境で、水泳が好きな子や未経験の子には最高の環境だなと思いました。

【田園調布学園中等部】


世田谷区にある女子校です。実際に訪れると、とにかく生徒さんたちがしっかりしてる!利発そうなお嬢さんばかりで、子どもがこの学校に通ってくれたら…と夢想してしまいました。

この学校では、毎年4割を超える生徒が理系を選択しているとのことで、理数科目の教育に力を入れていると説明を受けました。素晴らしい。進学実績も国公立大学が多く、理数教育の大切さを痛感しました。田園調布駅からも近く、治安も良い町であることも安心感を与えてくれます。

なんとなくですが、自分の母校にも似た空気があり、親としてはかなり推しの学校でした。

ただし、大きな問題がありました。うちの子どもは5年生の時点で2教科しか勉強していません。2教科が仕上がれば、6年生になってから理社に取り組むつもりでしたが、田園調布学園は4科目受験が基本です。この学校を受験するためには、超えなければならないハードルがありました。

【玉川聖学院中等部】


世田谷区にある女子校です。ミッション系だけに毎朝礼拝があるといった説明を受けました。ステンドグラスやパイプオルガンのあるホールもきれいでした。宗教的な行事とはほぼ無縁の我が家なので、子どもの反応が心配でしたが、意外にも興味を持ったようでした。先生の語り口がとても丁寧で、親子で好印象を持ちました。

中学3年生になると1年かけて「修了論文」を書きます。身近なペットや高校生になると修学旅行で訪れる韓国についてのテーマが人気と聞きました。自分の課題やそれに対する答えを文章化するという機会はすばらしいと思いました。

驚いたのが、その多様な進学先です。高校生の約8割(現在では9割近いようです)が、指定校推薦や総合型選抜で大学に進学を決めています。さらに驚くのが、キリスト教系の大学への推薦制度が手厚いことでした。

プロテスタント系のミッションスクールの集まりである「キリスト教学校教育同盟」という関係があり、玉川聖学院からは毎年、青学などに多く進学しています。オットも私も無宗教の学校でしたので、学校を超えたミッション校のつながりがあることをまったく知りませんでした。それを知ることができただけでも収穫でした。

その後、刊行された「二月の勝者」19巻でも、黒木先生がとある生徒の保護者に、キリスト教系伝統校は、上智やICU、青学、立教などの大学に推薦枠を多めに持っており、中学受験では比較的入学しやすい「お得感のある学校」だと説明していました。まさにこれだと思いました(「二月の勝者」は我が家のバイブルです)。

【5】 注目の国際系はキラキラしてました


勉強は粛々と進めつつ、急いだのが語学の検定試験でした。最近の中学受験は英検資格者が有利です。持っている級にもよりますが、学科は免除になったり、加点されたりします。

声を大にして言いたい。

みんな、英検はできるだけとっておいたほうがいいよ!!!!!

実際にあったことですが、今年までは制約がなかったのに、2025年入試の要項が公表されたら英検を持っていないと受験資格がない日程を設けた学校もありました。年々、英検を重視する入試が増えていることは確かです。この傾向は、しばらく続きそうだなと思いました。

なお、我が家の話です。

子どもは台湾系インターに通学していたので、中国語のヒアリングや繁体字の読み書きは比較的できます。きっと調べれば、英検同様に中国語検定も有利になる入試もあるだろうと安易に考え、5年生の秋に台湾政府がおこなっている台湾華語能力試験「TOCFL」を受験することにしました。

TOCFLは、およそ3つのレベル(BandA〜C)に分かれています。台湾の大学に留学する際、ある程度のレベルに達していないと入学許可がおりない類いの検定試験です。子どもはBandB(中級)を受験し、合格することができました。

よし、これで入試が有利に…なりませんでした!!

あらゆる学校を調べてみましたが、TOCFLの中級を持っていたとしても、少なくとも英検のように優遇措置がある入試は見つかりませんでした(2024年入試当時の話なので、今は違うかもしれません)。

がっかりすぎる…。しかし、本人の中国語に対する自信にはつながりましたし、その後、いわゆる表現型入試といった入試には対応できそうだったので、よしとしました。

さて、最近の中学受験の一つの潮流に「国際系」の学校があります。子どもは将来、どこかのタイミングで留学したいと話していましたので、英語教育が期待できる「国際」と名のつく学校にも出かけてみました。新しい潮流の学校がどのようなものなのか、自分自身の興味もありました。

当時の感想をまとめてみますね。

【芝国際中学校】


東京都港区にある共学校です。東京女子学園だった学校が、2023年に共学化、新校舎になって新たにスタートした学校として、注目を集めていました。ここも、学校説明会の席争奪戦が激しく、なんとかとれた一席だけ取れたので、家族を代表して私だけ参加してきました。2022年秋のことです。

結論からいうと、すごいキラキラしてました!別世界でした!

新校舎の完成予想図はかっこいいし、国際的な教育も素晴らしいと感じました。TOCFLを持っていることについて有利になるか、個別に質問したところ、面接のある入試があるので、芝国際でやってみたいこととして、中国語の勉強をアピールしてもらえればと好感触でした。ただ、その後、初めての2023年入試でトラブルがあったようで、ネットでは誹謗中傷にも発展していたのが気になっていました。

結局、子どもにも資料を見せたりして学校説明会の内容を伝えましたが、本人はピンときてなかったようで、実際に受験しようというところまでには至りませんでした。

2024年入試は前年度の影響からか、倍率は落ち着いており、受験してみてもよかったなと悩みましたが、いかんせん子ども自身があまり興味を持てなかったようなので、ご縁がなかったのだなと思っています。

【千代田国際中学校】


千代田区にある共学校です。もともとは、千代田女学園という女子校だった学校で、学校説明会では、前校長の日野田直彦先生のプレゼンを聞きました。先生はお話が本当にお上手で、子どもも興味を持ったようでした。一番心に残ったのは、「グローバルダイバーシティと言われてますが、あえて京都弁でプレゼンします。なお、塾向けの説明会のアンケートで関西弁が耳障りと言われました!」というお話でした。あけすけな感じが面白かったです。

この学校については、子どもの希望もあり、かなり真剣に受験を検討していたので、ツテをたどって在校生の保護者の方にお話を聞きに行ったりしました(保護者の方には感謝しかないです!)。

なお、千代田国際は2025年4月から再び校名が変わります。「千代田中学校」になるそうで、校長先生も変わっています。

【サレジアン国際学園世田谷中学高等学校】


世田谷区にある共学校です。ここも芝国際と同じく、2023年入試から共学化して校名が変わった学校です。学校説明会もかなり精力的に開催されていて、二子玉川駅からスクールバスで送迎してくださいました。

教育内容も学校の環境もかなり魅力的でした。2023年入試の様子を見てから受験を検討しようと思いました。しかしその後、2023年2月にあった入試結果の速報会で日能研の先生が、「サレジアン国際世田谷は募集も増えたが、受験生も殺到していた。入試問題が読みきれず、対策に苦労した受験生が多かった」とおっしゃっていたのを聞いて、少し及び腰になってしまいました。

【6】 どうやって学校の情報集めた?


先ほど、学校についての情報をどう集めるかということに触れました。みなさんはどうやって情報を集めていらっしゃるでしょうか。

私の場合は次の通りです。

【R4から探す】


子どもは日能研に通っていたので、R4一覧(入試合格80%以上の偏差値を一覧にしたもの)をもとに子どもの偏差値帯で探しました。何度も何度も見ては、知らない学校があると公式サイトをチェックするなどしていました。

【雑誌から探す】


2023年入試が終わると日能研から案内がきたのが、雑誌「進学レーダー」の1年契約でした。そこまで熱心に読んでいたわけではありませんが、最近のトレンドや基本情報が掲載されていたので、斜め読みしていました。

それから雑誌の中学受験特集は必ず購入していました。中学受験を決める前からたまに購入していたので、習慣ですね…。

【書籍から探す】


中学受験をすることになってすぐに購入したのが「令和の中学受験」と「令和の中学受験2 志望校選びの参考書」でした。まさに令和の事情を知りたかった私にぴったりでした。「寮のある学校」について考えたことがなかったのですが、この2冊を読んで地方の学校のことも調べ始めました。


他にも、中学受験ジャーナリストとして知られるおおたとしまささんの本も読みました。特にこの本は中学受験で壊れる家庭のリアルを描いていて、背筋が凍りました。


【路線から探す】


自宅からアクセスの良い学校を探しました。日能研が「中学受験 日能研の学校案内」という学校紹介を網羅した本を毎年出していますが、巻末に首都圏の路線マップがあり、どの駅にどの学校があるか見ることができて便利でした。

私は中学時代、千代田区まで営団地下鉄(当時)で通学していた際、痴漢に遭ったことが何度もありました。同級生たちも同じで、今では考えられませんが、小さなカミソリを持ち歩き、自衛していた子もいました(実際には使っていなかったと思います。念の為)。

また、あまりの混雑で傘が折れたりしたこともありました。自分の子どもにはそんな苦労をさせたくないので、できるだけ通勤ラッシュにあたらないような通学路も考えながら検討しました。

また、ビビりなので子どもが通学路で災害に巻き込まれることが本当に怖いです。大勢の人が利用するターミナル駅はパニックが起きて押しつぶされたりしそうなので、できるだけ避けようと思い、学校を探す中で割と大きな指標になりました。

ゼロリスクは無理でも、通学路のリスクは可能な限り低くしたいですよね。

【先生・在校生・保護者に聞く】


中学受験を親として経験した友人に話を聞いたり、先ほど述べたように、気になる学校の在校生の保護者の方に話を聞いたりしていました。ほぼ取材ですね…。

そんな手間は取れないという方には、学校説明会の校内見学で、在校生に気になることを聞く一択です。「イジメとかある?」「宿題は多い?」「先生とは仲良い?」「みんなどのへんから通学してる?」。けっこうズケズケと色々なことを聞いた気がします。でも、2次情報よりも信頼できると思っています。

もちろん、先生にも聞いていました。ある共学校に行った時は、文化祭でした。「ダンス部などの目立つ部活動の生徒たちが活躍していますが、インドア派の子どもたちも活躍できるのでしょうか」といった質問をしました。子どもが実際に入学した後、伸び伸びできるのかは、とても大事なポイントでした。

特に我が家は「中国語を中学受験に活かしたい」「できれば将来、台湾などに留学したい」と思っていましたので、学校説明会では必ず個別相談の列に並び、入試や留学制度については質問していました。なんとか活路を見出せないか必死でした(ないんですけどね)。

でも、そうすることで、やはりサイトだけでは知り得ない情報も引き出せたかなと思います。

それから、各学校は最近、LINEを使ってイベントの案内などの情報発信をしています。気になる学校があったら、ばんばん登録しておいた方がいいです。

【ネットで探す】


普段ネットメディアの記者として働いているので、ネット上の情報はよく見ている方だと思います。仕事でも使うYahoo!が提供している「リアルタイム検索」というサービスは、本当に便利でした。気になる学校の校名をすべて登録しておくと、その学校についてのSNSの投稿を見つけることができます。

たとえば、校名を挙げて「イジメがある」「学校が対応してくれない」など、投稿している在校生らしきアカウントを発見したり、まだ伝わっていない地方の学校についての最新情報を得ることができました。

一番助かったのは、受験を検討していた静岡県にある不二聖心女子学院の学校別対策模試「そっくりテスト」が、不二聖心の校舎で開催されるという情報でした。これは、地元の塾が実施しているもので、東京の塾には情報がありませんでした。さっそく地元の塾に申し込みをして、模試を受けることができました。

【ニュースで探す】


普段、労働事件を取材することがあります。特に近年は教師の働き方に問題があると指摘され、社会問題になっています。学校はどれだけ偏差値が高かろうが、どれだけ伝統を誇ろうが、どれだけ施設が素晴らしかろうが、教育に最も大切なのは、先生だと思っています。そうした先生たちを大切にしている学校なのか、経営は大丈夫なのか。

過去の報道を調べることで、労働問題を起こしていたり、何らかの不祥事があって経営に不安があるような学校は最初から避けるようにしました。

過去記事は、ネットで検索しても出てこない可能性が高いので、個人的に契約しているG-seachという新聞・雑誌記事のデータベースを利用しました。もちろん、地域の図書館でもデータベースがありますので、ご利用されてみてもいいかもしれません。

【7】 算数がダメなら、国語で補えばいいじゃない?


さて、あれこれ書いてきましたが、話を2023年3月以降に進めたいと思います。5年生の冬、さすがに算数「0点」「偏差値26」という状態からは脱してきましたが、相変わらず低迷していました。

偏差値30台を推移し、まったく上昇の気配がありませんでした。本人はあまり気にしている様子はなかったのですが、私は追い詰められており、「算数 できない 理由」で検索しまくり、もはや先天的な何かがあるのではないかと悩んでいました。

調べたところ、「算数障害」という特性があることがわかり、本気で疑いました。個別指導塾で算数を教えてくださっている先生にもそれとなく相談しましたが、怪訝な顔をされて終わりました。偏差値30台は結局、6年生の10月まで引っ張ることになり、最後まで本当に本当にやきもきさせられました。

何度、算数大好きなオットを小学生に変装させて替え玉受験させようと考えたことか…!(通報)

算数は地を這うような偏差値でしたが、漢字や慣用句などの基礎的な知識が蓄積されてくると、国語の成績はどんどん伸びていきました。日能研の公開模試でも偏差値50台まで上がってきており、2教科あわせてやっと偏差値40台という感じがずっと続きました。

2023年2月、ついに最後の1年が始まるわけですが、ここで大きな決断をしなければなりませんでした。本来の計画では、5年生のうちに国語と算数で他の受験生に追いつき、理科社会を6年生で仕上げるはずでした。

しかし、思うように算数の成績が伸びず、もっと算数に時間を割く必要がありました。このまま理科社会をスタートさせても本人にとって負担が大きくなるだろうと考え、子ども、オットと相談して、2教科で受験をすることにしました。

2教科で受験するにあたり、作戦を練りました。単純です。

算数がダメなら、国語で補えばいいじゃない?

実は私が中学受験をした時、子どもと同じように算数が苦手でした。共立女子中学は当時、2教科受験だったのですが、算数はさっぱり。国語は智恵子抄が出題され、すごく面白くて設問そっちのけで読み込んだ覚えがあります。

こりゃ失敗したなと思ったら、意外にも合格していました。入学後、親が先生にこっそり聞いたところ、「算数は合格ラインにまったく届いてなかったけど、国語はすごくできていた」とのことでした。

私と同じように物書きをしている叔母に、子どもの算数の成績が低迷しているけど、国語でなんとか頑張りたいと伝えたところ、「実は…」と話し始めたのが、叔母が大妻女子高校を受験した時のことでした。

「おばちゃんも千香ちゃんとまったく同じで、数学ができなかったけど国語だけはできたから、合格したの…。おばちゃんに似ちゃったのかな。ごめんね…」

ここにもいたよー!!!

先祖代々でべその伝わり。もう算数ができないのは、我が家の遺伝なのかもしれません。ただ、これで旗幟鮮明にはなりました。

個別指導塾ではそれまで算数だけみていただいていましたが、国語もお願いして、よりレベルアップをはかることにしました(思わぬ出費に財布の中身はかなりレベルダウン…)。ベネッセの文章教室は本人も楽しんで通っていましたが、日能研や個別指導塾との日程調整ができず、やめることにしました。

余談ですが、「6年生に突入!総員第一種戦闘配置、対地迎撃戦用意!」というタイミングでオットが不穏なことを言い出しました。

「大学院に合格しました!」

オットは会社の後押しがあり、2023年4月から社会人でありながら大学院に通うことになったのです。平日夜はオンライン授業。土曜日は大学に行って講義。いや確かに話は聞いてたけどさ、我が家に必要なのは子どもの合格であって、お前の合格ではない!!

もう逃げていいですか?

そう思いながら、波乱ぶくみの一年が幕開けしました。

【8】 半袖、短パン、ギョサンで聖心女子大学に現れた男


6年生になると、受験する学校もある程度絞られてきます。我が家で、受験したい学校ランキング上位となっていたのが、静岡県裾野市にある不二聖心女子学院でした。

不二聖心は寄宿舎のあるミッション系の女子校です。名前の通り、聖心女子女子学院の系列です。ここは首都圏から近いこともあり、平日は寄宿舎で生活し、週末は自宅に戻る生徒も多いとのことでした。

5年生の秋に、広尾にある聖心女子大学のキャンパスで平日夜に開催された学校説明会に参加したことがあります。私は仕事先から直行。オットは子どもを連れて、現地集合という予定でした。

言うまでもなく、聖心といえば国内有数のお嬢様学校です。上皇后様が学ばれた学校です。

そのせいか、参加されている保護者の方々も、お父様はしゅっとしたスーツ姿、お母様は上品なワンピースが多く、他の学校説明会とはちょっと雰囲気が異なっていました。

そんな場所に、半袖、短パン、ギョサン(ビーチサンダル的なやつです)という装いで現れたオットを見た時の私の心情を100文字以内で書いてください。

「終わった…」

もちろん、入試に重要なのはあくまで子どもの学力ですが、わざわざ東京で学校説明会を開いてくださった学校への敬意というものがあります。オットの長所は既存の価値観にとらわれない自由なところですが、あまりに自由過ぎて、こちらの予想をあっという間に超えて走り去り、もう手が届きません(小学校受験の時もオットはやらかしていますが、5年も前だったので今回は油断していました)。

「この人、こんないでたちですが、普通の会社に勤めてまして、お酒もタバコもギャンブルもやらない真面目なオットで、休日は『メーデー!:航空機事故の真実と真相』という航空機事故のドキュメンタリーを見てニヤニヤしているだけの無害な人なんです…」

なんとか先生方に伝わるよう笑顔で念を送りながら、受付をしました。しかし、こんな微妙な感じの家族でも、先生方は温かく迎えてくださり、本当に頭が下がりました。

不二聖心に惹かれたのは、多様な国や地域への留学制度にあります。聖心女子学院のキリスト教のネットワークを活かした留学制度の充実っぷりはすごいです。中でも、台北にある姉妹校「聖心女中」への交換留学は、台湾留学への希望を持っている子どもにとって魅力的なようでした。

先ほど、ミッション系の学校には高大のつながりがあると書きましたが、不二聖心も同じように大学への進学実績がすばらしいです。上智大学には4人に1人が進学していると聞き、ますます受験したい熱が高まりました。

なお、不二聖心は校舎と首都圏(広尾キャンパス)で受験の機会があります。1月1週目の週末、校舎で受験する可能性も考え、早めにJR三島駅近くのホテルをおさえていました。あまりに早過ぎてネットでは予約できず、直接ホテルに電話したのですが、「あの、もしかしてお受験でいらっしゃいますか?」と聞かれたので、おそらくこの時期、多くの受験生が宿泊するのだろうなと思いました。

他にも、学校説明会や文化祭などに出かけては、2教科で受験できる学校、中国語が少しでも有利になる入試をしている学校を探し続けました。

【9】 最近注目のニチコマって?


私のライフワークに図書館取材があります。全国の図書館を取材して、これまで本を書いてきました。

子どもも小さい時から図書館が好きでしたので、視点を変えて、面白そうな学校図書館のある中学校を探してみることにしました。

そうした中、ある図書館関係でつながっている方から、工学院大学附属中学校の学校図書館が素晴らしいと聞き、オンライン説明会に参加しました。

工学院大学附属中学校は八王子にありますが、新宿の大学キャンパスからスクールバスが出ていて、最近は23区方面からも人気だそうです。また、校長先生は情報工学の専門家であり、学校内での取り組みにはとても興味がありました。

学校図書館にはFab(ファブ)スペースが設けられ、3Dプリンターで生徒たちがものづくりをしていると聞きました。

そんな話を日能研の先生との面談でしたところ、勧められたのが、駒場東大前にある日本工業大学駒場中学校(ニチコマ)でした。校名からか、なんとなく男子校のイメージがあり、まったく検討していなかったのでこのアドバイスは助かりました。

ニチコマは、つい数年前まで工業高校だったカリキュラムを、普通科に全振りした結果、めちゃくちゃ進学実績がよくなり、偏差値が爆上がりしているとのことでした。

日本工業大の附属校なのに、東京工業大に進学する子も出てきているそうで、校長先生はそのうち線路挟んで向こう側の某国立大学にも入学できるようがんばっているとおっしゃっていました。

その線路挟んで向こう側の某国立大学で工学部男子だったオットは、この学校をいたく気に入っていたようでした。とにかく工業高校だったので、ものづくりの設備や、知識のある先生たちが揃っていて、個別相談の時に「子どもが中学でこんなことをやりたいと言っているのですが、できますか?」と聞いたところ、「なんでもつくれるし、できます」と頼もしい回答がありました。

また、ニチコマは住んでいる地域からアクセスがよく、日能研のお友達が志望していたり、ごきょうだいがすでに進学していたりして、より身近な学校になりました。入試もプレゼン型入試という変わったものがあり、中国語がアピールできることもあって、志望校の一つに入ってきていました。

【10】 子どもが初めて泣いた日

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