この記事はアンビグラムAdvent Calendar 2023 の記事です。ほかの記事も併せてお楽しみください。
最近アンビグラムを始めた方々はアンビグラムの歴史を知らないかな、と思ったので簡単に書いてみる。簡単な歴史はWikipediaに書いてあったりするのだが補足や考察やもろもろを加えてみる。
アンビグラムの始まり 1970年代、ジョン・ラングドン(John Langdon)とスコット・キム(Scott Kim)が独立に発明・発見し、それぞれが独自に発展させていったのが始まりとされている。
私見ではあるが、ラングドンはグラフィカルなデザイン手法、キムはシステマティックなデザイン手法をそれぞれ発展させていると言えそう。これは、ラングドンは元々作字畑の人であり、キムは数学者で論理屋であるところに起因していると考える。近年の日本語アンビグラム作家を見てもその傾向が見えるだろう。ちなみに私は論理主導である。
両者とも、現在においてもアンビグラムの二大巨匠である。キムは1981年に書籍『Inversions』を刊行しているが、この時にはまだ『アンビグラム』という言葉はなかった。
なので古いアンビグラムの定義では180度回転型をinversionと言ったりすることもあったりなかったする。二大巨匠といったが、現在でもアンビグラムデザインを続けているのはラングドン(キムのサイトはドメインが切れている)。
『アンビグラム』という名前は、ダグラス・ホフスタッター(Douglas Richard Hofstadter)が1984年に仲間内で使っていたものを採用したと言われる。ホフスタッターによる(最初の簡単な)定義は『calligraphic designs that manage to squeeze in two different readings.』とのことだが、色々な手法による作品が作られてきた現代においてはもっと別の表現になる(が、詳細は別記事に譲る)。
ホフスタッターが「ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環」(略してGEB)を刊行したのは1979年なのでアンビグラムという言葉はなかったのだが、対称性に関する話題(バッハの「蟹のカノン」とか)に触れており、アンビグラムっぽい話も出てくるらしい。「ゲーデル~環」はΣ氏がアンビグラムにしたのが記憶に新しい。
海外での発展 『アンビグラム』の名前がついてからは、1989年にキムが『Letterforms & illusion』を、1992年にラングドンが『Word Play』をそれぞれ刊行している。
アンビグラムという言葉はできたものの中身の定義はまだあいまいで、二人による分類には不思議なものがあったりする。ラングドンが分類の一つとしている「TOTEM Type」はラテン語デザインならではという気がするし、キムによるフラクタル型は数学屋らしさが出ている。(TOTEMは日本語なら普通の左右鏡像型だし、フラクタル型は統一しようとすると扱いに困る)
ラテン語のアルファベットは元々アンビグラムとの親和性が高いこともあり、アンビグラムの名がつく前からロゴをシンメトリカルにデザインする(NEWMANロゴは1968年)など、アンビグラムと馴染みやすい土壌があったと言える。
最初の例がいつごろになるかはわからないが、興味深い次のような例がある(らしい)。振動型の極端な例としてゲームの封じ手に(悪意的に)使用、つまり、あらゆる数字に見えるように封じ手の文字を書いたのである。ソース失念のため誤っていたら申し訳ない……ラテン語圏だと自然アンビグラムであるものも多いが、私が特に好きなのが「up/dn」である(dnはdownの略記)。
アメリカで大きく広まったのは2000年にダン・ブラウンが小説『天使と悪魔』の中に美麗なアンビグラムを採用したことによると言われる。アンビグラムの作者はラングドンで、ラングドンの名は主人公の名にもなっている。
巨匠のもう一方キムが手掛けたアンビグラムで大きな仕事は何かというと難しいのだが、個人的に印象に残っているのがキャストパズルの「KeyRing 」のロゴデザイン。初めて見たときには「ああ、ラテン語だとこんなこともできるんだな」ぐらいにしか思わなかった気がする。まだアンビグラムという概念を知る前であったが、「簡単なことだ」と思ってしまった点においてアンビグラムの素養があったと言えるのかもしれない。
日本での展開 安野光雅が1985年にキムのアンビグラムを紹介したのが最初といわれている。1986年に坂根巌夫が『新遊びの博物誌1』の中で、「日本語はアルファベットより格段に難しく、出来るとしてもごく限られたものになるだろう」と述べている。
坂根先生は見る目がなかった、とは言わないがちょっと先走った記述だったと思う。世界中のメディアアートが専門の方なので文字関連には詳しくなかったとすればそういう発言にもなろう(アンビグラムは本当にできない人にはできないようなので)。では文字に明るいとできるのかというと、拙著「逆立ち~」出版時に編集さんから聞いた話では、知り合いの書家さんにアンビグラムを見せたら「なるほど、簡単にできそう」と言っていたらしい。一方で私の知り合いの作字屋さんは全くできないという。つまり、そういうものである。
1990年代後半~2000年代前半には伊藤文人、lszk、郷田まり子らが活動を始め、いくつかの日本語アンビグラムを作成していたが、漢字のアンビグラムを大量に作成できるには至っていなかった。
伊藤文人氏、lszk氏は月刊アンビグラムに作品を寄せていただいておりますが大変なレジェンド作家でなのある。伊藤氏についてはこちらの記事 が詳しい。私はlszk氏の初期の作品を見てアンビグラムの本質を最初に知ったと言えなくもない。郷田まり子氏(X:@MaripoGoda)は稀有な女性作家だったのだが初期にまとめて作品を作っただけで継続されていない。
「日本語では難しい」という言説に異を唱える形で、2006年に五十嵐龍也(私です)がブログ『Ambigram Laboratory』を開始。漢字でも多くの多くのアンビグラム作成が可能であることを証明しながら、アンビグラムの表現手法の発展や定式化に努めた。
初期は本当に雑にやっていたというか、デザインしようという意識がほとんどなく、アンビグラム化可能であることが分かれば満足してしまう感じがよく出ている。「こんな感じでやればよい、証明略」という感じ。手法の追及については振り返ってみるといろいろやっていた。 ・姫森ルーナ型の原型(沖野ヨーコ) ・見切れの利用(スペードのJ/ハートの2) ・アモーダル補完(ゲーデル/Gödel) ・変則交換型(「並/直 」は交換型と言っていいのかと当時悩んだものだが、今となっては敷詰振動型であることが分かる) おかしな方向へ掘り進めることはあまりなかったようである。
五十嵐と同時期にoyadge01、続く時期にkawahar、意瞑字査印、tsukeneらが活動を開始している。
oyadge01氏、kawahar氏、意瞑字査印氏はのちにア研メンバーとなるが、この時期に切磋琢磨して技術を伸ばしていったアンビグラム初期の中心メンバーと言ってよい。 tsukene氏は「罅ワレ回文」の罅ワレ氏といった方が分かるかもしれないが、日本語アンビグラムの定義設計や定式化はtsukene氏と五十嵐で進めた。2010年ごろまでに断片的に話をしていたものをほぼまとめ上げたのが2017年。その後最近になって若手の皆さんによりいくつか補足や拡張が入って再定義しているのが現在、というのはご存じ(?)のとおり。 当時の有力作家にはユンブイカ氏(回文の人です)がおり、すごいアンビグラムをいくつも発表していた(個人的には「野中藍」が良かった)が、2017年4月、インターネットから 引退されている。
2009年にはアンビグラム研究室が『逆さにしても読める本』を刊行。また五十嵐が『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』内の「双倉図書館」のロゴを提供している。
当時の「アンビグラム研究室」は五十嵐のソロプロジェクトと言ってよいが、書籍発行に関わった編集さんなども研究室メンバーに含めた感じにはなっている。一応この時が「アンビグラム研究室・第一期」と言えよう。 「逆立ち~」刊行後にkawahar氏とtsukene氏と五十嵐による『伝説の会合』(と私だけが勝手に言っている)が行われており、お題「夜桜」の即興作成大会を行っている。みんビグラムの開始時コメントを読んでいる人なら「夜桜」の回のコメントがこのことであるとわかるだろう。「双倉図書館」ロゴ は著者の結城浩氏から突然依頼があって驚いたのだが、あのデザインが3日で固まったというのも驚きである。ハマるときはハマるし、天啓というのはそういうものである。
最近の動き 2010年以降、アンビグラム作家が徐々に増えていく。
2016年、「アンビグラム研究室」が、oyadge01・kawahar・意瞑字査印の合流により改めて始動。
ア研はここからが第二期というのが妥当か。
2017年、当時活動していたアンビグラム作家陣に声をかけ「月刊『アンビグラム』」を開始。 野村一晟による競艇「G1全日本王者決定戦」ポスターデザイン。
「月ア」初回2017年4月号は14作品でスタート。ア研メンバー以外では現在も投稿していただいている人は残っていないとは、隔世の感。第2回の私の作品は前述のGEBで触れられている「蟹のカノン」に関係する作品。
2018年、五十嵐が「千葉ロッテ交流戦『挑発』ポスター」のアンビグラム担当。
これはかなりスケジュール的に厳しい案件だった。製作期間中、福岡MENSAでの講演会に日帰りで飛んで帰ってきたが機内でもデザインを考えたりしていた。アンビグラムの出来としてはあまり納得はいっていないが阪神のは思いつけてよかったし、球団がGOを出してくれたのは良い采配。
2019年、野村による「平成/令和」。
2021年、アンビグラム研究室にいとうさとしが合流。ゆうたONE×アンビグラム研究室による「みんビグラム」が9月に開始。
いとう氏は「ことば漢字」の活動が有名であったが、図地反転型アンビグラムを作り出したら素晴らしい才能をお持ちであった。 みんビグラムもいつの間にか2年以上経った。開始の経緯としては、ゆうたONE氏がみんビグラムの素案をツイートしていたので、我々が一緒にやれば実現できそうだなと思ったので声をかけたのが始まり。賛同いただいたので合同開催の運びとなった。作字屋さんにはアンビグラムに触れてもらいたいし、アンビグラム屋さんには作字寄りの作品も作ってみてほしい、というのが開催の目的であり、先の作品を見ながらやってみてほしいというのはアンビグラム初心者の作字屋さんへの配慮の面が大きい。結果としてアンビグラム初制作という人も結構いらっしゃるので目的どおり機能していると思われる。まだまだ続けていきたい(が、適切な難易度のネタ出しは結構大変)。
2023年、Σにより5月にDiscordサーバ「アンビグラム情報局」開局。12月「アンビグラム Advent Calendar」実施。
アンビグラム情報局はア研の活動以外では最も大きな成果でしょう。開局後15分で参加できたのがうれしい。 アンビアドカレは、作字アドカレに参加してみた頃からやってみたいと思っていた。ただ作品を投稿するだけだと普段の投稿と何ら変わりがないので、差別化のために記事メインとしてみた。本記事で最後となるが全体を通しての感想やご意見などいただけたら嬉しい。
最後に アンビグラムを作り始めたもののずっと継続されている作家さんはかなり少ないです。学生のうちはたくさん作れるが社会人になると諸々リソースがさけなくなるということが往々にしてあります。そうでなくても、生活が変わると作るのが難しくなったりする人もいます。今作っているアンビグラム作家の方たちはぜひ頑張って継続してほしいと願っております。
ということで、今後のアンビグラム界の発展をお祈りしつつメリクリ! そしてよいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いいたします。