見出し画像

呪いを解く魔法のことば ”Quase(クゥワジィ) "

皆さん、おはよう、こんにちは、こんばんは。
福島県いわき市の市役所で働いているイガリと申します。
自己紹介は、こちら

久しぶりにnoteを書きます。
誰かに伝えたいことがあるからというより、自分の心と頭を整理するために書きます。

“不惑”なんて、とんでもねーぞ

「四十にして迷わず」と論語にはありますが、こと私にとっては44歳の今現在、迷いっぱなし、ブレっぱなし、悩みっぱなし、投げっぱなしジャーマン状態。
他人のSNSを見ては、刺激を受けたり、自分もやってみたくなったり、眩しく感じたり、羨ましく感じたり、、、
ひるがえって、今の自分を見つめては、輝いてるステキな皆さんと自分の現状とに大きなギャップを感じてしまう。そして、その辛さを埋めるべく、毎夜酒に手を伸ばし、翌朝また更なる自己嫌悪と胸のむかつきを覚える、、を繰り返す日々。

40代も半ばを迎え、自分の時間が無限にあるわけではないことは否が応でも感じてきていますし、自分の体も一つしかない。あれもこれも、これもあれもは、もう出来ないんだと分かり始めてきている。
そんな現状を少しでも整理すべく、
「何をやるか/何をやらないか」(What)は後に回し、
「どうやっていくか/どう生きていくか」(How)を、
今更ながら考え実践していこうと思い、このテキストを書いてみることに。


俺の人生の3%は、ブラジルでできている

2000年3月に大学を卒業し、同年4月から1年間、ブラジルに留学しました。留学後に何度かブラジルに戻ったので、トータル1年半ぐらいはブラジルにいたことになります。今44歳なので、1.5÷44≒0.03。我が人生の約3%ぐらいはブラジルでできている計算。

留学の動機は、
「なんかこのまま、大学卒業してすぐ働くのイヤだな。」
「あ、ブラジル、音楽も好きだし、楽しそうだし、いいじゃん」
という、我ながら………な感じ。
留学前の一年間で様々な選考プロセスを経て、40人の同期の仲間とともにブラジルに旅立ちました。(実は俺はフマジメな研修候補生で、みんながクリアした選考プロセスをクリアしていないのですが、それはまた別の機会にw)

出発する時の写真(2000年4月8日)

ブラジル留学?
留学前の選考プロセス?
40人の同期?
研修?
「なんだそれ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
日本とブラジルには110年以上の移民の歴史があります。
その歴史と先人の方々の思いから、日本とブラジルの若者の相互交流を目的に、日本ブラジル交流協会(現:ブラジル日本交流協会)が誕生しました。2000年に留学した私が「20期」生でしたので、1980年からスタートしたことになります。毎年の留学生の数は違えど、既に1,000人を超える人がこの留学(研修)制度でブラジルへ渡っています。この制度は、ブラジル各地の企業でお世話になり、働きながらブラジルを学ぶというもの。40年前から国を超えてのスケール大きめの、今で言う「インターン」という感じでしょうか。なので、留学生ではなく、研修生。今年の研修生は5名。先日、その5名の「中間発表」が現地とzoomのハイブリッドで開催されたので、オンラインでお邪魔してみました。


研修生の中間発表で飛び出た魔法のことば

5人の若者の悲喜こもごもで七転八倒でStruggle、だけどガッツと前向きさと希望を感じる中間発表。そのどれもが、迷える40代オッサンの心にしみ入ります。4月に渡ったブラジル。まだ半年弱の新鮮で瑞々しい視点や発見、感覚の数々。その中から一つのことばと、それにまつわるエピソードが刺さりました。サンパウロにある学校で日本語指導を担当している研修生。彼女が半年の間に気付いた『Quase』。
クゥワジィ”と発音します。
意味は、”ほとんど”とか”だいたい”、”もう少し”といったニュアンス。

ブラジルの子どもたちが、何かやるたびに、自分に向けて『Quase』とよく口にすることに、彼女は気付きます。うまくできなくても、『Quase』つまり『おしい!』『あともう少し(でできた)!』と自分を励ましているじゃないかというわけです。自分を肯定していく。自分で自分をencourageしていく。特定の子だけではなく、みんながそれぞれ自分に向けて口にする。個人の性格ではなく、口ぐせとなっていたり、(世代を超えた)慣習なのかもしれないなと話を聞きながら、思いました。


”呪い”とは

独立研究者/著作家の山口周さん。音声メディア”Voicy"の山口さんの話に「呪いについて」というお話があります。目からウロコすぎて、3回ぐらい聞きました。


山口さんいわく、
「呪いとは、人から選択肢を奪う言葉のこと」

日本でよく言われる「他人に迷惑をかけてはいけない
インドでは「他人に迷惑をかけずに人は生きていけない。だから他人には寛容でありなさい
似て非なるの極みですね。

また、山口さんが外国からのお客さんをアテンドした時のエピソード。
電車から街中のあらゆるところで、日本は「○○するな」という禁止の表現ばかりじゃないかというその方の指摘。「○○しよう。しましょう」ということばがない。ことばをこんなにネガティブにしか扱わないなんて信じられないと。

「ひとに迷惑をかけてはいけない」
「○○してはいけない」
そんな、選択肢を奪う呪いの言葉に、私たちのまわりは(知らぬ間に)満ちているのかもしれません。能力の有無や多寡ではなく、呪いが能力を発揮させていないのかもしれない。日本は特にそれが強いのでは?と山口さんは仰ります。


自分にも、周りにも
"Quase・Quase・Quase!"

一人の地方公務員として、また迷いっぱなしの40代半ばのいち男性として、自分にも、自分が暮らす地域にも、この国にも、地球全体にも大変なことがこれから起きてくるかもしれません。
その時、「あ〜、あれがないからだ」「あのせいでこうなった」「人材がいないからだ」などと嘆き、自分も他者をも「○○してはいけない」と呪いで選択肢を奪い合うのではなく、『Quase(クゥワジィ)!』と口にする。口にし続けてみる。たとえ大変な状況になったとしても、その時、そこにいる人たちで、肯定的に励まし合いながら、呪いを解き、目一杯チャレンジしてみる。

この先の人生、個人として何ができるかは分かりません。少なくとも、私ひとりで、少子高齢化を止めることも、地球温暖化を止めることも、貧富の格差を解消することもできません。でも、これからの残りの人生、自分と周りのひとに『Quase!』『おしい!もう少し!ナイスチャレンジ!あとちょっと!』と、ことばをかけることはできる。自分を、まわりを励ましていくことはできる。若き研修生の中間発表を聞いて、こう思いました。
何をなすべきかのWhatはまだまだ暗中模索ですが、”Quase”という魔法のことばを口にし続ける人生にしようというHowは見つかった気がします。

忘れないように、Ryo ”Quase" Igariと、ミドルネームっぽく入れようかなw

役所の名刺にも入れようっかなw


お読みいただきありがとうございました。
もしよろしければ、♡いいねやフォローをよろしくお願いします。

WEBサイト https://igariryo.com
Facebook   猪狩僚
Twitter    @RyoIgari

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?