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深夜の事故

井苅はバイクで事故を起こした。
妹を家に送るため深夜に4車線の国道を走っていた。
深夜とは言え大型車も多かったし、周囲の巡行速度も速かった。
一部方面からは名車との声もあるホンダVTZ250と言えども、タンデムなので無理せず、井苅は努めて安全運転を心がけ用心深く慎重に走行しているつもりだった。
それでも事故は発生する。…

国道とは言え周囲に建物は少なく照明もほとんど無い場所だった。
『少し肌寒いな』と思いながら70~80くらいで走行していると約300m程先の信号が赤に変わった
井苅はバックミラーで後方も確認する。
前後の見える範囲に車輌が全くいなかった。
エンジンブレーキで徐々に減速、停止線のあたりでうまく停車する心積もりでシフトダウンし惰性走行する。
その途中でヘッドライトの明かりの隅の中央分離帯に何かが動いた。
進むか待つかどうしようかと迷いがあったようだったが、意を決し道路を横切ろうと駆け出すのが見えた。
「おい!ちょっとバカッ!まさか!オイッ!!出てくるな!!」
思わず井苅は声をあげる。
とっさにブレーキで減速したものの回避できる距離ではない。
後ろに妹も乗っている事だしいつもと勝手が違う。

『この状態でハンドルを切ったらこけるだろう』
『変な動きをすれば俺の腕前ではおそらくカバーしきれまい』
『妹が怪我することだけは絶対に避けなければならない』
井苅はブレーキを掛けながら直進するしか為す術がなかった。

一瞬相手と目が合った。
ライトを浴びた瞳はどんよりと光を反射し、済まなそうな批難するような後悔したような、複雑な色を湛えて上目遣いだった。
次の瞬間、前輪からの鈍い衝撃と感触が井苅の全身に伝わってきた。
「なんで飛び出してくるんだよ~!なに考えてんだッ!フツー前を渡るかよ!!最悪だ!!」

相手を轢いたのは前輪だけだったらしく後輪からの感触は無かった。
後輪はロックしたらしいが、幸い転倒する事は無くふたりとも無事だった。
停車すると井苅は前輪を見た。特に変形も無く血も付いてない。
そして後ろを振り返った。
遥か遠くに後続車の灯りがかすかに見える。
薄暗い路上には何も無い。
前輪で踏み潰したからそこに轢死体があるはずだった。
でもそこには何も無かった。
事故の痕跡すらなかった。
もとの速度に戻す気にもなれず、だらだらとした速度で現場を離れる。
何度振り返ってもそこには何も無かった。
今朝偶然に観たテレビの星占いで自分の星座が最下位だったことを井苅は思い出していた。

「なにを轢いたんですか?」
「ネコだよ、なんであの状況で飛び出してくるかね」
「何だかよくわからなかったですけどネコだったんですね?」
「最悪な気分だよ。もういやだ。なんで前後に車がいないのにわざわざ狙ったように…」

信号のある交差点を通過し、しばらく行った場所のコンビニによたよたとバイクを突っ込む井苅。
降りてから改めて前輪を見る。顔を近づけてよく見る。
何も無い。特に異常は見当たらない。
車体を隈なく点検するが、どこにも異常は無い。
立ち上がって煙草に火を点ける。 
「確かに轢いたはずなのに…」
「逃げましたよ」
「え?」
「ネコ?…は、ぶつかったあと民家の方に走って行きました」
「生きてたんだ!?」
思いもよらない事だった。てっきり轢き殺したとばかり思っていた井苅は信じられないと言った表情で妹を見る。
そういえば昔飼ってたネコが怪我をして帰ってきた事があった。
獣医によると「交通事故」とのことだった。
自動車に轢かれてよく生きていたものだと不思議に思ったものだが、バイクの前輪で撥ねられた程度だったら場所が悪くなければ大事には至らないのだろうか。
妹によると、ネコの走りっぷりはもの凄いスピードだったとのこと。
『俺はひき逃げ、ネコはひかれ逃げか…』。
煙草を挟んだ井苅の指が少し震える。

妹は井苅を見つめながら口を開く。
「でも、なんか…」
「え?」
「でもなんかたのしい気分でした」
「なにが…」
「今日はいちにちバイクのうしろに乗って、いろいろな処に行って、いろいろなものをながめて…、たのしい気分がここでピークに達しました」
「……」
「ブレーキがかかって、後輪がロックして…、ぶつかって衝撃が伝わってきて…、それで、ああ今日は楽しかったなっ、今日はいい一日だったなって…。そのときが一番のピークだったような…って思いました」 

妹の瞳はきらきらと輝き潤んでいた。
軒先の誘蛾灯が青白い閃光を放ちながらバチバチと音をたてた。


(初出:mixi/平成23.5.22/2024.4.8改稿)


旧ブログに下書きが残ってたのでとりあえず掲載しておきます。
これ、いつだったかなあ、2011年より前の出来事だったと思うけど。
初出mixiってあるけど今更掘り起こすのも面倒だしな…。
ともかく転倒しなくて良かった。
KM親方が「いいバイクが見つかったから「妹」を連れて見に来て」って言いだして、それで駅まで「妹」を迎えに行って、バイク見たりどこか行ったり食事したりでその後に「妹」の自宅まで送って帰る最中だった。
ネコがどうなったか知らんが今でも正しい判断だったと思ってる。
二人ともヘルメットとグローブ以外は軽装でプロテクター付きの衣類とか着てなかったし。
でも行きの圏央道でメーター目視140km/h以上出して走ったんだよなあ。
なかなか無謀な事してるよ。
でも「妹」はパッセンジャーとしては優秀だからとても運転しやすかった。
まあしかし、どこまでが事実でどこからが脚色、虚構かは今となっては思い出すことが出来ない。
(令和6.04.08)

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