ゾーンは注意のベクトルのバランスが作るのかも
脚本を書くということと、スポーツでよく言う「ゾーン」に入るということは、かなり近いのかもしれませんと。
僕はスポーツをする際、ゾーンに入るときは緊張感のある試合のときのみだったので、ある程度緊張(世界に注意を向けている状態)を感じていないと、ゾーンには入れないのかなと。
脚本の話に戻ると、物語を生み出すのは自分なので、自分の中に意識を集中しがちだったのですが、意外とうまく書けるときは「勝手に書かされている状態」、つまりゾーンに入っている状態に近いなと思うことがあったので、自分だけでなく、世界に注意を向ける感覚が共存していないと発動しないのかもしれません。
物語を書くという行為は、お人形遊びとほとんど同じだと思っているのですが、あれは自分が作り上げている人格であると同時に、世界に実在している(と本人はおもっている)人格なんですよね。このあたり関連していそう。
ゾーンに入る条件でよく言われる「緊張とリラックスのバランス」というのが、「自分と世界に注意を向ける量のバランス」のことなのかもしれない、という話。