KEYTALKのライブが観たくてKAWASAKI一泊二日プチ遠征記録〜蛇足編〜
《前回までのあらすじ》
今年六月、川崎で行われたロックバンドKEYTALKのライブに参戦すべく、重い腰を上げた引きこもり気味のロックバンドオタク五十嵐と友人一名。ビビりながらも足を踏み入れた欲望の街・川崎で数々のヌルッとしたレア体験を重ね、夜には待望のKEYTALKのライブで無事解脱・昇天をキメたのだった……!
■マジックリアリズム的表現
ライブハウスからの帰り道。もう何度往復したかわからない文化住宅への道を歩きながら、僕達は余韻にぼんやりとした頭と三時間の軽運動でギシギシの下肢を夕風に晒しながら歩いた。夜の空気の匂いが鼻腔から額の辺りまで抜けて、前頭葉がひんやりと潤う。
バンTの裾を揺らす心地好い風に身を委ねていると、さっき通り過ぎてきた道中のペットショップに灯りがついているのが目に止まった。こんな時間でも開いているとは、流石は夜の街。店先のウィンドウから小さな棚状になったケージの中でちょこんと眠っている仔犬や子猫が複数見える。
可愛いね〜そうだね〜と惰性で小動物を眺めていると、僕はその中のひとつに目を奪われた。
そこにいたのは、猫……のような、そうでないような、何か。
アクリルケースのようなケージの中央で背中を向けたそれは、なだらかな肩をゆったりとくつろげた半ば猫背な姿勢でぺたっと座り込んでいた。いや、猫なら猫背で当たり前なのだがこの場合“猫のようなそうでないような何か”だったので敢えて言及させて頂こう。
くたびれて丸まったピンク色の小さな毛布と、おもちゃらしきクマのぬいぐるみに囲まれたそれは、僕の視線に気がついたのかゆっくりとこちらを振り返る。
ほんのり赤色の入ったピンクブラウンの丸い後頭部。後れ毛がさらりと揺れて、細くて綺麗な首を更に華奢に見せている。
丸い頬、そして黒目がちな目。見覚えがありすぎる。と言うか畏れ多すぎる。そんな感想を覚えざるを得ないそのかんばせが、はっきりとあらわになった。
それは、ヒトの姿をしていた。しかしその頭にはマンチカン猫のような折れ気味の小さな耳が生えており、ついでのように尻尾もついている。
その“猫のようなそうでないような何か”は呆気に取られる我々を見上げて徐に口を開き、聴き慣れたよく通るハイトーンの甘い声で、呟くように言ったのだった。
「にゃーん」
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鼓膜のカーテンを些か乱暴に開くG線上のアリア。昨夜、文化住宅の部屋に帰ってから相方が早速かけた目覚ましアラームのサウンドである。
僕は枯葉の山から顔を出すミノムシのように布団から這い出て、カーテンを開け「マダムの園」に挨拶した。よう、おはよう。二日間世話になったな。
程なくして充電器に挿していたマイスマホから、『ロトカ・ヴォルテラ』が流れてきた。早起きな相方がシャワールームから顔を出して「何事!?」と問う。
五十嵐「ごめ、僕毎朝これで起きてんだわ」
相方「それは素敵なご趣味で」
そこで僕は、ああ、と気がつく。
あんなドイヒーな夢を見たのは、きっと昨日の帰り道で相方と実際に交わした、あのやり取りのせいだなあ。
相方「ねえイガラシ」
五十嵐「なんやで」
相方「もしも義勝さんが猫だったらどうする?」
五十嵐「……!?」
相方「サイズ感は猫と一緒なの。そして他のひとには猫に見えている。でもイガラシには義勝さんに見える。そこのわんにゃんパラダイスで売ってて、値段は三十万ぐらいかなあ」
五十嵐「……それは最早単なる猫なんじゃないのかなあ」
と言うか僕が単なるジャンキーなんじゃないのかなあ。
■カルネヴァーレな乾杯を
マダムの園にさよならバイバイした後、近場のファミレスで朝食を食べ、前の日にスルーしてしまったチッタデッラを散策した。時間があまりなかったとは言え川崎まで来てわざわざヴィレッジヴァンガードへ行くオタク。川崎まで来てわざわざヴィレヴァンでフランスのバンド・デシネを買うオタク。そしてチッタの決して広くはない敷地内で迷子になりかけるオタク。迷子になりながらランチ時過ぎにチッタを抜け出し、えっちらおっちら駅前まで戻ったのだった。
前回の横アリ遠征の際に味をしめた我々は、今回も何処かオサレなカフェーでちょっとした打ち上げをしてから帰路につこうと画策していた。そんな中で見つけたのが、店内に謎の牛の置物が点在しているイタリアンカフェー。
ここ、店名が「カルネヴァーレ」と言うらしい。この店名に懐かしさを感じたらきっと我々と同世代ですね。クフf……言わせねえよ。
とはいえ朝っぱらからモーニングメニューのドリアなぞがっつり食べてしまったためあまりお腹がすいていなかったので、揃ってデザート・ドリンクセットを頼む我々。バニラが強めに効いた甘いアイスに濃いめのエスプレッソをかけたアフォガートがとても美味しかった。アツかった夜の余韻で火照った身体がゆったりと冷めていく。
あらヤダまた火照っちゃったわ。牛さん達ったら大胆ね。
とても雰囲気の良いオシャンティーなお店だったので、また機会があったら、普通にランチとかしてみたいです。
■エピローグ〜私にとって遠征とは〜
遠征に出た時のオタク、グッズ買ったりその前に勢いでチケット取ってたりするからあまりお金が使えない。五十嵐達も実際、今年の川崎でも昨年の横アリでも、その他に目立った観光地的なサムウェアに行ったりはしなかった。駅ビルのヴィレヴァンでイェーイして駅ビルのカフェーで優雅に打ち上げ。それだけである。実はどうせ川崎まで来たのだから、藤子・F・不二雄先生の大ファンである相方を藤子不二雄ミュージアムにでも連れていこうかとも思っていたのだけれど、翌日になったら流石にそんな体力も金銭的な余裕も残ってなかった。クラブチッタで全力疾走し過ぎ。
今回の文章はとりあえず旅行記として書き始めたのだけれど、正直県境ひとつ越えたぐらいで旅行もへったくれもなかろうとも思う。目立った観光地に足を運ぶ事もなければ、温泉なんかにも入ったりしない。大したインスタ映えも捕えてないし。牛さんとカエル夫妻ぐらいかな、強いて言うなら。
今回の我々のように関東近郊のプチ遠征の場合だけではない。遠くのライブ会場やイベント会場を目指してはるばる旅立つオタク達も、ゆったりと長期の休暇を取って観光地を巡ったりするひとはそれ程多くないんじゃなかろうかと思う。夜行バスで駆け足のように駆けつけたり、旅費の節約のためにカプセルホテルをとったり、安くて綺麗なネカフェを探したり、自家用車での夜間移動でドライビングスキルが格段にアップしたなんてオタクも中にはいるのではないだろうか。そのアグレッシブさと涙ぐましい努力には本当に頭が下がるし、一泊二日程度でビビりまくる己が恥ずかしくなる。
では、何故我々オタクはそこまでして遠征するのか。
全ては“推し”のためである。
“推し”の、二度と拝めないその土地での勇姿をこの目に映すためである。
それは一瞬の感動だ。円盤化でもしてくれれば別だが、録画撮影して手元に残しておく事すら出来ない。と言うかたとえ撮影出来たとて円盤になったとて、そこにはライブハウス特有のあの熱気、高揚感、二酸化炭素が些か多い空気の匂い、目を射るような照明の眩しさや下から見上げるミュージシャンの圧倒的な存在感は残しておけないものだ。あれからもう三ヶ月経った今となっては、あの夜のクラブチッタに充満していた空気の構成成分まで言語化して再現出来ない事に、僕はとてももどかしさを感じているぐらいだ。
これをわかり合えるのは同じオタクだけだし、同じ景色を見た同志だけだろう。そして、そんな同志が期待と不安に胸膨らむ旅情の隣にいれば、更に良い旅になるに決まっている。
帰りの車窓に見えた、夕陽を浴びてきらきら煌めく江戸川の水面を眺めて何やらご機嫌だった名探偵コナンにハマっている相方の笑顔も、カルネヴァーレでコーヒーが来る前に何をとち狂ったのか水しか入っていないバカルディのロゴの入ったグラスで意気揚々と乾杯した瞬間も、ライブと同じぐらい大切な一瞬だ。多分一生忘れないだろう。
もう一週間後にはまたライブの予定が決まっているし、奇しくもまた初めて行く土地での参戦だ。今度は遠征ではないけれど、また良い想い出が作れたらと思うし、遠征もまたしてみたいと思う。
それでは、長文・乱文大変失礼致しました。サンキューフォーリーディング。
《おまけ》
帰り際、川崎ルフロンでお見かけしたゆるキャラ「ルフ子ちゃん」。ひと目見た瞬間に相方が「口元がアカン感じ」と言っていたのだけれど、五十嵐は心が綺麗なのでよくわかりません。何かが見えた方、五十嵐までご一報を。
(おわり)