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天職



臨床検査技師

30年前、「白衣が着たい」のと「実験みたいでおもしろそう」という甘い考えで臨床検査技師の専門学校へ。学費も高かったし、学校も遠かった。授業も難しくて思っていたのと全然違った。1年生はほとんど座学で、2年生から実習(実験)もあり念願の白衣を着る事ができたが、実習後は必ずレポートを提出しなければならない。

ほとんどが血液検査であるため、学生同士の採血から実習は始まる。自分の採血が終わらないと実習が始められない。腕はアザだらけ。検査機器は2台しかなく取り合い。下校は19時過ぎることもあった。バイトする時間があったら勉強しなさいという学校の方針。よく頑張ったな、自分。
小学校時代のピアノ教室も高校の部活も途中で辞めてしまった。だから今度は途中で辞めるのはよそう、と頑張った。病院実習も国家試験もなんとかクリアし、臨床検査技師になれた。

検査センターではなく、病院勤務がしたかった。ただ検査するだけではなく、一人一人の患者さんのデータを見ていける検査技師になりたかった。

不妊治療との出会い

そんなことを漠然と考えていたら、両親の友人から産婦人科クリニックでの求人紹介してもらい、院長と面接。
体外受精ができる施設を作る予定で、体外受精をやってもらいたい、と言われた。当時はやっと日本での顕微授精による赤ちゃんが誕生して数年しか経っていない頃だった。
頭の中は「?」だったが、「興味があります。やりたいです。」と即答していた。
実際にはすぐには体外受精の仕事は始められず、それまでに患者さんや新生児の採血や検査、妊婦健診のエコー検査、外来診療介助などが主な業務だった。

ただその中でも、不妊治療を担当している医師が患者さんへの説明をしているところに同席させてもらって、不妊に悩んでる人がいる人がたくさんいることや、月経不順という不妊原因を持ちながら通院している同年代の患者さんがいることを知り、専門学校では習わなかった「不妊検査」「体外受精」について勉強するようになった。全て自分の身体に直結することであったため、学生時代以上に吸収していた。また採血に来る患者さんが泣き始めてしまうことによく遭遇し、どう声かけしていいのか、と困っていた時に「不妊カウンセラー」のことを知り、資格を取得した。資格を取得するまでの養成講座が本当に勉強になり、「不妊治療の基礎知識」から「カウンセリング」について幅広く学べた。今でもなるべく受講し知識のアップデートをしている。

3年後にいよいよ体外受精を行う設備が整った。有名な不妊治療施設に見学に行ったり、ハムスター卵で練習したりして準備を整えていった。今でいう「胚培養士」の業務が始まった。
朝も早く、検査技師と兼業だったため、とても忙しかった。
その頃のことは20年以上経った今でも夢に出てくる。どの順番で業務をこなそうか、という寝てても全然休まらない夢を数ヶ月に1度は見る。

顕微授精

当時のクリニックでは顕微授精という、精子を直接卵子に注入させる専用の顕微鏡がなく、通常の体外受精しかできなかった。精子が少ない方や、受精しにくい方は、顕微授精を実施しているクリニックをご紹介し転院していただいていた。それがとても悔やまれて、院長に「顕微授精ができる顕微鏡が欲しい」と直談判したが「それは神の領域でしょ」と言われ却下された。

人生初の転職

ここにいては中途半端な仕事しかできないと思い、顕微授精のできる施設へ転職した。新卒から10年勤めたクリニックだったため転職自体が不安で、年齢も30歳を超えていたため、新たな環境へ適応できるかも不安だった。
でも今やらないと、一生「胚培養士」になれないと思い、住み慣れた街からも離れ、自分を追い込むように転居&転職した。
友達とも家族とも離れ、恋人とも別れた。全てリセットしたくなった。

胚培養士

やっと、やっと胚培養士と言えるような仕事ができるようになった。
顕微授精はもちろんのことTESE(精巣内精子回収術)に立ち会って精子を回収し、その精子による顕微授精を実施したりもできるようになった。
男性不妊外来もあり、幅広い治療ができるようになった。
他施設の培養士さんや業者さんにたくさん助けてもらって、ここまできた。
やりがいのある毎日だった。
患者さんも生まれた赤ちゃんを見せに来てくれたり、また培養業務の傍ら、「不妊カウンセリング」も行えて、患者さんとたくさんお話しできる機会もあり充実していた。

よく他の培養士に苦手な業務はありますか?と聞かれるが、胚培養士の業務は全部大好き。新人培養士の業務とも言われるの精子処理も精液検査も、培養液の調整も大好き。前日準備も片付けも好き。
顕微授精はもちろんのこと、TESEの精子処理も、胚移植、凍結、融解も好き。患者さんとお話しするのも大好きだし。これが「天職」というのだろう。

色々あって、今は胚培養士最前線にはいないし、すべての業務を行えていないが、日々の培養士業務を愛しく大切に、後悔しないように行っていこう。
あと何年携わることができるかわからないし。


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