『1R1分34秒』何もできぬならただ素直に vol.619
タイトルからボクシングについての本であることは分かるのですが、これがどういった芥川賞らしさを醸し出すのか、少し楽しみな本でした。
実際のところ、なるほど、主人公である「ぼく」の感情にリアルに人間味が溢れており、一人の人としての不完全さを除ける作品だなと感じました。
この本の書評を書かれている方の言葉を見てみると、何だか、力をもらったとか、前へ進めばいいんだとかそういった類の感想が多いのですが、本当にこの本はそんなことを伝えたかったのか、、、。
私なりの解釈も含めて感想を書いていきます。
不完全な「ぼく」という存在
本の中に出てくる主人公の「ぼく」はボクサーとして華々しいデビューを飾ったはいいものの、負けが続き周りからも最初の光り輝く目では見てもらえなくなっていきました。
その中である焦燥感や不安感も垣間見れるのですが、ぼくはそれをただ原動力にできているわけではありません。
ただ、何となくルーティーン化されている日々のボクサーとしての取り組みを行いつつも、自分自身の存在に対しての悲哀、失望感を感じているのでした。
それもまだ人間らしさを感じるのですが、彼はどこか自分の感情を出せない、出してもどうにもならないという感覚を感じます。
しかし一方で友人にカメラを向けられた際には、自分の思考を包み隠さずに表現できる、試合に負けた直後なのに女性に手を出せるほどの余裕がある、そしてそのガールフレンドにはまるで子どものように不安を吐露する。
こういったどこか人、大人としての不完全さに自分の一部を感じる時もあるのかもしれません。
ネガティブ思考が原動力に
試合に勝ちたいと思わずにリングに登るボクサーはいないはずです。
しかし、その勝ちたいには人それぞれの熱量があるはずです。
ぼくはその熱量をとことん削がれてしまっている状況でした。
こういった時、自分自身を取り戻すためには何が必要なんでしょうか。
多くの場合、それは誰か信頼できる人がそばにいたり、休養の時間があったりということになるでしょう。
主人公のぼくの場合も同じく、まずそばに人がいました。
ウメキチがいて、友達がいて、ガールフレンドがいて。
そして、どこかのタイミングで負けることの恐怖感と嫌悪感を凌ぐために変わっていくのでした。
ただ素直に身を任せ
そうはいっても、ぼくには何からどう直していけばいいのか、負けないで入れるのかは分かりません。
だから、あえて素直になりきり自分にかけてくれている人にかけるという選択をしたのです。
ある意味では無責任な選択でったとも言えるでしょう。
自分自身のことであるはずなのに、自分自身で考えるのは放棄し他人に任せる。
逆にいうとそれだけの人望があったと捉えてもいいのかもしれません。
その素直さが結果的に明るい未来をぼくに引き寄せたのでした。
最後の数行は物語の大半に関わってきます。
私はこれらは全て記憶の話であるのかもと思いました。
そして、負けるたびに減量期の辛い自分の記憶を消していた考えられなかった自分自身との対比がこの本をもって生まれているのかもしれません。