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学習指導要領っていりますか? vol.322

対話の先生塾では毎週火曜日21:00から教育に関心のあるメンバーで、対話を行っております。

本日の対話の先生塾は読書会でした。その名も読まない読書会。

「学習指導要領の未来」という本について紹介させていただきました。

日本の学校教育の根幹である学習指導要領がどのような変遷をたどり、何を目指してきたのか、そして、これからどこへ向かうのか。 大きな影響を与えてきた生活科の新設、総合的な学習の時間の創設、そして探究的な学びの推進に焦点を当てながら、大胆に描く!

何が書いてあるかではなくて、何を伝えたいのか

究極、学習指導要領を読み解くのは大切ですが、結局のところそれを教えるのは一人の人間です。

指導要領を通して一貫した教育や思想を伝えていくのも大事ですが、本当に必要なのは、それらの知識を使う知識。

生きる力とは、生命を持続させるという意味だけにとどまらず、活きる力でもあるのです。

それらの根幹にあるのが学習指導要領なので、指導要領を全くの無視というのはあり得ませんが、これから必要だろうなと考えた時の力は必ず指導要領に載っているはずです。

実際のところ、学習指導要領にも「〜好ましい」や「できるだけ〜」といった曖昧な記載よりも、「〜すべき」といった、どちらかというと強制的な語尾がある分、それを重要視している姿勢が窺えるでしょう。

その思いを汲めないところが最大の問題のようにも感じます。

実践的なところに光が当たる

結果として、難しい指導要領よりもわかりやすく真似のしやすい実践的な成功例に走ってしまいます。

それらを実践していくのも当然学びにも成長にもつながるのですが、私たちは学習指導要領がどんなふうに変化があったのかを知るべきです。

例えば、学習指導要領と聞くと何でもかんでもきっちりとやらなければならないというイメージを持つかもしれませんが、実はそんなこともないのです。

もともとは指導要領は国で統一する部分はあるけど、地域性も大事にしようねという名目のもとなりったたものです。

それが時代の流れとともに、学力観の見方が出てきてある一定の水準の教育を担保しようという流れになり、教育に統一性を求めるようになったのでした。

もしかしたらこれが、詰め込み式教育の原型となっていたのかもしれません。

そういった背景を知った上で教育を考えるとまた違った見方ができます。

例えば、学校長というのはある程度裁量権があるのに、どこもかしこも右向け右で同じことをやりたがります。

今でこそ有名になった工藤勇一先生。

彼のやっていることは、実はどの校長だってやろうと思えばできることでもあるのです。

そう考えると、「なぜやらないの?」が真っ先に出てくる気がします。

問いただしてみる

指導要領が大事。

そんなことは誰だってわかっているんです。

でも、読めない。

それはやはり先生の忙しさに原因があるのでしょう。

読めるだけの時間を作ることもできない。

結果として学習指導要領は何か学習の基盤になっているというよりかは、踏み外さないためのガーターの補助のような役割にしかなっていません。

もしかしたら、それにすらなっていないのかもしれません。

教科書が1種類ではなく、幾つも種類があるのはなぜでしょうか?

各教科書会社で伝えたい比重が若干でも異なり、伝え方も異なるからです。

つまり、教科書を教えるのではなく、教科書で教えることに重きを置いている表れとも言えます。

そうはいっても、学習指導要領を読み込んでいれば、その先生はいい先生なのでしょうか?

目の前の先生に全力を尽くしていれば、学習指導要領なんていらないという考えも世の中にはあります。

それでは、守破離の守の部分が学習指導要領なのでしょうか?

さまざまな解釈ありますが、今一度学習指導要領の本当の意味を問いただしてみる必要があるのではないでしょうか?


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