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『ヤクザと家族』生きる場所を探して vol.265
ヤクザものの映画を見ることは特に普段ないのですが。
ないというよりかは、そもそも興味の外にあるので、あまり見ようという気にはなりません。
ただ、その中でもダブルフェイスという覆面の限定ドラマが好きで、たまたまそれを思い出したのと、おすすめに出てきたので、見てみました。
『ヤクザと家族』ヤクザの家族が織りなす話かと思いきや、物語はたった一人の青年からの始まりでした。
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1999 年、父親を覚せい剤で失った山本賢治は、柴咲組組長・柴崎博の危機を救う。その日暮らしの生活を送り、自暴自棄になっていた山本に柴崎は手を差し伸べ、2人は父子の契りを結ぶ。2005 年、短気ながら一本気な性格の山本は、ヤクザの世界で男を上げ、さまざまな出会いと別れの中で、自分の「家族」「ファミリー」を守るためにある決断をする。
変わる時代、生きる場所
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ポスターにもある通り、この映画はヤクザ社会と時代背景が映し出されます。
特に、2012年の改正暴力団対策法をきっかけにして変わってきた社会のようすが描き出されています。
両親を亡くし、路頭に迷っていた山本賢治(けんぼう)がヤクザに拾われ、義理と人情に生きる道を手に入れましたが、それを貫いたことで刑務所から出た際に自分の居場所が見つけられなくなってしまうのです。
時代と共に変わる社会と、私たちの生き方や生きる場所を問いかけているのかもしれません。
タイトルにある”家族”は、けんぼうの家族だけでなく家族の意味、家族とはなんなのか、何をもって家族というのか、そんな家族の定義を考えさせられるものでしょう。
生き方を変えるも許さぬ世間
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社会が変わりヤクザにとっては肩身が狭い世の中でもけんぼうは、その中でも生きる道を探そうと必死になります。
これまでの生活ができないことを知ったけんぼうは”普通”を追い求めます。
それを受け入れてくれることもあれば、受け入れてくれないところもあります。
結果としてけんぼうは、出所したことがきっかけとなって周りの人を不幸にしてしまい、厄介払いをされる形で行く場所を失ってしまうのです。
同じ過ちを繰り返さない
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幼い頃にお世話になり、けんぼうを慕う青年もいました。
その青年は復讐を誓い、かつてのけんぼうと同じように復讐相手を殺すことを決意します。
それをけんぼうは肩代わりするのでした。
そこには、かつての自分と同じ過ちを起こさせない、過ちの輪廻はここで断ち切るという、贖罪のようにも感じました。
ヤクザ社会については全然わからないのですが、そんなヤクザの一人に共感できる映画でした。
それは、その映画の中のヤクザとしての生き様に共感するというよりも、自分と重なる部分を探してです。
何がどうすればいいのか自暴自棄になってしまう自分、何か信じるものに救われ貢献したいという自分、周りの変化に追いつけず居場所を探す自分、何かに縋るような気持ちの自分、下の世代や後輩を思う自分、、、。
いろんな立場が見えるからこそ、そこと重ね合わせてみることができるんだろうなと思いました。