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生徒への貢献はやはり燃えるものがある vol.820
私は結構目立ちたがり屋です。
何かと自分の活動を誰かに話そうとしますし、こんなことをしていますよと自己顕示欲も高い方なのかもしれません。
それでも、誰かに貢献をするというのは誰かを立てたり、背中を押してあげるということがほとんどです。
逆もまたありで誰かのセーフティーネットになってあげたりということもあります。
私の今やっている組合の委員長はまさに後者の方で、もうそれはなんだか飽きてしまいました笑。
今日は先日のイベントの実施で感じたことと、貢献について考えていきます。
大人に貢献、環境に貢献、燃えないねぇ
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いま、組合の委員長という職務に全くもってやる気が起きません。
それこそ、職場の労働環境を整えるために一致団結して良いものにしていこうという組織なのですが、なかなか職場風土が変わらずで。
ただ、変わらないだけなら、自分で頑張ろうとなれるのですが、それだけではありません。
私自身は今の職場環境に全くもって不満がないわけです。
唯一あるとすれば、無能かつ低脳な管理職が鎮座していることぐらい。
それ以外に不満な点はないわけですから、確かに変えた方がいいだろうなと思っているところが見えていても、自分ごととしてよくしようと思えないわけです。
一方そこに不満を感じている人も、動くのは口先だけ。
こんな環境下でなんで誰かのためによくしようと貢献をしなければならないのか、正直全くもって熱意もクソもなくなりました笑。
いい環境、いい時間、いい機会を少しでも提供して
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一方で子どもたちのためにより良いものをと思った時には、見返りや自分の時間を犠牲にしてでもやってやろうと貢献心が働くわけです。
先日のイベント「かながわ・ゆめ・みらい」についてもそうでした。
運営のひとりとして関わらせてもらいましたが、イベントの当日までひやひや、ストレスも多く正直メンタルもだいぶやられていました笑。
その中でも子どもたちにより良い経験をしてもらうためにという一心で多方面でサポートに積極的に回れたのはまさに貢献心だったのではないかなと思います。
そして、そこに非常にやりがいを感じていました。
冒頭で目立ちたがり屋と言いましたが、このイベントにおいて私たち教員が表に立つことはありませんでした。
それでも終わった後の満足感は、なんとも言えないものでした。
貢献心が燃え上がるところに情熱を
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でも今はそれでいいのかなと思います。
無理に自分のやりたいことを押し殺してまでやるべきことに注力するよりも、貢献心や信念により近いものに力を注いだ方がよっぽど楽しいです。
たとえそれが誰かに認められたりせずとも、自分はそれがいいと思ってやっているわけですし、そこから生まれるものも大きいと思っているわけですから今は理解してもらわずとも関係ない。
本当はこう言ったことも、周りに話しながら協力者を募って、、、とした方がいいのかもしれませんが、まだ私は自分でやった方が楽しいし、誰かをそんなふうに育てたいとも思いません。
そこには貢献心よりも義務感が働いてしまうからです。
さてさて、来年、再来年とまた楽しみができました。