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技術と文化のかけっこ競争 vol.163

世の中の進歩は目覚ましいもので、ここたった数年の中でも、多くの技術が進歩してきました。

私たちは常にその目まぐるしく進歩していく技術変化の中に身を置き、日々生活をしています。

しかし、その中でも200年近くその姿形を大きく変えずに、社会の中に共存している場所もあります。

学校です。

学校の形、いわゆる先生と呼ばれるものが生徒へ向けて教授する構造は大きく変化せずに今も存在しています。

学校現場と社会の変化

青空とマンション

ここ数年で顕著に学校現場と社会の変化の違いを感じられたのは、コロナ禍におけるICTの普及でしょう。

オンラインウェブ会議が当たり前になり、在宅勤務が増えた社会の中でも、学校はオンライン授業を一時的な解決策と位置し、あくまでも生徒に登校をさせて学ばせることを追求しました。

当然、登校して学習をした方が学習効率も、できることも増えると感じるのは無理はありません。

学校では、教科的知識を学ぶだけでなく、共生や集団行動といった社会の中に溶け込める術を学んで行く場所でもあるからです。

しかし、ここに僅かの違和感があります。

社会ではオンライン上での業務処理が当たり前になりつつある中、学校ではそれとは逆を追求し続けています。

では、学校は社会の練習という名目はどこへいったのでしょうか。

まさに学校という根深く息づいた文化による弊害なのかもしれません。

果たして場所は必要なのか

エントランスホール

ともなれば、学校に集まるという概念は必要なのか。

これには私は断じて必要だと宣言します。

学校でしかできないことも浮き彫りになりました。

実験や実習、人の温もりを感じる瞬間、視覚聴覚以外の感覚を共有する場。

たくさんのものが見えました。

これこそが、学校という場所で実現し提供できる最高のものなのでしょう。

今の学校にある文化はこれを消していないでしょうか。

もはや、既存の文化は文化としてではなく、過去の歴史にすべき時がきているのではないでしょうか。

変化の遅い教育現場を卑下するつもりは一切ありません。

しかし、技術と文化は常に追いかけっこをしている必要があります。

技術の進歩に文化が取り残されては、まさにSF映画や漫画のようなAI社会に取り込まれてしまうことでしょう。

教育は永遠に解明されない究極の研究テーマ

本 黒板 街並み

私たちは自然、社会や技術進歩にのっとり、生き方やあり方を選択し続け、変化してきました。

教育は人を育てる職、否、未来を創る職です。

学校の元で学ぶ子どもが未来を創っていきます。

ともすれば、私たちがすべきことは記録や人類の知見として残留している教科的内容を教える以上に、文化や社会を伝え、そこを生き、新しい価値観を創り上げていく人の育成にあるのではないでしょうか。

これは、時代とともに変わり続けます。

今は正しいと思うことが数年後には完全い一蹴されている可能性もあるのです。

”教育”は永遠の研究テーマです。

学校という場所のみに限らず、社会全体が次世代を教育していく責務を背負っているのでしょう。



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