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『チーズはどこへ消えた』新しいチーズを探すために(55日目)

皆さんは、予想だにしない変化が訪れた時、その変化に対してどのように対応しますか?

スペンサージョンソンが著した『チーズはどこへ消えた』という本をご存知でしょうか?

20年以上も前に発行された本ですが、本日初めて読みましたので、その感想をまとめます。

振り返ることで自分の立場を理解する

立場の違い

この本には4つのキャラクターが出てきます。

それぞれ特徴のあるキャラクターですが、その性格も物事の捉え方も大きく異なります。

ある大きな変化が起きた時に、その変化を察知している者、すぐに行動に移す者、最後まで頑なに変わらない者、動かなかった自分を嘲笑い行動に踏み切る者。

1つの物語としても十分に楽しめますが、この本は社会の中での自分の立場、いや社会構造そのものを表しているのです。

まず、自分を振り返りメタ認知すること。

自分自身のこれまでの行動や言動を振り返った時に、どのキャラクターに当てはまるのかを考えることで、大きく見え方が変わってきます。

そして現状を理解すること。

いま自分はチーズを見つけたところにいるのか、そのチーズに満足してしまっているのか、チーズが腐っているのか、なくなっているのか、探しているのか。

そうすることで、次の自分の行動が予測できるのです。

私はいま、この本を読んで何か行動を起こしたいと思うようになっています。

それは、私の中にあった”すぐに行動に移す”という気質が呼び起こされているのか、もしくは、”動かなかった自分を嘲笑っている”からこそ、動こうとしているのか、どちらなのかは分かりません。

でも、間違いなく行動を促す読書時間になりました。

チーズは幸せの象徴ではない

四葉のクローバー

この本では生きるために必要なチーズを探します。

私たちは成功や、富、名声、権力など、目に見えるいわゆる幸せと言われるものを追い求めてしまう時があります。

しかし、それは本当の幸せなのでしょうか?

成功に溺れれば、失敗を恐れチャレンジできなくなります。富に溺れれば、富でしか物事や人を見れなくなります。

なぜ、そのチーズを探すのかに真の価値があるのです。

生きるためにチーズを探すのか、チーズを探すために生きるのか。

ここで表記されるチーズは一つのゴールとして描かれていますが、あくまでも目的地ではありません。

チーズを探していく中で、自分がどのように感じ、どう生きていきたい、どう在りたいと思うのか、そこを探し求めていくことこそが、本当の幸せにつながるのです。

理想のチーズを常に想像し、追い求めることを楽しむ

チューリップ

だからこそ、その過程に重きを置く必要があります。

結果は多くの失敗や経験、成功を重ねてきた時に得られる副産物でしかありません。

常に自分の理想のチーズを思い描き、そこに向かって自分がどのように進んできたのか、進んでいくのか。

その道筋にこそ、自分の大切なものがたくさん転がっています。

置いてきた仲間をどうしたいのか

寂しい 自転車

私がこの本を読んで、最も引っかかったのがチーズを無くし、希望をなくしたヘムについてです。

彼は、最後までチーズを探しどこかに旅立つことはしませんでした。

餓死するかもしれないと分かっていながらも、変わることのない現状に、いつかはチーズが戻るだろうと淡い夢を抱き続けます。

これまでも、今でもそういった人たちと自分はどう関わりたいのかとわからなくなる時があります。

今は、「自分は自分、相手は相手。変わる人は変わる。変わらない人は変わらない。」と割り切れているつもりですが、本書のキャラクターは最後までヘムを想います。

この箇所だけは自分の中でもうまく解釈ができませんでした。

この本は、その仲間に対してどういったことを伝えたいのか。

「自分で気づくしかない」というような一文がありますが、この裏に隠された感情は読み手によって大きく変化するのではないでしょうか?

本当は助けに行きたい。伝えたい。分かち合いたい。見捨てたくない。

逆に、何を言っても無駄。まずは自分が変化する。他人は変えられない。

どちらにも捉えられるような気がします。

私自身、教員仲間に対して同じように常に迷いの心があります。

この気持ちと対峙していくという大きな宿題が見えた中で、この本の感想をしめたいと想います。

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