頭が良くなったわけではないんだけどな、、、 vol.887
中1から教えてきて、いよいよ高3。
教えている内容も多くなり、寡黙性も強くなってきています。
そんな中で物理を教えているわけですが、これまで教えていなかったわけで予習は大変ですが、改めて物理を勉強していると思うこともあるのです。
高校生の時はほとんど理解もできていなかった物理ですが、大人になって改めて学習すると、不思議なもので対して難しいと感じなくなっているわけです。
頭が良くなったわけでもないのになぜそう感じるのか、今日はそんなことを考えてみます。
学ぼうとする姿勢?
一つには学ぼうとする姿勢が関係しているのかもしれません。
高校生や大学生の頃は自主的にではなく、どちらかというと学ばなければならないから学ぶということが多かったです。
しかし、今は自主的に学ばざるを得ない状況。
それもどちらかというと姿勢的には変わらないのかもしれませんが、誰かに教えるということが前提になっている手前学び方も変わっているのかもしれません。
分からないことはなんとなくの状態にしておかず、自分が納得をできるまで理解しようと努める。
だからこそ、いままで学んできた物理よりも納得感を持って学習ができているのかもしれません。
別に頭の中身は変わっていなくとも、物理学に対する姿勢が変わったというのが大きいのでしょう。
単純に慣れ
あとは単純に慣れというのがあるのかもしれません。
数年前に比べて、物理に触れる機会が純粋に増えて物理というものへの免疫ができたのかもしれません。
これは高校生の時の大学受験勉強とも感覚が似ています。
分からないことでもやり続けることで自然となぜか、できるようになっていってしまっているという。
有効数字に次元解析、公式に計算、あらゆる観点について物理というものについて慣れが生まれているわけです。
そう考えると、どんなことでも時間と姿勢さえあれば、人並み、いやそれ以上に理解してそれなりの実力を養えるのかもしれません。
一方でそれがつまらなくなることも
まだ私にとってはだいぶ先になるのかもしれませんが、いずれ教えられることも網羅してほとんどを見えるようになるのかもしれません。
自分の理解、教授法、全てを含めてということになると、相当な時間は経つのかもしれませんが、限界を近くに感じながら数年間も仕事をするような日々も続くのかもしれません。
それはそれでいいのでしょうか。
なんとなく自分の性分を考えると、そんな仕事を続けられるのかなと不安も感じます笑。
だからこそ、今も物理だけでなくいろんな範囲で学びを続けて吸収しようとしている。
高校物理学の範囲の中で治るのは勿体無いなと感じてしまってこの先何か選択をするのであればそれもそれで面白いなと。
今日はそんなことを思いました。