『学校はなぜ退屈でなぜ大切なのか』じゃあどうすんのさ!? vol.534
気になっていた本を読みました。
『学校はなぜ退屈で大切なのか』。
読もうと思ったきっかけは、生徒の学校が退屈というひと言。
そんなものか、自分は学生時代ずっと面白くて楽しくて生きてきたからな〜と思い、じゃあ何が退屈なのか、と考えてこの本を読んでみました。
本を読んでの感想をまとめます。
言いたいことは分かるけどね
この本を読んで率直に感じたのは、ただ単純にひたすら長い持論を聞かされているな〜といったもの。
確かに本というのはそういうものなのかもしれませんが、それだけではない気もするのです。
まとまりがないというか、意見に一貫性がないというか、何を伝えたいのかわからないというか。
まさに退屈なのもわかるし、大切なのはわかるけどね、、、と言ったところで思考が止まってしまいました笑。
ただ、現代の教育に対する問題提起を、しっかりと論文などの確証を持って提起してくれているので、そう言った部分についてまだあまり見えていなかったり、そこを整理していきたいと思っている場合にはキッカケになる本でしょう。
事実から何を生み出せるのか
筆者は自分自身も研究を重ね、さまざまな研究結果から現在の実情を書き記してくれています。
しかし、これらは事実。
それらの事実をどのようにすれば良いのか。
これが非常に難しい。
学校現場にいる少数の教職員は分かっています。
分かっているけど、どうにもできなくてもがいているのです。
そんな現状をどのように打開すれば良いのか。
残念ながらそこについては詳しくは触れてくれていませんでした。
だからこそ、私たち教職員、そしてこれを読んだ子どもたちにどうしていくべきかを考えさせるためにあるのかもしれません。
先生、なんで学校に来る必要があるんですか?
では、改めて子どもにこの質問をされたら自分ならなんと応えるでしょうか。
私の答えはやはり、
「学校に来る意味、それは自分自身で決めるもの。そして決めたのであればやり切ること。どんなに退屈なことでもやり切らないと分からないこともある。やり切った先により広い世界が見えることもある。」
こう伝えるでしょう。
今の時代、学びは学校でなくてもいくらでもできます。
誰かと協働したりしてその中で学ぶのが大事というのもあるかと思いますが、それすらも大人のエゴだと私は思います。
そんなもの、得意苦手があるし一人で黙々と学びたい時だってあります。
だから、結局のところ学校は一つの選択肢でなければならないと思うのです。
でもやると決めたならやり切る。
こればっかりはやり切らないと分からないと思うからです。
自分になんかできないと思っていたけど、意外とやってみるとできたしそれが大きな自信につながるというのはよくある話です。
この本はそう言った自分で問いを作り出し、そしてそれに対する答えを見つけ出すところまでを求めているのかもしれません。
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