見出し画像

やる気にさせるが1番難しい vol.913

「できない子」と「やる気のない子」、皆さんに教育を選ぶ権利があるとするのならどちらを選びますか?

また、どちらの方が難しいと感じていますか?

私は圧倒的に後者の方が難しいと感じています。

私の中のイメージは、「できない子」は目的地はあるし地図も持ってるけどその読み方がわからない状態。

「やる気のない子」は、地図は持ってようと持ってなかろうと、そもそもどこかに向かう意図がない状態。

ここから、目的地に連れて行く難しさは自明ではないでしょうか。

今日はそんな教育観について考えたいと思います。

「できない子」は経験と先導者がいれば良い

勉強やら何やらを教えていて、できないことや分からないことは、さして問題ではありません。

多くの場合、どこでつまづいているのかさえ分かれば簡単に問題解決できてしまうからです。

とは言っても、それがとことん苦しい子もいるかと思います。

例えどんなに問題演習をしようとも、時間を重ねようとも東大の問題が解けるようになるとは言えません。

それでもある程度の力はつきますし、経験と向かう方向の確立、そしてそれを細かに咀嚼できる先導者さえいれば問題はありません。

その先導者にいかに力があるかはさておき、その子といかに向き合うかで変わる気がします。

つまり、できない&分からないは対して問題ではないのです。

強敵「やる気のない子」

では、そもそものやる気のない子はどうすればいいのか。

私はこのタイプがとても苦手です。

と言うのも、こう言う子に対して私自身が何か介入することでやる気にさせられたとする。

その時、それはその子にとっての成長と言えるのか、そこに自主性はあるのかと言う点が疑問に感じてしまうからです。

私自身も比較的面倒くさがりやで、やらないことはとことんやらないタイプでした。

今でこそタスク管理とかを使って上手くこなしていますが、基本は後回しスタイルの人間です笑

だからこそ、それによって損をしたり、大変だった体験からしっかりしようと慣れていけたと言う部分もあります。

これが大人になる前に経験できたのが大きいのかなと。

それを全員に体験せよ。と言うわけではないのですが、そう言ったところ、要は身から出た錆的な点から学ぶこともあるのかな〜と思ってしまうわけです。

自分を知ることは重要

で、そう言う子に対してできるのが自己理解の手伝いだと思うのです。

やる気のない子にやらせると言うのは、代わりにやってあげちゃうと言うことと同じくらい成長の芽を摘んでいるのではないかなと思います。

だからこそ、そんな本人の現状をひとまずでもいいから理解しておいてもらうと言うのは大事なことなのではないでしょうか。

たとえそのときにやる気になっていなくとも、「あ、自分はこう言った時にできないタイプなんだ」と分かっていれば、それ相応の対応を覚えていくのではないかと思うのです。

確実な成長には、現状と理想の差であるギャップを知ることが求められます。

ただ、理想がない、もしくは分からない現状の理解も大事なことなのではないかなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?