『「空気」の研究』私たちを支配するあいつ vol.763
一見おもしろそうなこちらの本、空気と呼ばれると、私たちも理解しているあの空気のことを指しているだろうと理解できます。
「空気読めない」とか、「そういう空気じゃない」とか。
この空気というものが私たちの周りに見えないんだけど確かに存在しているのは実感できます。
ただ、この本、その空気についての研究を書いているのですが、とにかく難しい。
私もこれまでいくつか難しい本を読んできたつもりではあったのですが、相当な難読本でした。
今日はこの本を読んでの感想を書いていきます。
空気とは?水とは?
そもそも空気とはなんなのか、そしてその空気を打破するための水とは。
そのようなことをこの本は論じています。
空気とは、見えないけど確かにそこにいて絶対的に私たちを支配しているもの。
そして時として、誰もが理解できる筋の通った論理的思考ですらも理由もなく打破してしまう圧倒的権力なのです。
その空気はどう考えても異常。
しかし、私たちはこの空気と共に生き、今もこうして空気と共存することで世の中を成り立たせているわけです。
そのある意味で異常性を画している空気を打破するのが水を差すという行為。
特異的な空気感を通常制とみれるいわゆる冷静な判断によって、空気を晴れさせる。
この水とは、自由な思考とも取れるわけです。
詳細はこの本を読み解くのが一番いいのですが、正直難しいです。
この本では上記のことを、細かくあらゆる例に基づいて論じています。
学校現場における空気と水とは?
では学校における空気と水はどこにいるのでしょうか。
会議で、声のでかい人の意見ばかりが通る。
どんなにいい意見であろうとも会議での発言に続くものはいない。
後の飲み会ではなぜか賛同者が増える。
授業の中で問いかけても答えないけど、個々に聞けばしっかりと発言できる。
こんな経験があるのではないでしょうか。
そうです、学校においても非常に多くの場所でこの空気が存在しているのです。
もうすでに幼少期からこのような世界で生きているからこそ、やはり私たちは自然に空気をうまく読めた方が上手く生きていけるという、世の中の摂理を理解してしまっているわけです。
ただ、最近ではそこから自分の意見を出していくことを求める教育が進んでいます。
つまり子供達にとってはダブルスタンダード化してしまっているわけです。
この先、世界がどう変化していくかは分かりません。
それでも、教育界には現状で変えたいと思っている人が少ないからなかなか変わらない。
変わるためには変えたいという人が増えてそういう空気を作り出す必要があるという結局空気に頼ったものとなるわけです。
とは言え、日本語の観点からみても、行間を読む文化が形成されています。
理由の一つには日本が島国である点が挙げられるとは思いますが、それも悪いことばかりではありません。
俳句や川柳といった読み取りの芸術にもなる空気の美しさもあるわけです。
日本がずっと島国で閉鎖された国であったならもしかしたら問題視もされなかったのかもしれません。
世界に目を向けている今だからこそ、教育も含めて日本の文化を守りつついいものにしていかなければならないのでしょう。
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