制服は何のためにあるのか(84日目)
制服は何のためにあるのでしょうか?
制服が制服として統一され始めたのは、1800年代後半のことです。
海軍の軍服を元に導入されることとなりました。
なぜ、軍服??なぜ統一?
制服の歴史については、調べればさまざま出てくると思いますが、歴史などを深く調べずに、制服について思うところを書いていきたいと思います。
地域に根ざした教育活動?
そもそも、制服を着ることの目的はなんなのでしょうか?
制服は学校ごとに異なり、まさにその学校の生徒であることを示す社員証のようなものです。
制服を着ていることで、学校の生徒という信頼を得て、その地域に通学します。
街を歩けば地域住民も、どこの生徒が一目で分かり、地域全体でその教育活動を見守っていけます。
と、良い点を挙げては見たものの、本当に地域全体で育てるような環境はできているのでしょうか?
先日、不審者情報で流れてきた文章には「下校時の生徒に「お帰り」と声をかける不審者がいます。お気をつけください。」との一文がありました。
なんだか、世知辛い世の中です。
知らない人が話しかければ、不審者となってしまう現代、今挙げたような効果は薄いような気がします。
身につく集団意識?
当然、学校にいれば周りは同じ制服を着た、学生がわんさかいます。
有無を言わさず全員が同じ服を着ているのです。
そうなれば、意識せずともその学校という集団への所属意識というものはついていくでしょう。
「学校の名に恥じぬように」とか、「皆で同じように」と言った意識も付随します。
果たして良いのか悪いのか。
ただ、人間にとって必要な衣食住の衣の部分は、好まずとも統一されるのです。
個の教育を推進する、学校における矛盾点でもあるような気がします。
制服は着るべき?いらない?
ここまで制服に対する否定的な意見を述べてきましたが、完全に制服を無くした方がいいとおもっているわけでもありません。
私が着眼している問題点は、制服の本来の意味や制服を着させることで、得られるメリットデメリットを見ずに制服を着ることを正義としている風潮にあると思います。
生徒から制服の意味合いを、聞かれた時に答えられる先生は何人いるのでしょうか?
学校という組織は非常に、過去の形式のものを形だけ引きずり、意味が風化してしていってしまうことが多いです。
制服もまさにその一つではないでしょうか?
コロナ禍でオンライン学習が当たり前となった近年、今一度、当たり前とされている学校のあり方にも意識を向ける必要があるのではないでしょうか。
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