形骸化排除運動 vol.704
いつかバチが当たるんじゃないかなと思いつつ、立場を利用して管理職におかしいと思ったことは全て伝えるようにしています。
例え面倒臭い顔をされたとしても笑。
自分の感情的にも嫌ということでも、やらなければならい仕事というのはあります。
それが何かの役に立っているのであれば、本望なのですが、学校は形骸化の温床です。
誰かが忘れたりやらなくなれば、自然と形だけ残っていくというのが非常に多くあります。
今日はそんな形骸化に対して??なところを考えていきます。
誰が誰にお願いして誰のためにやってるのか分からない講習
まず、最初にそれを感じたのが夏期講習の設定です。
特に進路からの設定依頼みたいなものは科目に届かず、誰がやろうと言って先陣を切っているのかも全くもって分かりません。
やるもやらないも話し合う機会がなく、そもそもやらねばならないことなのかすらもはっきりしない。
一体誰が誰のために何を目的としてやっているのかが全く持って分かりません。
単純に担当が仕事をしていないだけなのか、毎年こうだから今年もこれで行こうねというなんとなくの空気感でやっているのか。
どちらにせよ、そんな程度のものならばさっさと無くせばいいと思います。
同じく授業アンケート
授業アンケートについても同じです。
私がこの学校に赴任してから6年間。
毎年実施しているにもかかわらず、それを用いて学校で何か方針立てたり分析したりと言った様子は確認したことがありません。
これも毎年やっているから今年もやろうねというなんとなくでやっているだけのものです。
授業アンケート自体はとても大切な文化だと思います。
しかし、その中身が伴わずただやっているだけなのであれば、何かまとまって指示されてやる意味など全くもって無意味だと感じます。
この件に関しては管理職に書面で提出したので、管理職の出方次第では勝手に無くしてもいいかなと思っています。
教育への無関心が招いた形骸化
本当はこんなことなど起きるはずなどないと思うのです。
誰かが必要と感じ、これをすれば良くなると思って始めたことなのですから。
しかし、それがいつの日かただやるだけの作業になっていき、いずれ形骸化していってしまうのです。
これは、なぜそれをやるべきかという教育に対しての考えや思いをそれぞれが持っていないことの表れだと思うのです。
全員が教育について考え、その時々の必要性や効果を実感しながら行えば、自然と必要なものは残りいらないものは排除されていくはずです。
生ぬるい、緩み切ったなんとなくで動く職場。
少しでも嫌がられるような風を吹かせればなと思っています笑。
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