
"マネージメントする"とは? vol.317
最近、マネージメントについて学び始めました。
マネージメントと聞くと、皆様は数年前に流行したこれを思い出すのではないでしょうか?

私はこの本の主人公のモデルが元AKBの峯岸みなみだったことを最近になって知りました。
実はいまだに積読法の下の方にあるまだ読めていない本の一つなのですが、、、。
そもそもマネジメントとは、manageが語源になっており、馬の調教という意味が元のようです。
それがどこかのタイミングでマネージメントという言葉に変形したのです。
そんなマネージメント、今では人を育てる、会社を育てるという意味に使われたり、管理する、調整すると一体意味合いで使われています。
では、このマネージメントを学ぶ意義はどこにあるのでしょうか?
マネージメントは教育!?

私たち人間が人間である最も特徴的な部分はマネージメントにあるでしょう。
私たちは古来から無意識のうちに人に何かを教えることによって文化を築き上げてきました。
まだ言語もまともに発達してきていない時から、壁画という形で後世にその技術や信念を伝え続けてきたのです。
それが狩りという文化を生み、稲作という文化を生み、教育という文化を生んできたのでした。
つまり、生きる知恵を継承していく人の性、これこそがマネージメントなのです。
継承してきたものは技術だけではありません。
私たちの信念体系の奥底にある軸のようなもの、非認知能力と言われるものこそが、真に継承されてきたものなのです。
例えば、日本では「いただきます」や「ごちそうさま」と言った言葉を食の前後に使います。
言わなくても食事は取れますし、生きていけます。
それでもこれらが文化として残っているのは、食材への感謝を通して自分の存在のちっぽけさに気づき、自分の行動を改めていくという思いがあるのです。
そしてそれらは幼い頃から、親からごくごく自然に伝えられ当たり前のこととして浸透しています。
これも立派なマネージメントなのです。
マネージメントの根本

そして、これらが最も体系化されわかりやすくなったものが、学校の教科という縛りの中での学びになっているのです。
その背景を知った上で教科学習を教えたり、学べば、より深く理解しようと、そして自ら考えていく姿勢が得られるはずなのですが、実際のところそううまくは言っていません。
その表面的な部分に左右されてしまい、結果としてその一番大事な思いや信念の部分を学校現場では削ぎ落としてしまっているのです。
マネージメントとはまさに、時間・空間・ファクトの比較によってなせるものなのです。
例えば、教科学習としてある「水は100度で沸騰する」という概念に注目してみましょう。
これをただの知識として覚えてしまうのが、今の学校現場です。
受験のための知識です。
そもそも水だけがそれだけキリのいい数値で収まるところに疑問を持てばいろんな深まりが出てくることでしょう。
そしてそこから大気圧との関係が見えてきたり、そもそも誰が決めたのかという部分が見えてきたり、そこからさらに他の視点が出てきたり。
これはまさに、◯◯シンキング思考と同義です。
これらを組み合わせながら、いかにしてその科目を覚える知識ではなく、使える知識にするかが、授業であり学校の役目なのです。
科学が発展しても変わらないもの

こう言った思考の捉え方や、人としての価値観は時代が変わっても大きく変化しません。
戦時中はお国のために死ぬことこそ正義とされていましたが、今そんなことを政治家が言えば真っ先に叩かれるでしょう。
こう言った時代による一種の思考の偏りはありますが、変わらないものも多くあります。
例えば、「人に暴力を振るいましょう」、「ものは片っ端から壊しましょう」なんて教えを聞いたことはありませんよね。
私たちは知らず知らずのうちに、人間として大事にしたいもの、人間力やパーソナリティといった部分を継承しているのです。
それこそが日常六心のようにいつまで経っても普遍的で残り続けるものとして、文化財産になっていくのでしょう。
ユダヤの格言の中にも似たような言葉があります。
家や財産、物は盗まれても知恵を盗むことはできない。
明日からみなさんは何を伝え広めて行きますか?