『公立vs私立』どちらを選ぶかは、何を求めるか vol.668
対話の先生塾、今月は「多様な学び」がテーマということで、日本における教育の2翼、公立と私立について考えていきます。
私は小学校が公立、中高大と私立で学んできました。
正直にいうと、学生としていた時には公立も私立も違いが全くわかりませんでしたが、教員になっていた今違いを大きく感じます。
これは、実際の当事者になってみると大して変わらないという一つのデータになるかもしれませんが、それはともかくの話。
この本を読んでの感想を書いていきます。
結局どっちがいいのさ?
この本を読んで最後に感じたのは、結局私立と公立どっちがいいのさということ。
もちろん、家庭によって子どもによってその選択は異なるのかもしれませんが、公立vs私立というタイトルをつけたからには、決着をつけるのが筋なのではないかと感じてしまいました。
教員としての立場で言えば、間違いなく私立教員ではないかなと思っていますが、実際に公立の先生から言わせれば、公立なのかもしれません。
この本では、学力、お金、人間関係といった学生時代に重要となるポイントでいくつか問題を提起していましたが、結局はどっちもどっち。
お金があれば私立の方がいいだろう、人間関係を考えると私立の方がいいだろう、進学実績を考えれば私立の方がいいだろうとなるかもしれませんが、それを超えるだけの公立を選ぶだけの理由もありました。
学校間格差は無くすべきかどうか
では、この本のように二項対立の考えが出てきてしまうのはなぜなのでしょうか。
それは、学校ごとの違いが顕著に現れているから。
違いがあるからこそ、どちらがいいのかという話が出てきてしまいます。
教育の機会均等の観点から言えば、こう言った格差は無くした方がいいのでしょうが、果たして全くもって格差を無くしてもいいものなのでしょうか。
環境の違いがあるからこそ、それぞれの学校に合った生徒が来て学ぶことができる。
結局のところ私自身にもどっちつかずの考えしかないのかもしれません。
教育の理想は?
そしてこれを解決していくためには、教育の最上位目標を定めることなのだと思っています。
当然、抽象的な内容であれば直接的な解決には結びつかないかもしれませんが、具体的な問題点に相違があるからこそ、一番大きな目標を定める必要があるのではないでしょうか。
私は子どもが学びたいことを学ぶために、無駄なストレスが全くない場所を作ることこそが教育だと思っています。
しかし、そのためには金銭も人脈も環境も必要になる部分があるはずです。
こう言ったものを追い求めるのは必要なストレス。
こう言った考えを淘汰しようとするのが無駄なストレスです。
理想の教育は1人からは始まりません。
でも、社会全体を動かすよりもまず自分1人。
この理想の教育はどのように始めればいいのでしょうか。