書ける時に書こう、そう考えていたのですっかりと離れてしまっていた。 ただ、義務感も何もないので、改めて書くことにマイナスを抱かずに済んでいるのは喜ばしい。 何事も初めては怖い。 そして、改めて始めるのも怖い。 未知への恐怖と既知への恐怖と様々あるが、いずれにせよ怖いのだ。 ゆるゆると暇を見つけて書きたいものである。
先週、近所のスーパーに立ち寄ると、計2個入りのドーナツがファミリーパックとして売られていた。 年々お菓子が小さくなっていると思っていたが、個数まで減ったことに衝撃を受けた。 その翌日にスーパーに立ち寄ると、ポテトチップスがグラム表記から枚数表記へと変わっていた。 1袋10枚入り279円だった。 今日はどうなっているのかと、少し期待を込めてスーパーへ向かった。 お菓子コーナーは撤去され、青果コーナーに変更されていた。 『おやつ』 と札の置かれた棚にはバナナが並んでいた。
友人と羊の肉を食べた。 これでもかと食べた。 その他にもニオイの強いものばかり食べたので、明日に多大な影響があるだろう。心配。 何故人間はクサイものが好きなのか。 不思議である。 クサイと感じながら食べ、癖になる。 また一口、また一口と止まらなくなる。 とある日、友人が異臭を放っていた。 ニオイというのはなかなか指摘しにくいものだが、そのニオイがあまりにも強烈だったため思わず本人に伝えてしまった。 心当たりを尋ねたところ「ある」と返答をし、カバンから瓶を取り出した。 ジ
勝手気ままに生きている。 やりたい事をやりたいようにして暮らしている人間である。 何故、自分は生き延びているのか……と不思議に思うほどだ。 人間というものは、意外と死なないものらしい。 幼少の頃には祖父母の家にある蔵の屋根から落っこちたし、中学生の頃には自転車で転んで坂を転げ落ち、高校生の時には車に撥ねられた。 それでもせいぜい擦り傷程度で済んでいる。 人間とは頑丈なのだ。 それだけに、死というもののエネルギーは凄まじいものを感じざるを得ない。
私は出不精である。可能な限り家でゴロゴロと過ごしたい人間だ。 休日に友人と出掛けたり食事に行ったりも嫌いじゃないが、それではどうにも休日を過ごした気分にならない。 誰かと一緒にいるというのが、どうにも疲れてしまう性分なのだ。 一人、家で過ごしている時間に充実感を覚える。 何もしない時間や、家事をしている時間で心が安らぐ。 一通りの家事を済ませて横になる。至福の時だ。 働かずしてお金が手に入れば、一生この気ままな暮らしができるのだが……と考える。 滾々とお金の湧き出る泉が
古いものが好きだ。 特に和風なものが好みである。 昭和レトロなんて言われるのだろうか。別に昭和や和風にこだわりはないのだが。 シンプルに言えば、見慣れないが故の目新しさが好きだ。 自身の部屋の家具やインテリアもリサイクルショップなどで買うことが多い。 傷や汚れを見つけては、以前の持ち主のところではどんな生活をしていたのだろうかと、想像を膨らませている。 最近では古本屋で本を漁ることにもハマっており、気になっていた本を探しては購入するようになった。 近所の古本屋がなかなか趣
新年を迎えてから1週間以上が経った。 あっという間である。 去年もそうだが、今年もやはり仕事に追われる日々になりそうだ。 生きるために働くのか、働くために生きるのか なんて言葉を耳にした。 実に考えさせられる。 昨年、カレー作りにハマった。 スパイスから作るタイプのものである。 量や種類を変えることで、全く様子が変わるので面白い。 ただ、理想のカレーを作るための難点として、 作ったカレーは食べねばならない というところだ。 イマイチな仕上がりのときには早く次を作りたい
時間の流れが早くなったと感じる。 子供の頃は、無限に時間があったものだ。 夏休みなんてのは永遠に感じたし、お昼の20分休みは無限大の可能性を秘めていた。 ところが大人と言われる年齢になった今はどうだろう。一年はあっという間である。 春が来たと思ったら、次の日には夏、翌日には秋、そして冬。 あっという間である。 今年なんかは酷いもので、昨日はクリスマスだったのだが、今朝起きてみたら翌年の12月になっていた。 そんなことあるのだろうか。 驚きと戸惑いの中、約一年後の未来で
最近、睡眠時間が爆増している。 一回でたくさん眠るのではなく、お昼寝をしている。 合計するとかなりの時間、寝て過ごしているのではないだろうか。 一日中活動的な日があれば、惰眠を貪る日もあるという感じだ。 活動的な日、寝不足なのかもしれない。 とはいえ眠り過ぎだと思う。 ここ最近冷え込んできたし、冬眠だろうか なんてことを考える。 冬眠の虫が悪さをしているのだろう。
人が他人に抱く感情というものは、そう簡単に消え失せるものではないと思う。 小学生の頃に気になっていたあの人、同窓会で再会するまで、なんとなく頭の片隅に残っている。 恋心とまではいかないかもしれないが、片思いしていた記憶は鮮明だ。 実際に会うとそうでもなかったりするのだけども。 二年ほど前のことになる。 ある日、中学時代の友人から、とあるSNSをフォローされた。 懐かしさを感じつつ、フォローを返す。 どんなことを書いているのかと、これまでの投稿を見てみた。 その年の4月に
物の影や模様などが人の顔に見える現象はシミュラクラ現象というらしい。 余りにも言いにくい。 月にウサギを見たり、雲が熊に見えたりするのは、パレイドレア現象というらしい。 カレードリアっぽい。 上記の二つとは違うのだろうが、私はバスは犬っぽく、普通車は猫のように感じる。 なので、ネコバスとは対極な考えとも言える。 宮崎駿さんとは相容れないかもしれない。 という話を行きつけのお店で話していたところ 「地元には化け猫タクシーがあった」 と言う常連客がいた。 なんでも、終電が
現在の住まいに入居してしばらく経った頃、私はベランダの有用性に気が付いた。 ベランダが二ヶ所あるため、ひとつは洗濯物干しスペースとし、もうひとつを趣味用とできるのだ。 私は、亡くなった祖父が育てていた盆栽を一鉢貰い受け、ベランダで育てた。 その他、デッキチェアを購入して日光浴や夕涼みを楽しんだり、干物を作ろうとして腐敗させたりしていた。 今朝、気持ちの良い快晴だったので、溜まった衣類を洗濯した。 ベランダいっぱいに洗濯物を干し終え、私は逃げるように空調の効いた室内に逃げ込
自動車を所持していないので、仕事に向かう際や友人と遊びに出掛けるときは電車を利用することが多い。 この時期、電車の空調というものは非常に苛烈である。 飲み物を持ち込むと、次の駅に着く頃には凍ってしまうので注意が必要だ。 私は覚悟を決めて電車に乗り込んだ。車内は冷房が吹き荒ぶ。 まだ体力のない子供や、体力の落ちてきた高齢者が寒さに耐えきれずに亡くなる事故が多発するのは、毎年のことである。 先日、最寄駅の公園でレジャーシートを広げてくつろぐ親子に出会った。 朗らかな休日の風
仕事帰りに買い物を済ませた。 職場近く大きめの百均があるので、仕事終わりによくお世話になる。 「今回はこれだけ買うぞ」と決めて行っても、結局買い過ぎてしまう。 魔境である。 買い物を終え帰路につく。 とあるビルの前を通りかかった時、中からけたたましい音が聞こえた。 火災報知器だろうか? ビルの中を覗き込むが変わった様子は見受けられない。 周囲を見渡しても皆、当然のようにビルの前を通り過ぎてゆく。 もう一度、ビルの中へ目をやる。 誰かが飛び出してくるだとか、消火用の
先日、数年振りに級友のAに会った。 フィルムカメラを譲ってくれるというので、二つ返事の快諾である。 私の暮らしはカメラに支配されているので、大抵の無茶はカメラのためならば出来てしまう。 いつか崩壊しかねないと、自分でも思っている。 久々の友人との食事は楽しいの一言に尽きた。 学生時代の思い出は話し始めればキリがない。 ヤレあんな授業があった、こんな現場実習があった、あの子はどうしている、この子はどうしている…… 実に楽しい時間であった。 楽しい時間というのはあっという
5月である。 可能な限り毎日書こうと考えていた日記だが、気が付けば1月末以来書いていない。 なんたることか。 人間何かを生み出すためには、それ相応に何かを取り込む必要がある。 だがどうだろう。 ここ最近の私は、何かインプットをしただろうか? 久しく本にも触れていない。 悲しい限りである。 仕事を言い訳に何もしていない。 読書に限らず、部屋の掃除、領収書の整理、家計簿の記入、衣替えなどなど。 一度に消化しようと思ったら大仕事である。 そういえば、いつもお世話になってい