もらったものの話
いただいた、と、書くべきか、もらったと書くべきかで数日悩んだ。
本来ならば、「頂いた」と書くのが気持ち的には正しいような気がするけれど、微妙なニュアンス、気軽にさくっと、軽やかにこの文章を読んでもらいたいと思うので、ここでは、「もらった」と書くことにする。
ある月曜日の営業終わり。その日は朝から一日何も食べれていなかったからか、シャッターを閉めた瞬間に私はへとへとと椅子に座り込んだ。お腹はオープンして2時間経ったくらいから実はグーグー鳴っていた。重たいシャッターを先に閉めてしまったので、もう一度開けてファミチキを買いに行く気力もない。
あ。
私にはもらったチョコレートとパンがある!!
そしてここにはコーヒーがあるじゃないか!
そうしていそいそと立ち上がって自分のためにコーヒーを淹れ、お皿にパンとチョコレートを(いい感じに)盛り付けて、「いただきます」と手を合わし頬張った。
食べながら考えた。
私は有難いことに、あたたかくって優しい言葉をいつもたくさんもらっている。お手紙で、言葉で、伝えてくれる人がたくさんいる。それを度々思い出したり読み返したりして支えられているのだけど、今日はもらった[もの]について書きたいと思う。
冬のマルシェに出店した時、いつも出店の際に1番に姉妹で駆けつけてくれる常連さんからもらったカイロ。寒さ対策をなんにも持って行っておらず凍えていた私たちの指先を(心も)温めてくれた。
souと同じ水木が定休日のため、なかなか買いに行けないパン屋さんのパンスイス。とっても美味しくて、1.5個くらい食べてしまった(0.5は夫分のだったのに)
周年の時にもらった休足時間やめぐりずむのホットアイマスク。ありがてえええ!と(心の中で)叫んだのを覚えている。その日はぐっすり眠れた。
麒麟食堂のかしわ弁当を2回。私の大好物。我慢できずに早弁。忘れられない美味しさ。
WITTAMERのチョコレート。初めて食べた瞬間チョコレートのお菓子の中で1番好きなものになった。手が止まらない。本当におすすめ。
とある先生から神戸牛。1回目は1周年の時(すき焼き)2回目は2周年の時(焼き肉)。立派な木箱と風呂敷に包まれた神戸牛をヤマト運輸さんが届けてくれて、開けて心底びっくりしたのを覚えている。
souの細かな地層マークを手作業で刺繍してある手作りの大きな巾着袋。裁縫力皆無な私には絶対つくれないと感動して、同時に作ってくれているその人の時間を想って嬉しくて少し泣いた。
海外旅行、国内旅行、出張、たくさんの人からお土産をもらった。銘菓、美術館のポストカード、顔パック、本当にいろいろ。旅先でお土産を選ぶ時、私のことを考えてくれたのかと思うと嬉しくて口元がゆるむ。
いろいろなお店のスコーン。「スコーンを販売しているから、なかなか他のお店のは買いずらいんじゃないかなと思って」と岡山や岡山以外のいろいろなスコーンを買ってきて全部半分こしてくれてそれをお皿に並べて「美味しいね」と一緒に食べた。
川で拾ってきた石。つくってくれた石。souのコンセプトにも店内の感じにも、合う。ディスプレイとして溶け込んでいて、写真を撮ってくれるお客さんも多い。
ずらりと並べてみたけれど、これは一部であって
他にもたくさんのものをもらっている。
現に今も、昨日いただいた極みプリンをひとくちずつ大切に大切に食べながらこの文章を書いている。
そういえば、1年前くらいに、私は充分すぎるほどにたくさんのものをいただいてばかりだとInstagramに書いた。
改めて思い返してみて本当にその通りでしかない。
もらった言葉も物も私を支えてくれ救ってくれたり、幸せにしてくれたり、時には心に空いた穴や空腹までも満たしてくれた。
私も2024年の終わり、たくさんの感謝を、souを大切に想い何度も来店してくれた常連さんに言葉と物で伝えてみたいと思った。
そんな思いで12月26日木曜日。
いつもなら定休日だけれど、この日は、この1日だけは、souのポイントカードを持っている方のみ来店いただける日にすることを決めた。
昨年も年末に1日だけ同じ日をつくって、常連さんに言葉で直接ありがとうを伝えたのだけど、今年は私も手紙のようなものを書きたいし、今後販売はしない特別なノベルティーをつくってプレゼントしてみたい。クリスマス前なのもあって考えるとわくわくする。
もちろんそれだけで恩返しができるとはやっぱり到底思えない。きっと一生かかるのではないかと思うけど、私にできることを少しずつ。
2025年からと言わずにまずは今できることやってみたいことを私なりに考え続けている。