If they were all my children...
A detour is a show to cutの活動には。
大きなコンセプト
If they were all my children…がある。
時にこんな事を考える。
ガザの虐殺
芸能界・映画界の性加害
能登半島地震
政治家の裏金問題
引き上がる増税
防衛費
オリンピック疑獄
など噴出する問題をどうやったら止められるんだろう?
自分の過去にも考える
予算や時間に追われて酷い言葉を掛けてしまったり。
技術を継承するのにまともに教えず「見て盗め」。
ヒエラルキーを利用したパワハラやセクハラ。
そんな物ばかりが目に移り、自分もその中に取り込まれた時代があった。
僕もだけれど皆、そんなこと本当にしたかったんだろうか?
あの時『もしも皆が僕の子供だったなら?』と思えてれば、そんな酷い事出来ただろうか?
もしもそう思えてたなら
違った行動があったし
上のような問題も
虐殺は許さない
性加害も黙ってない
真っ先に被災地に向かい助ける
裏金なんか作らないで皆で分ける
必要なところに税金を使う
違う防衛を考える(例えば、世界で1番の被災救助隊を作って色んな国から感謝されるような国にして国防する)
ボランティアにもきちんとお金を払う、お金で招致なんかしない、逮捕者を出す作り方をしない
単純に優しくなれるはずだと思った。
また厳しさの中にも優しさを入れる事が出来ると思った。
ただ、時は金なりとは言ったもので
撮影現場や仕事と言われるものの多くは問題解決にあまり多くの時間を掛けられず、なかなか優しさの入り込む隙も少ないこともある、問題をダイレクトに解決していき対話の根本的な解決が出来ないことも多い。
問題解決も早い人が好まれる傾向がある。
それがどんな方法だったとしても、、、だ。
優しさとは現代では『回り道』なのだなと僕は思った。
ただ色んな嫌な物見て、してきた自分も『近道』が好きだった訳ではない。
自分のような人間だけど
If they were all my children…
はもしかしたら誰でも優しい気持ちになれるコンセプトになるのではないか?
と思っている。
ケニー・ケンヤ・ヤストミ