見出し画像

【書評】『投資家みたいに生きろ(ダイヤモンド社)』 藤野英人


新しい価値を生み出すには、リスクが必ず伴います。

新しいことに挑戦することはおもしろいことですが
それには必ずリスクが伴うということで、
ある程度の覚悟が必要だということだと思います。

ただその覚悟に対して後ろ向きになるのではなく、
リスクを承知で新しいことに挑んでいくというのが重要なんだと思います。

最近では
社会的にもそのようなことを後押しする機運が高まっているように感じます。
その波を利用してどんどんと新しいことに挑戦するのもいいかもしれません。



社会的な成功の多くは、利己的な動機に基づくことがほとんどで、
それはごく自然なことでしょう。
ところが、利他的な目標にすると、より大きな成功をもたらします。


このことは最近ぼくが考えていることでした。

今ぼくはYouTuberとして
「どうやったら稼げるだろう」ということを常に考えている日々です。
ただそんな中で、
一つ気が付いたのが
「『稼ぐ』というとても利己的なことを最優先にしているな」
ということでした。
つまり
地域のために動く、国のために動くということをすれば
自ずと自分にも利益が回ってきて、『稼ぐ』云々の問題ではなくなるのではないか
ということです。

それがここには書いてありました。

やはり
世のため人のためとなるのが一番なのですね。



目先で損をしているように思われても、
回って回ってリターンが得られる可能性が信じられる場合は、
堂々と「時間」を割くべきなのです。


自分も含めて
長期の視点になると、もどかしくなる方が多いように思えます。
短期の目先の利益に目がいってしまいがちですが、
長期で見た方が賢い場合もあるのでしっかり見極めなければなりません。

ゆっくりじっくり熱した石は冷めにくい
反対に
早く熱した石は冷めやすい

こういう表現があるように
人生も長くコツコツと積み上げたものの方が
より長く効果を発揮する
のだと思います。



お金そのものは無色透明な存在ですが、
お金を通じて誰かを支え、お金によって誰かに支えられている。
そのことを自覚すると、
途端にお金がカラフルで明るいものに思えてくるはずです。


これはあまりなかった考えでした。
たしかに自分目線だと
当たり前ですが、自分主体で考えてしまいます。
「お茶が150円か」
「新宿に行くには往復1000円かかるな」など
自分への損失ばかりを考えてしまいます
しかし
その支払ったお金はただ自分が払ったのではなく誰かの利益になる
と考えたら少しためらう気持ちが減るように思えます。

何せ仕事というのは
人の需要に対してモノやサービスを供給するものですから、
それの対価を支払うのは当たり前でしょう。

改めてお金の使い方を学ばされました。



運が良いと思っている人たちは、
視野が広く、チャンスを見つけることができたのです。


ある新聞の中に画像が何枚あるかという実験の中での言葉でした。

『運』というのは案外侮れない存在だと思います。
そして
「運も実力のうち」という言葉があるように、
それは単なる確率では終わらないとも思います。

つまり
実績を残している人は運がいいし、
そういう人たちは「自分は運がある」と自覚している。

例えそれが希薄だとしても、
そう公言していくことで後からついてくるのだと思います。



成功の数が失敗を上回れば、なんとか生きていけます。


これはぼくの人生漫才という考えに似ています。
失敗があってもそれは人生という漫才の中の一つのボケだとして
笑いを起こさせて終わる。

ただそのボケも多すぎては成立しないので、
成功が上回れば良いということですね。



自分も他人もすべて一緒であり、
何事も世の中のためになると思えば、投資も寄付も快くできるはずです。

上で述べたお金の色についての考えに似ているものです。

「自分のお金は自分のものだ」と強く信じ込んでしまっている場合、
投資も寄付も快くはないでしょう。

とはいえ
かく言うぼくも、
「自分のお金は自分のものだ」と思い込んでしまっている一人です。

ここに書いてある考えを取り入れて、
社会のためのお金という意識を持っていこうと思いました。

そもそもお金は使ってなんぼですしね。



〜中略〜
私たちには、親の教えや学校教育など、これまでの環境による「思考のクセ(バイアス)」が根深くある
〜中略〜


これは投資に限らずどんなことでも言えると思います。

人は今までに学んだきたことに基づいて行動しますから、
教育はとても重要です。

しかし
コレと言った正解の教育はありませんから
教育の段階で気をつけるのはもちろんこと、
大人になってから意識的に自分の倫理と反する考えを取り入れてみる
というのも大事なのでしょう。



〜中略〜
その行為自体を「目的」として楽しめることこそがベストな考え方です。


目的に向かうまでの過程さえも、
目的の一つとして楽しもうという主張でした。

「過程の目的化」というのは通常危険なことです。
過程を目的にしてしまうと、
本来の目的を見失ってしまうからです。

しかし
もちろんそういう効率化は大切だけど、
過程を楽しむための工夫も必要
ということだそうです。

そう考えると確かにそう思えます。
やっていることが楽しくなければものごとは続きません。
努力は夢中に勝てない、好きこそ物の上手なれですね。



流行しているものをいち早く自分で試すことによって、
世の中の価値観に対してのあなたの身体的感覚を得ること
〜中略〜


ポケモンGOやTIKTOKなど
一見自分の分野とは関係のない、興味のないものでも
流行に敏感になるということが案外大事だと言います。

つまり
一時情報、自分で得る情報が大切だということでした。

第三者の情報はあくまでも二次、三次情報だから、
自分で直接体験してみることが重要だそうです。



アウトプットをセットにすることで、あらゆる行為は「投資」に変わります。


勉強の基本としてもそうですが、
投資か浪費かと考えた際にもインプットとアウトプットのセットは有益だということを知ってなるほどなと思いました。

ちなみに
今日ぼくは朝ごはんにアボカドを切ろうとした際に
手も切ってしまいました。
ただ止血して終わらせればなんでもないことですが、
ぼくはそれを記事として公開しました。

これも一つのアウトプットであり、投資だと思います。

〈その記事はコチラ



〜中略〜
誰でもゼロ円でできてリターンを得られる行為は、やらない理由が見つかりません。


この例として『挨拶』を挙げていました。

以前ぼくは『挨拶』の意義がわからないとして
自分なりの考察を書いた記事
を出しましたが、
一周回ってこういうことなのかもしれません。

『挨拶』に深い意味はなく、
はなから相手のリターンを期待する行為

なのかもしれません。

『挨拶』の他に
現代では『いいね』がとても有効だと思っています。
無料ですしポンポンと画面をタップするだけで済みます。
『いいね』欲しさに活動する人もいるくらいですから、
やらない手はないでしょう。



自分が調べたいものが明確にあってこそ、
インターネットは役に立つものですが、
逆に見ると、「自分が見たいものしか見られない」という側面があります。


最近ではこのことが、YouTubeやインスタグラムで如実に感じられます。
AIが過去の履歴から自分の好みの素材を提供してくれて、
タイムラインが自分の好みのものだらけになるのです。

ありがたいことではありますが、
知らず知らずのうちに情報を遮断してしまって、視野が狭くなり井の中の蛙になりかねません

意識的に興味のない、分野外の情報を入れるようにして、
さまざまな情報に触れるようにする必要があります。



最後に
『トラリーマン』・『ネコリーマン』という表現で
例えサラリーマンだとしても、
主体性を持つことが大事
だということを述べていました。

日本のサラリーマンというのは
税金の天引きなどを筆頭に、
どうしても会社の下に置かれがちになってしまいます。
しかしそれでは『社畜』にすぎないということでした。

やはりどんな世界でも『主体性』というのは
重要なのだなと再確認しました。



投資家という一見、一発逆転を狙っているように思える職業ですが
中身はものすごい真面目で明るくて利口でした。

投資家にはならずとも
生きていく上でとても勉強になるものばかりだったので
ぜひ参考して人生をおもしろくしていきたいなと思いました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?