『林修の仕事論(青春出版)』 林修
人間の自己認識は、実は他者認識よりも不正確な場合が多いのです。
なにしろ人間は自分の顔でさえも直接自分で見ることができません。
自分のことは自分が一番わかっている。
というようなことをよく言いますが、
かねてからぼくは疑問を持っていました。
そしてこの一文で少し晴れました。
たしかに自分の癖など無意識に行っていることは自分にはわかりにくく、
むしろ他人の方がよく理解しています。
もちろん全てがそうではありませんが、
積極的に他者に自分の評価を聞いてみるというのも
また違う発見があっていいかもしれません。
やりたくない仕事に全力で打ち込むことが、
やりたい仕事に自分を近づけてくれるという逆説
近年では
仕事において「やりたいことかどうか」という議論が頻繁に行われています。
そこから
「やりたいことはどう見つけるか」、「やりたくないことはどうするか」、
そもそも「やりたいこととは何か」というように方々に派生しています。
一見簡単に解決できそうな問題ですが、
案外複雑化しているもので、この一文はその打開策になるのではないかと思いました。
「やりたいこと」を探すあまり、「やりたくないこと」を遠ざけていたらより遠ざかってしまうという、二兎追うものは一兎も得ず的なことなのではないでしょうか。
修行僧や落語家さんの弟子が、
実務とは関係のない掃除や身の回りの世話をやらされるという訓練に似ている気がします。
巡り巡って目的にたどり着くのかなと思いました。
ジャッキー・チェンとジェイデン・スミスの『ベストキッド』という映画を思い出します。笑
ただこれは
やりたいことが明確な時に有効なものなのかとも思いました。
やりたいことがはっきりしていない場合は、
やりたくないことを回避してダメージを減らすということもアリかと思います。
やりたいことが明確な場合は、やりたくないことの経験も過程の一つとしてプラスに転換しますが、
それが明確でない場合、やりたくないことはただのマイナスになるでしょう。
生き方の一つとしてどちらを取ってもいいと思います。
努力を主観的に測るのをやめる
端的に芯を食った表現だと思います。
たしかに努力というものは主観的な判断であれば如何様にもできます。
テスト期間だというのにろくに勉強もしない学生が、
ある時1時間でも勉強したとなれば自分で「努力をした」という評価を下すことができるわけです。
しかし
たまの1時間なんて周りから言わせれば努力とは程遠いでしょう。
そして大概そういうものは他者の評価が正しいです。
つまり、
この量ではテストで結果が出るとは言えませんから他者から下された「努力ではない」という評価が正しくなります。
このように他者からの判断による『努力』をもとに精進していきたいものです。
本文中盤
ある章で、
物事における『緊張と緩和』について述べていました。
例えば会話。
あるインタビューで、インタビュアーが取材を終えようとした時に、
「そうそうこんな話もありますよ。」と会話を切り出す。
そうすることで緩和していたところから緊張をするので印象に残りやすいのだそうです。
長年対人のコミュニケーションを生業として生きていれば気がつく、もしくは身につく技術なのかもしれませんが、このような発想はとてもおもしろいなと感じました。
たしかにコミュニケーションにもリズムや緩急が必要だとは思いますが、
とても常人には思いつかないことだなと感心しました。
こんなふうに目に見えない何気ない日常の流れをうまく捉え、
さすが現代文の先生だというほどのわかりやすい言葉で綴る、
もちろん内容のおもしろさはありましたが、
この章は特に文章のおもしろさと考え方のおもしろさも伝わるものでした。
便利は絶えず諸刃の剣
どこか奥深いような気がしたのでメモしておきました。
そもそも便利というのは人それぞれだと思います。
例えば山手線を5分に1本走らせるようにしたとしても車通勤の人には便利でもなんでもありません。
3.5畳の部屋でも十分だと感じる人もいれば、狭すぎると思う人もいます。
ですから普遍的な便利というのはなく、あくまでも一部の人への供給ということになり、『諸刃の剣』という表現が使えるのだと思います。
そしてこのことはビジネスにおいても言えると思います。
普遍的な便利が通用しないということは、はなから一部の層にしか供給できないということになります。
つまり、
ある程度ターゲットを絞らなければいけないということになります。
よくビジネスで「顧客のターゲットを明確にする必要がある」と言いますが、このことが由来するのかもしれません。
機会なんてあるかないかではなく、つくるかつくらないかです。
「忙しい」という理由でものごとをなおざりにする人がいますが、
その「忙しい」って本当に忙しいのでしょうか。
と兼ねてから思っています。
ぼく自身まだ実際に“忙しい”状況になったことがないので真意はわかりませんが、
「忙しい」を理由にする多くの場合が行きたくない・やりたくないことへの理由づけだと思います。
この引用文の通り、機会なんてつくるかつくらないかだと思います。
トラブル回避に必要な能力は、まず想像力です。
自分の目の前に広がる時間をしっかり見通して、起きうるトラブルを想定し、
その対策をあらかじめ立てておく。
なるほどと思いました。
しかしこのことは同時に、想定外のことはやはり用意周到な人でも対処しきれないということを意味していると思います。
この文の前には
「想定外も想定内に入れてしまえ」
という趣旨のことが書いてありました。
たしかにそうしてしまえば何事にも対処可能でしょう。
しかし仮にその“想定内”さえも外れてしまえばうろたえてしまうと思います。
大事なのは、“想定外”を100%想定するのではなく、75%ほど想定しておいて残りの25%が来た時に、それを応用できるようにしておくということだと思います。
「こんなことが起こりそう」という出来事をはっきりと想像しておくのではなく、ぼんやりと想像しておいて守備範囲を広く保っておくということです。
ただぼくのこんな考えも林先生はしっかりとカバーしていました。(当たり前ですが。笑)
終わりの言葉に、
「これ」というものを求めてこの本を読んだ方には刺さらなかったかもしれませんが、この本を「ある程度のヒント」と割り切って読んでいた方には響いたと思います。
というようなことが書いてありました。
まとめ
全体的に序盤から慣用句や四字熟語が並ぶなんとも新鮮な文章でした。
本来であれば簡単な熟語でさえもわかりやすい言い回しに置き換えるというのが、大衆向けの本なのでしょう。
しかし林先生のこれは、多くの普段見慣れない言葉が並び、読むおもしろさと同時に学ぶおもしろさも得られました。
林先生の「こういう言葉くらい知っとけ」というようなメッセージにも感じました。笑
また総じて「勝負」や「相手との戦い」を意識した表現が多かったです。
このことは偏見ですが、昭和生まれの気質なのかなと感じました。
平成生まれのぼくは、「絶対に勝ってやる」とか「相手を黙らせてやる」というような気概はありません。
スポーツで見られるような鼓舞や掛け声を聞くと逆に冷めてしまいます。
もちろんぼくと同年代でも林先生のように負けん気の強い方は大勢いますが、
すくなくともぼくはそういう気質ではないので、どうも刺さらない部分もありました。
ただやはり繰り返しになりますが、
文章のおもしろさと内容のおもしろさ、複数の楽しみ方ができた一冊で
読んでいてとても楽しかったです。