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【書評】『銃・疫病・鉄(草思社)』 ジャレド・ダイアモンド


さまざまな民族のかかわりあいの成果である人類社会を形成したのは、
征服と疫病と殺戮の歴史だからである。


人類の歴史が今現在の形たらしめているのは、
言うまでもなく過去に強者の征服や疫病の蔓延、殺戮の繰り返しが起きていたからです。

本書では
その征服や疫病、殺戮の要因を事細かに考察していました。



〜中略〜
黄熱病などの病気が、ヨーロッパ人がそれらの地域を植民化するうえでの最大の障害だったのである。


人類が各大陸へ進出していった経緯の中で、
その部族の力の差と同様に
病気というものが一つの大きな要因だったといいます。



〜中略〜
この一歩の差が、持てるものと持たざるものを誕生させ、その後の歴史における両者間の絶えざる衝突につながっているのである。


『1万時間の法則』があるように、
ものごとの発達には時間がかかります。
裏を返して言うと
早く始めればその分アドバンテージを得ることができます。

本書終盤でも似たようなことが述べられていましたが、
このような小さな一歩の差が、
後々歴史を大きく左右する出来事につながっている
ことも少なくないようです。

しかしたしかによくよく考えてみれば、
歴史という事実は1つしか存在していないわけで、
例えば「ヒトラーの生まれる時間が1秒でも遅ければ世界は変わっていたかもしれない」とか「マッカーサーがパイプを咥えていなければ日本が変わっていたかもしれない」という想像はあくまでも想像にすぎません。

ヒトラーがその日その時に生まれたから世界はこうなってしまったのであって、マッカーサーがパイプを咥えていたから日本はこうなってしまったのであって、他の選択肢は元から存在していません。

ですから、
小さな一歩が歴史をどうのこうのという考えは、
想像上の話であってあまり意味をなさないと思います。



功績が認められている有名な発明家とは、
必要な技術を改良して提供できた人であり、
有能な先駆者と有能な後継者に恵まれた人なのである。

技術は、非凡な天才がいたおかげで突如出現するものではなく、
累積的に進歩し完成するものである。


この段落では、
ワットの蒸気機関もエジソンの蓄音機もライト兄弟の有人動力飛行機も
必ずしも彼らが最初に一人で発明したものではない
皆先人が開発したものを改良したり、そこからヒントを得ることで歴史的発明をしてきた
ということを述べていました。

最近ぼくは「運」に関心を持っています。

「成功する人は運がいい」とか
ビッグな人に成功した秘訣を聞くと「運が良かった」と返ってくる
ということをよく聞きます。

そしてこの「運」というのは
自力ではなく他力ということ、
つまり
周りに恵まれていたということを意味します。

となると
上で述べた偉大な発明家も
これに当てはまるのではないかと思いました。

もちろん彼らの努力や頭の良さはあったでしょうが、
たまたま蓄音機の修理を依頼されてとか
たまたま有人動力飛行機の管理を頼まれてなどの
「運」が重なって、誰もが知る歴史になったのだと思うと
人との関わり確率では表せない何かの重要性を感じます。



まとめ


例えば
豚や牛などの家畜が、家畜になった経緯を
人間が要因なのか、その動物が要因なのか、はたまた環境が要因なのかと
さまざまな面から考察していました。
このことはものごとを判断する上でとても重要なことだと思います。

最近ではSNSが普及したためか、ぼくが興味を持ち始めたためか、
いわゆる左翼と呼ばれる方々の、理不尽な抗議の声がよく聞こえてきます。
これらは自分の立場からのみ判断した意見で、
逆の立場や第三者の立場を考えていません。

主義主張は人それぞれあっていいのですが、
自分と相反する意見を否応なしに全て拒絶するというのはまた違う話になってしまいます。

さまざまな面から論理的に合理的に考察して判断することがより良くしていくための第一歩です。
仮にその行程を踏んだ上で他の意見を拒むのであれば
それは問題ありません。

多様性が大きく叫ばれている現代、
ただ多様性多様性と叫ぶのではなくて、
その多様性とは何かというのを知ることも重要だと思います。




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