【人生観】「楽しむ」・「喜ぶ」ってなんだ
こんばんはイイダです。
今回は楽しむ・喜ぶということについてのお話です。
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先日7月4日に、
7月5日が誕生日の友人が
「今年は土曜だから最高なのにコロナで最悪」
などと言っていました。
理由を簡単に説明すると、
金曜の夜からいわゆる華金で夜更かしできて、
そのまま土曜をだらだら過ごしても次は日曜だから実質3日連続でパーティー続きということです。
確かに魅力的ですし、
多くの人もこの友人と同じように喜ぶのではないでしょうか。
ただぼくはこれを聞いて
「誕生日なんて別にやることないから何曜でもいいのに。」
と思ってしまいました。
2年ほど前からぼくは
誕生日を祝う理由がわからなくってしまいました。
世間的にはどんな人も誕生日を祝うのが通例になっていますが、
「ただその人が生まれた日なだけじゃん」程度に思ってしまっています。
その上、
「誕生日だけど、あくまでもそれは生まれた日と同じ日なだけで、厳密には違う時じゃん」とさえも思っています。
こんな考え方から、
誕生日に限らず様々なことにおいても、楽しむ・喜ぶ意味が分からなくなっています。
結婚も入学や卒業も。
人生で一回きりかもしれないけどそんなのただの一時。
努力に努力を重ねて掴んだ成功や歴史的な快挙に比べると、
楽しむ・喜ぶべき理由が曖昧でわかりません。
しかしふと思ったのですが、
「楽しむ」・「喜ぶ」というのはそういうことなのかもしれません。
「楽しむ」・「喜ぶ」瞬間を思い出してみると、
上でも述べたような誕生日や結婚、入学、卒業など、
無条件に楽しむ、喜ぶべきものばかりです。大半がそうです。
つまり
なにが楽しいか分からないけど楽しむ、なにが嬉しいか分からないけど喜ぶというのが本来のあり方なのかもしれません。
以前挨拶の意義に関しても同じような記事を書きました(詳しくはコチラ)が、挨拶と同様にそれを行う意義は特にないのかもしれません。
ですから
ぼくのように
まずいろいろなことについて考えてしまうよりも、
訳はわからないけどとりあえず楽しむ・喜んでしまった方がいいと思います。
楽しんだもん勝ちです。
と
ぼくが言っても説得力のかけらもありませんが、
ぼくの見解はこのような感じです。笑