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日本の昔話🕯️「おおかみの眉毛」 人の本性が見えると?

お話は、起承転結、が大事といわれます。
ドラマチックな展開はなくても、心になぜか残るお話ってあるのです。
私にとってその一つが、日本の昔話で「おおかみの眉毛」

鍋の洗い汁を飲んで飢えをしのぐような貧乏な男が、生きとるかいがないと狼に食われて死んでしまおうと山に行くが、どの狼も男を食べない。
狼は「お前は真人間じゃけん食われん」といって「この眉毛で見たら人の本性がわかる」というおおかみの眉毛を1本抜いて男にやった。
男がその眉毛で見ると、人が馬やら、豚やらに見えて真人間はめったにいない。そこへやってきた金持ちの旦那が眉毛を通して男を見て真人間だとわかり、男は金持ちの跡取りになった。
それから男は一生ひもじい思いをすることはなかったそうな

こぐま社「子どもに語る日本の昔話①」よりあらすじとして抜粋

わずか5頁、声に出して5分の短いお話です。
筋もシンプルで、何度も覚えようとしてやめているお話です。

昔話は、聞いた人が自分の経験に照らし合わせて受け取るもの。
だから素直に覚えて語ればいいのです。
下手に言葉の意味に引っかかったりしていると迷子になる。

最初にこのお話を聞いたときの感想。
「不思議な眉毛があるもんだ。いい人が幸せになってよかった」

何度か聞いているうちに、読んでいるうちに色々な感情が出てくる。
「私はこの眉毛を通してみたら何に見えるのだろう?」
「この眉毛があったら、いい人と悪い人がわかって便利だろうな」
「金持ちの旦那さんが男を幸せにするキーパーソン。彼がいなければ色々な性根の人がいるだけで終わった話。旦那さんも真人間なのかしら?」

そして最近感じたのは「人が馬や豚に見えるのは、人を馬や豚のように扱う人がいるからではないかしら?人は馬のようにひたすら働くときもあるし、タヌキのようにちょこっとだますときもある。人だって色々な時がある」

いけない、いけない。
こんな横道にそれていてはお話の真髄が伝わりにくくなる。
糊口をすするような貧乏な男が、真人間であったのでおおかみと旦那に助けられて幸せになる」
ここだけ明確に伝わればいいのに。

世の中に溢れているたくさんの事象のように、深掘り、裏読み、フェイクに誇張、と枝葉が多いと芯が隠れてしまう。「だからどうなんだ?」

それでも、子どもを育てている時期にこの眉毛があったらよかったのに、と考えてしまう。そうすれば、その子に合った育て方をしてやれたのに。
雀には雀の、鷲には鷲の。
やり直しができないのが人生だから後悔は役に立たないし、よかったことも悪かったことも、全て乗り越えて今のその人ができている。
他人の後悔はかえって相手への侮辱になる。

「それでも」っと、しょうがないことを考えることを止められるようになったら、このシンプルに幸せになるお話を覚えてみようか。

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