厭な子供。僕は偏った思想の家で育ち、健全に屈折した
僕は厭な子供だった。
僕の両親は偏った思想の持ち主だ。
僕の両親はあたりまえのように
その思想が正しいと信じていた。
僕はわからなかった。
なぜその思想が正しいのか。
僕は街頭演説に駆り出された。
僕は署名活動に駆り出された。
僕は募金活動に駆り出された。
僕は演じていた。
笑い方も、話し方も、歌い方も、
歩き方も、アイコンタクトの仕方も。
すべて指導されたものだった。
僕は厭な子供だった。
僕はわからなかった。
僕は何を頼んでいるのだろう。
僕は何を信じているのだろう。
僕は何を期待しているのだろう。
僕は思った。
正しいって何だろう。
悪とは何だろう。
平和とは何だろう。
差別とは何だろう。
この思想を正しいと教えることは
正しいのだろうか…
僕は厭な子供だった。
僕は健全に屈折した子供だった。
追記:僕は両親のことを悪く言いたいわけではない。僕は、自分の核となった考え方が、子どもの時に形成されたものだなと感じるので、そのことを残しておきたかった。