救命措置 めんどくさいとかかわりたくないに含まれる言葉と気持ち

さっきまで のんびり休憩してたおしいさんが
気がついたら 倒れててまわりに人だかりができてる時に感じた事

めんどくさいな かかわりあいたくないな

……………………………………………………….

僕自身 もしひとが倒れてて誰もいなかったらもちろんすぐかけつけて
声をかけます まぁ そのうちほかの人が来るだろうと見捨てるような事は
まずしないし そういう人間ではないと自覚しています

それにもかかわらず なぜめんどくさい かかわりあいたくないと
思ったのか?
ある意味 ぜんぜん 自分らしくない言葉なのに

そのめんどくさいとかかわりあいたくないと言う言葉は表面的な事で
本当の意味合いの言葉は別にあると自分で気がつきました

めんどくさい かかわりあいたくないは

救命措置がこわい まだ経験したことがない 失敗して人の命が失われた時の自分の力の無さ 無力感を感じたくない

とにかく 救命措置で失敗した時の事 かけつけてことを大きくして
必要以上の救命措置をしてはずかしいおもいをしたくないなど

そういう言葉や気持ちが隠れていることに気がつきました

シンプルにまとめたら 救命措置をして失敗した時の無力感 後悔の気持ちなどをあじわいたくないというものです

たとえ かけつけた時にもう手遅れだったとしても
そこは常に人が通っていて 平日だったので

まわりにいたひとはそれこそ倒れて数十秒のうちに駆けつけれたと
思います 自分が向かった時にせめて仰向けにすれば
助かってた可能性は十二分にあるのです それに加えて
ホテルに常駐してた看護師さんを呼んでいたらさらに
助かってた可能性はさらに高まります

救命の技術と経験が乏しいなら出来る人を呼べばよかったし
気がついて仰向けにすることぐらいはできたはずなのに
出来なかったことは今でも悔やまれます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?