「好奇心を肯定する」環境とは?あの名作ゲームソフトがくれた気づき
教員採用試験が無事終わり、通信制大学最後のレポートも提出し終えてしばらく我慢していたゲームを解禁した。あの名作Switchソフト『ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド』(通称BotW)の2週目をプレイするためだ。
久しぶりのゼルダに没頭して数日が経った頃、夫(アメリカ人)と次のような会話をした。実際のやりとりは英語だったがここでは最後の一文を除き、日本語訳を記す。
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私:ゼルダめちゃくちゃ面白い!探検すればするほど小さな仕掛けや謎があって、それを見つけたり解いたりするのに夢中になっちゃうんだよね〜
夫:あのゲームは本当によくできている。天辺が見えない高い山があったら上まで登ってみたくなる、遠くにキラキラ光る「何か」が見えたらそこまで行って正体を突き止めたくなる。そういう人間の本能みたいなものをよく満たしてくれる作りだよね。It's a game that rewards curiosity.
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"It's a game that rewards curiosity."——夫のこの発言に私はハッとさせられた。直訳すれば「好奇心が報いられるゲームだ」といったところだろうか。少し言い回しを変えれば「好奇心を肯定する」ゲームとも言えるだろう。
「好奇心を肯定する」
この発想をゲームではなく学校教育に置き換えてみたらどうだろう。子どもたちは好奇心に満ち溢れている。その「好奇心を肯定する」環境とは、どのようなものだろうか?
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一般的に学校で行われる授業には「目当て」があり、教師と児童は共にその一つの方向に向かって活動に取り組む。しかし設定されたゴール=目当てに向かう途中で、別の方向に好奇心が芽生える子どもがいる。それはその子が自分なりに考えた、同じゴールにたどり着くための違う道筋かもしれない。あるいはその子が目指してみたい・その先にあるものを確かめたいと感じた新しい方向にある、全く別のゴールかもしれない。
そんなとき、私は好奇心を否定したり、邪険に扱ったりるするのではなく
「うん、気になるね」「へー、いいとこに気づいたね!」「その発想はなかったな。先生、感心しちゃった」「面白そう。あとでやってみる?」と、
子どもの好奇心を肯定し、寄り添う大人でありたい。
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