精霊を見ることができなくなってしまったように
これから、わたしたちに見えなくなってしまう可能性があるもの=「色」について。
はじめに
週に一度、小学4〜6年生に手仕事の授業をしています。
このクラスを担当するにあたって、
なぜ手仕事の授業があるのか
手仕事によって何を育むのか
どんな授業を展開したら良いか
原点を確認するため、海外のテキストを参考にしました。
以下、テキストを読んで感じたことをまとめます。※翻訳することが目的ではないので、わたしのことばで語ってあります。
前回の記事はこちらです。
そもそも「色」である部分
手仕事における大事な要素は「色」です。手仕事は、絵の授業とのつながりをもって育まれていきます。
シュタイナー教育の学校では、授業で絵を描くとき、輪郭線を引いて形をつくるような描き方は教わりません。線を引くのではなく、まずは「色そのもの」を体験することから始まります。具体的には、水彩(にじみ絵)などで、色と色とが調和していくところを体験します。
「黄色と青をまぜたら緑になる」といった図式的な説明はせず、子どもたちは、お話(ファンタジー)とともに色への親しみを育みます。教師はそのお話に沿って、まるで生きた登場人物のように色を扱ってみせることが大切です。色に「生きたもの」を感じることで、子どもの魂が育まれます。
世界が灰色になってきていること
もしもわたしたちが、以上のような生きた色の体験を失い、機械的な色の経験しか持つことができなかったら、どうなるでしょうか?
「もはや色を知覚する器官を持たない子どもたちが生まれてくることになる」と、シュタイナーは1914年に指摘しています。
「わたしたちが、今や精霊を見ることができなくなっているように」「やがて、今の人間と同じようには色を見ることができなくなり、世界は灰色になってしまうだろう」
現時点で、すでに「色盲」「色覚異常」を持つ人がみられます。また、都市の風景として、灰色がかった建物や服装は、わたしたちのすぐそばにあります。これは、世界の「均一性」がいのちを消し去るように働いてきたことの現れではないでしょうか。
この流れを加速させるのか、食い止めるのか。それは、今を生きるわたしたち次第です。目の前にいる子どもたちの「心」や「感覚」「身体」をきちんと育んであげることには、次世代の癒しがかかっています。
あとがき
手仕事の授業で「色」を教えることはありませんが、たしかに、手仕事は「色」とともにあります。だからこそ、この話が頭の片隅にあるか・ないかによって、授業の醸す空気は全く別のものになってしまうでしょう。目の前の子どもを通して、何代先もの未来をつくっていること。そのことの大きさを自覚して、ありがたくつとめさせていただきたいです。
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