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「聴く」の自己観察

聴き上手だね〜、とよく言われます。

自分のことを話すのが苦手というのもありますが、人の話を遮らず、否定せず、最後まで聴いていることは、まぁできているかもしれません。

でも、最近、本当に聴けているのか?と思うことが増えてきました。

というのも、学校で子どもたちと接していると、みんなよ〜く聴いてるんですね。まるで、全身が耳として働いているかのように、毛穴からぜんぶ吸い込むように。聞いていないようでちゃんと聴いているし、聴いたことを忘れないのです。耳から覚える能力の高さといったら!

それに比べて、大人は(わたしは)頭を使うことができる分、また、自意識が強い分、純粋に聴けていないと感じます。話を遮らないし、相槌もうっている。けれど、なんか、すべてを受け止めきれていない感じ。

たとえば、わたしは先生でありながらも新参者なので、わからない・できないことが多く、不安とともに過ごすことがよくあります。

完璧じゃない姿をたくさん晒しているので、先生として大丈夫かな?この人から学びたいと思われているかな?そんなことが気になって、あまりオープンでいられていないのを感じます。聴いていても、次の展開を考えていたり、この質問にどううまく返そうかなんていう邪念が働くことも。心ここに在らずです。

聴くことには、いまここにとどまることが欠かせないようです。そして、いまここにいること、それは子どもたちのほうが上手なのかもしれません。

よく聴くためにも、まずは自然体でいられるように。そんな願いを込めて、先日の書き初め大会では「素」という文字を書きました。

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(正座してしっぽりと書くような書き初めを想像していたけど、大きな筆を抱えて全身で書くような、超本格的な書き初め大会でした笑)

何があっても大丈夫。間違っても大丈夫。答えを用意しなくても大丈夫。その場で湧いてくるものを自分の中に「聴く」ことにしよう。

あんまり自分にダメ出ししてばかりもよくないですね。

サポートしていただけたら、毛糸を買って何か編みます☆彡