5/1-5/9日記 息子・帰省・写真のこと
先週末から息子と2人で岩手の実家に帰省している。約2週間ほどの滞在予定。夫と喧嘩したわけではなくて、「わたしの夏休み」という名目でのんびりするための帰省。先月末から5月にかけて、ちょっぴりハードだった。
息子の舌の裏に「免疫嚢胞(めんえきのうほう)」と呼ばれる出来物ができて、小児科や口腔外科の先生のところに通った。帰省後にまた受診して、様子をみてみる。出来物は切除しないと完治しないらしい。調べてみたら、子どもに多いらしくて、赤ちゃんだと大きな病院で全身麻酔して処置することもあるらしい。本人はいたってご機嫌で、今のところは便秘以外は健康!なのが救いなのだけれど心配。
すこし慣れてきた編集の仕事は先月これまでで記事数が多かった。達成感があって、気持ちいい。久々の感覚。まだバリバリ働いてた自分に戻りたいという気持ちもある...
来月は夢だった紙媒体への写真の掲載も叶いそうで嬉しい。今回の掲載は「おかね」が発生することはないのだけれど、多くの人の目に触れる、だれかのために役立つ、活用されるというだけで嬉しい。
写真...前はビジネスとしての写真家(雑誌にのりたい、物撮りしたい などなど)になりたい...と考えたこともあったけれど、今は自分のつくりたい作品を創る=撮りたいという気持ちが高い。
将来息子にママは人よりは写真をよく撮ってたんだね
「ママさんバレー」してたんだね...ぐらいの程度でもいいんじゃないか?なんなら「日曜大工」ぐらいの「週末写真家」ぐらいでもいいんじゃないかと感じている。
次々と写真に打ち込むひとを眺めては羨ましくもある。だけれど、わたしはわたしの人生。他の人と比べても意味はないことだし、羨ましがる→憧れる ことに繋がれば、結構なパワーになったりもすることを知ってる。
かつ息子は息子の人生であって、いつまでもこの胸の中にはいない。いつかは旅立っていく。今のところは「週末写真家」だけれど、おばあちゃんになって人生を振り返った時に小さな写真集ができるほどにはなっていたいと思う。
写真=仕事 よりは写真=わたしの表現方法、わたしの生活の一部 なのだと息子ばかり撮りながら感じる。
里帰り出産して以来の帰省で実家はお祭り騒ぎ状態。去年、生まれたばかりの息子を抱っこしながら、祖父に頼まれて、息子が生まれた後に亡くなった祖母の写真を撮った この和室で息子と横になるなんて、いろいろ考えることもある。祖母の死を受け入れることができない祖父は孫の帰省に今まで見たことがないぐらい嬉しそうで、やわらかな顔をしている。帰ってきてよかった。
写真はわたしが子どもの頃によく遊んでいた鉄琴。存在を急に思い出して、母に奥から探してもらったら出てきた。他にもぬいぐるみや、木製のおままごとセット、電子ピアノなど物持ちの良い母がきれいに保管しておいてくれたおかげで息子に引き継ぐことができる。
田んぼに囲まれて何もなく、スタバが1店舗でオープンしたことでニュースになるほどの田舎なのだけれど、のんびり考えごとしたり息子と戯れるにはちょうどいい。