世代ごと皆「いのちがけ」の時間がある~団塊世代・団塊ジュニア世代親子
<蠍座新月でどうも感情が刺激されているようで、長いです。>
しばらく、団塊ジュニアの話が続いてしまったのですが、
私の親世代である団塊世代はというと
その世代は、その世代の過酷さというのが
目に見える形で人生の序盤からあって
戦後間もない食糧難の敗戦国日本、
その中で圧倒的に物資が足らない日本で
幼少期を生き抜いた世代
というところです。
必ず、我が家では年に1回くらいは
給食に出てきた脱脂粉乳の話が出て来て、
もうその話と言えば、
年1ですから40回以上は再生されている
我が家ではテッパンのテーマでもあるわけです。
先日紹介した、私の最初の無料動画教材
「空室対策基礎の基礎(上巻)」
の中でも話しているのですが
私の父は中学3年生のときに
校庭の真ん中にある朝礼台の上から、
全校生徒を眺める場面があって
(柔道部の話を部長として行うため)
そうして全校生徒をぐるっと見た時に、
なんと
中学3年生から中学1年生へ向かって、
背丈が「大きく」なっていた
という話があるんです。
中学生の目でその光景を見た父が、
「この3年間で食糧事情が随分よくなったんだな」と思った、
なんていう話が、脱脂粉乳の話と共に出て来るわけです。
それだけではなくて、
父の学生時代、給食が出る日はいいのだけれど
お弁当持参の日となると、
「お昼休みになると教室からいなくなる子」や
「蓋でお弁当を隠しながら食べる子」というのが
クラス替えをしても、いつも1人2人必ず居たそうです。
それは、本人たちがそうしたくて、
本人の意思でやっているのではもちろんなくて、
「持ってこられるお弁当」がなかったり、
お弁当におかずがひとつも入っていない自分のお弁当を
「開けて食べることが出来なくて」そうなっていたと
父は語ります。
かといって、自分の弁当を分けるなんてことは
その子の自尊心を余計に傷つけてしまう可能性を
父たちは子供ながらに心の中で考えていて、
何も気づかないようにすることで精いっぱいだったと。
そんな幼少期の背景を持った父からすると、
一時期騒がれていた、給食費払いたくない問題の話だとか
出されたご飯を「残す」という行為が
長く「考えられないこと」「非常識」「許せないこと」
だったという感性であるのも理解できます。
そこまでの時代というのは
やっぱりどう考えても生物としての生存自体に直結する
食料、物資、安全の意味で
「いのちがけ」であったわけで
そこを乗り越えるために
「努力」や「忍耐」や「根性」や「質素倹約」
というものは間違いなく、力になった
人生を切り拓くための崇高な資産となる知恵だったのだと思います。
ですから、自分の人生を切り拓く糧となった
そうした"自分のこれまでを照らし合わせた時に"
間違いのない崇高な財産である知恵を
自分の愛する子供たち
守りたい息子たち、娘たちに
引き継ぎたい、受け取って欲しい
という気持ちが強くあるのは
ちょっとお節介だったとしても
本来「愛情」そのものである
という事を、
子ども側の立場としては大前提で押さえていないと
本質的なことを見誤る可能性があると思います。
愛情なのだ、と一旦感謝して受け取って、咀嚼した上で
「受け取るか」「受け取らないか」を
自分の目で選んでいく、ということをしていかないと
「恨みつらみ」や「憎しみ」のような
思わぬ形に転化してしまうのだと思うからです。
■愛情として始まっている、という考えで昇華する
実質的に、結果として、
どうだったかは人それぞれだと思うのですが
「報われたもの」を手にできた人は
特に問題もないでしょうからよいとして、
「報われなかった」という感想(単純に稼ぎの話だけではなく)
を持つ人たちも、それでも
「はじまりは愛だったのだ」と理解することって
親子両者の未来にとって、
とても大事な工程である気がします。
何より、自分の中の心の膿の昇華に役立ちます。
その膿は、自分がつくりだした
自分を攻撃することにしかならない毒素であることがあります。
ここらへんの糸がこんがらがって、
親子関係がぎくしゃくしているケースが
なんとなく周りの話を聴いていると
近年、特に多くなった気がしています。
(単に自分の年齢が上がったからというだけかもしれません。)
そこへ時代の価値観の劇的な変化が続いて
もうどうやっても、
ほどくことが出来ないこんがらがった親子の糸を
もう果てしなく続く鈍痛に耐えられずに
ハサミでちょん切ってしまう、
そんなことも起こっている。
親の、愛情で始まって
子どもの、愛情で応えようとしていたけなげな姿と時間があって
相思相愛だったはずの親子関係が
時代の変化、価値観の変化のあおりを受け
思うような「結果」を実らすことができないことで
こんがらがっていってしまった。
そんなことが長く続いた30年だったなと
今の私には見えます。
こんなことを言うわたしも
この厄介な構造にはっきり気づくのに
随分長い時間を費やしました。
コロナの今も激動の時代だと言われますけれど
この2、30年の時代だって
すでに価値観の変遷の荒波と暴風は物凄かったと思います。
少なくとも
団塊ジュニア世代はそれをまともに受けてきたので
実感してきたかと思います。
でも、私の親世代と話していると、
もう経済的安定期に入って久しい為か
どうもそういう感覚を持っている人は少ないなと感じていました。
諸外国の動向をガン無視して
基本的なものの物価がほとんど変わらなかったために
日本国民は定点にいた錯覚がある人が多かったのかもしれません。
そこで頻繁に発生するようになった親子のすれちがい
愛情をもって相手へ添えるように頑張っているのに…
という苦悩は、
親側も子ども側もきっと同じだったのだなと
今は思うようにもなりました。
皆、自分のエゴにだけ突っ走っているわけではなくて、
大切な人のことを大切にしたい、応えたい、力になりたい
「信じてきいてくれ!!」と思って、
それなのにそれが実現しないところで苦しんでいるんだなあと
なんか、こうして少し離れて眺めてみると
そんなグチャグチャしたジレンマもどこか、
本質的には、神聖で美しいんだよなって思ってしまったりもします。
親子の愛情というものは、
すべてとは言いませんが
ほとんどの場合は、刹那的で、人生をかけた物語である気がします。
最近までの私の投稿を振り返ると
団塊ジュニアが色々な意味で
この20年くらいデフレ地獄と
その影響による派生の地獄を
その世代だけが見てきたというような誤認がされかねない話を
したのですけれど
同じ時代に、
子どものために、子供のことを想って
いろいろ心配していたけど何もできず無力だったという
親御さんである団塊世代の苦悩というのも
同時に本当は存在していて、
そこでの「提案」や「助言」が
殆どの場合、現実の「今の戦場」では通用しない闘い方
であったことが多かったことで
(実際はそのために)子どもが報われず余計に苦しんで
(子どもが親の提案や助言に全く耳を貸さない、という不満を持ちながら)
苦しみ続けている子供の姿を眺め続けることになった親
という2層の苦しみが同時に発生してた気がします。
お互いにとって、「相手に対する誤解」が
その個別の苦しみをさらに増幅させている現象もありました。
団塊ジュニアのひとりとして今から思えば、
そもそも親に教えて貰ったことだけで
上手くいくなんて盲信すること自体、
自分がアマかったわけですが(笑)
それ位、「親のいう事を信じて」「素直」だったのが
団塊ジュニアともいえる気がしますし、
その時代の世相や常識は「親の言う事をちゃんと聞く」
「自分のことは自分で、他人に迷惑かけない」というのが
「よい子」の条件であり、
NHK連ドラ『おしん』の影響で、それが教育方針として
強く浸透もしていました。
(言う事をきかなければ、問答無用で殴られましたしねw)
なので未だに、苦しみながらも
「助けを求められない人々」が多いのも、
この世代より上世代共通のような気がしています。
※それがエライという意味ではありません。
自力で乗り切ってしまった人々というのは
成熟しきれていないと
「自分は自力で乗り切れたのだから、助けを求めるなんてアマイ」
と他人にも考えてしまいがちなので、
これからの大・介護時代、団塊世代は自分たちが施した教育が
自分の未来に影響してくる可能性がある意味で
「最終結果」を受け取ることになります。
団塊ジュニアと団塊世代の親子の溝が顕著になっている今
相続や介護のこと、だけではなくて
唯一無二である親子の長年の溝を埋めていくラストチャンスとして
大事に過ごして欲しいなと思います。
お互いに、悔いのない「最終結果」を受け取って欲しいと思います。
■団塊ジュニアはまだ「予行」の最中
かつて通常の殺人の刑よりも重かった尊属殺人の刑が
「憲法14条の法の下の平等違反」として
刑法改正されたのが1995年(平成7年)でしたが、
ちょうど、そのあたりから
「親が絶対的に正しくてエライ」という価値観に対して
(?)が付く価値観が広がってきたように思います。
でも、団塊ジュニア世代というのは、
もうその頃には自我も成立していて
「親の言う事をきかなければ
叩いてでも矯正されることが フツーだった最後の世代」
であったことから、未だに上世代の「価値観」については
一旦、適応しようとした経緯がある意味で
理解できる素養がある気がします。
(※いいことなのかどうかは分かりません)
なもので、
「努力」や「忍耐」や「根性」や「質素倹約」
「学歴」「権威性」
あるいは「家族」
を語る人たちを
意見は異なったとしても、
鼻で笑ったりはしません。
親世代の考えていた価値観を構造として理解し、
敬意をもって振舞う事もできる世代だとも思います。
けれども、その為には、両者ともに
お互いの世代それぞれが
その時代の課題に立ち向かって生き残ってきたことを
称える気持ちが大事な気がしています。
何が言いたいかというと、
物質や食糧不足で大変だった団塊世代も命がけだったけれど
「生きる意味」に疑問符を突き付けられ続けてきた団塊ジュニアも
やっぱり命がけだったし、
経済戦争の戦場に駆り出されて
実際に闘う団塊ジュニアも苦しかったし
その直接の家族も同じように戦ってきた。
それに対して何もできずに、
「家族」というものが揺らいでいくことを見続けることになった
親世代も苦しかったことには変わりがない。
もちろん働き盛りに
ずっと右肩上がりに経済成長があった世代は
さぞかし希望に満ちていて、
生きるのが楽しかっただろうなという想いはあるにせよ、です。
そうは言っても、自分の子どもが苦しむ姿というのは、
自身の苦しみ以上のものがあります。
(余談ですが、これは昨年、私の娘が不登校になった後に地獄の沼に落ちてしまった経験によります。去年の今頃は今年こそ年を越せないかもしれないと本気で思っていました。現在はちゃっかり高校生活と青春を満喫中です(笑))
親子関係の溝とは
いつもこうして出来るのかもしれませんが
お互いに、
自分がこんなに相手を思っている気持ちを
相手は全く理解できていないと
そんな形で
両者はどんどん心を閉ざしていくことになるのかもしれません。
ここにはよく考えると、
「家族」だからこそ、という気持ちもあるのかもしれません。
受け取るかどうかは、相手が決めること
こんなことは、少し大人になれば
誰でも分かることだと思うのですが、
親子に関しては、求めるものがもっと大きくなって
冷静にこんな風に判断できないことが出て来る。
そんな気がします。
まさに「人間だもの。」という感じです、はい。
子どもであった団塊ジュニア世代が社会人になって
10年、15年が経過した頃というと、
これまで大事にしていた「親の意見」「親の存在」自体を
自分の中の判断基準から排除していくしか
「健全に生き続ける」こと自体が困難になっていく場面も
しばしば発生してきました。
そこに至るまでに、
あまりに疲弊し、絶望もしていました。
大切な存在をそうして大事な判断の場面で排除していくことは
肌の皮を無理矢理、剥がされるくらいの痛みです。
でも、それをしないと、
そもそも受け継いだ最大の財産である
「いのち」そのものの継続が危機に瀕していた、ともいえると感じます。
その流れは加速化し、時代が進むにつれ
どんどん顕著になってきているとも思います。
眞子さまの動向が直近では話題でしたけれど
眞子さまは団塊ジュニアではないですし、共感とか支持とかそういう気持ちも逆に批判する気持ちも私には特にないのですが、
「結婚は、私たちにとって自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択です」
というのは、
もう、永遠頑張ってもほどけない程にこんがらがって、絡まってしまった親子の糸を、
大切な親から授かった最大の財産である「いのち」だけは守るために
ハサミで切る感じ
というのを私は何となく感じました。
やっぱり、どの世代であったとしても
テーマは違ったとしても
「いのちがけ」の課題は与えられるものなのだと
そう思うわけです。
ですから世代間同士で
どの時代がどれだけ過酷だったか、
どの世代が苦労したなどと
比べても意味のない話で
どんな世代も
きっと、他の世代とは別の「いのちがけ」の時間を
生きてきているのだと思いますし、
人が生き続ける意味のひとつに、
親子というのは非常に大きくかかわってくる
ということを
改めて今回、書き残しておくことにしました。
親は子供の生命を守ることも出来るし
奪うことも出来てしまう。
そして水瓶座時代が始まった今、
「自由」「公平性」「平等」の価値観が一気に押し寄せてきたことによって
年功序列など化石のようになり
「家制度」や「会社」、そこに付随する各種制度も
同じようにぐらついてきました。
いつかは団塊ジュニア世代も
色々な意味で現役引退をして
下世代の重しになりかねない時代がやってきます。
大・介護時代と大相続時代はつまりは「その予行」。
子どもたち、次世代へ
■「届くカタチ」で愛情を投げること
大変だったことを語るのと同じくらいの熱量で
■未来への負担を阻止する事
■未来の日本のために国家の道を
次世代の立場で冷静に「判断」をしていくこと
■子どもの生命力を奪わないこと
が大事になると感じます。
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