Family.31「とらきち家」になろうよ
あらすじ
「100年経っても好きでいるよ」
醤油でも味噌でも塩でも豚骨でもない。
横浜豚骨醤油に心奪われた男、家長道助。
“家系を食べる=家族を増やす”
ことだと思っている孤独な男の豚物語。
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家系ラーメンとは?
総本山【吉村家】から暖簾分けを経て“家”の系譜を受け継ぐ、伝統文化的ラーメンであり横浜が誇る最強のカルチャー。大きく分け【直系】【クラシック系】【壱系】【新中野系武蔵家】4系譜。鶏油が浮かぶ豚骨醤油スープに中太中華麺「ほうれん草・チャーシュー・海苔」の三大神器トッピングを乗せた美しいビジュアルが特徴。また「麺の硬さ・味の濃さ・油の量」を選択する事が出来、好みにもよるが上級者は「カタメコイメオオメ」の呪文を唱えがち。
「地球が滅亡するなら最後に何を食べたい?」
誰しも人生で1度はした事がある質問だ。最後の晩餐。果たして何を選ぶだろうか。
寿司。まさしく日本人であれば大正解の答えだろう。お母さんのおにぎり。確かに母の握り飯に勝る物はない。しかし地球滅亡の日くらいお母さんにもゆっくりして欲しい。家系ラーメン。間違いないアンサーだ。イエリストとしてはこう言うべきであろう。
あたしの答えはこうだ。
「最後の晩餐を美味しそうに食べている人間が幸せの絶頂から絶望の淵に落とされる瞬間を見ながら胃の中にハンバーガーをコーラで流し込みたい」
では問いを変えよう。
「もし明日死ぬとしたら最後に何を食べたい?」
あたしの答えはこうだ。
「明日死ぬ状況なら好きな物が食べられるとはあるめぇし」
そんな腹の足しにもならない問題の解いを考えながら、幼少期から知っているあの街に降り立つ。
以前、街も人も変わっていく。それはとても恐ろしいスピードで。と書いていたが、この街は何一つ変わらない。
飲食店が少し入れ替わったくらいでそれ以外は時間が止まったかのような街模様。よく言えば趣があったり風情があったり。変わらないかわりに寂れて行く。熱は冷めるし鉄は錆びる。それは仕方がない事だった。
当時は届かなかった自販機上部のボタンを押し飲み物を買う。1番売りたい左上の商品は無視して自分が飲みたい物を買った。その横を歩いた方が早いスピードの原付が通り過ぎる。超安全運転おばあちゃん。逆にデンジャー。大学生風情の男が乗るマウンテンバイクが忙しなく追い抜く。
年齢によって時間の流れ方が違うのだろうか。たぶんそうだ。でもおばあちゃんがみんな同じ話し方になるのは何故なのだろう。
大人になるにつれ、地元の友人たちとの会話も合わなくなり会わなくなった。六角橋のひび割れたアスファルトと同じように人間関係の溝が出来ていた。いつの間にかそうなっていた。高い所に手が届くようになったのと一緒だろう。
舗装も出来なければ誘う事も出来なくて。寂しい感情が失くなってしまった事が寂しい。かも知れない。
かつてツレと共に歩いていた坂道を一人で下る。これまで歩んできた我が轍を大切にするかの如く、踏みしめながらゆっくりと。すぐには到着したく無かった。
2024年6月2日閉店「とらきち家」
我が地元「六角橋」からまた家系がなくなった。それは突然の報せだった。
そこは家長家の思い出店『六角家』の2軒隣『とらきち家』。ラーメン激戦区でしのぎを削り合った名店がどちらも無くなってしまうのだ。
2022年、寅年の締めとして訪れたり、時には油そばを食べたりと、何度も何度も味わわせて頂いた。
そんな『とらきち家』がもう食べられない。悲しみに暮れながら、同じ気持ちの同士たちに混じって大行列に並ぶ。
これが最後の『とらきち家』か・・・。
『本牧家』“ラストダンス”の時に感じた思いに駆られる。
移転である事を願いながら40分弱並び、店前に辿り着く。
「味玉も食べたいな〜うずらも食べたいな〜」なんて思ったら既に売り切れで、もう涙が溢れそうだった。
それでも。それでもだ。これが最後なのだからと、心の底から楽しもう。腹の底から味わおう。
もう2度と押すことのない食券機のボタンをプッシュした。
恋人の別れ話を聞く前のような面持ちでラストダンスの舞台を待ち構える。試合前に靴紐を結び直すアスリートのように、ライスの準備は万端だ。
いつもより盛り盛りの野菜に思わず微笑みが溢れる。涙より塩分濃度が高い極上のスープを頂く。
『王道家』から受け継いだトラディショナルな一杯。
THIS IS とらきち家。
ファンタジーでファンタステックな味に何処へでも連れて行ってくれそうな気がした。
いつもより「にんにく」を盛り盛りにしてぶっ飛ぶ準備も万端。
心構えで出来ていても王道家特製麺が口内に侵入し身体の中で暴れ回る。
貪る。
貪る。
貪る。
味玉のない最後の「無限ライス」を思いっきりやる。
無限に食えるけど、永遠ではなかったみたいだ。あっと言う間にお別れの時間になっていた。
蛍の光ではなく、終わりを告げるこんな曲が脳内で流れ始める。
あるがままに、明日は我が身。
大切なものは失ってから気が付くのだ。
涙で滲んだ景色の中『とらきち家』を愛する者たちの行列は途切れる事が無かった。
ただ幸せだけを願い告げる もうバイバイと。
本当はさよならなんて言いたくなかった。
そんなラストダンスから数週間後。
『とらきち家』が閉店してから4日後の事だった。
まさかの朗報。
なんと『とらきち家』第二章が始まる。
やはり「絶望」の隣には「希望」がいるのだ。
まだまだ人生捨てたもんじゃない。
次は希望を持って、あの坂道を下ろう。
『とらきち家 光』ありがとう。
――――――とらきち家、常に前向きトライしな。
こうして【とらきち家】が道助の家族になった。幸せになろうよ。