Family. 29「六角家1994+」になろうよ
あらすじ
「100年経っても好きでいるよ」
醤油でも味噌でも塩でも豚骨でもない。
横浜豚骨醤油に心奪われた男、家長道助。
“家系を食べる=家族を増やす”
ことだと思っている孤独な男の豚物語。
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家系ラーメンとは?
総本山【吉村家】から暖簾分けを経て“家”の系譜を受け継ぐ、伝統文化的ラーメンであり横浜が誇る最強のカルチャー。大きく分け【直系】【クラシック系】【壱系】【新中野系武蔵家】4系譜。鶏油が浮かぶ豚骨醤油スープに中太中華麺「ほうれん草・チャーシュー・海苔」の三大神器トッピングを乗せた美しいビジュアルが特徴。また「麺の硬さ・味の濃さ・油の量」を選択する事が出来、好みにもよるが上級者は「カタメコイメオオメ」の呪文を唱えがち。
1992オギャーと誕生。
母ちゃんと父ちゃんの愛情。それ故に、あたしはこの世界に生まれ落ちてしまった。
アニバーサリーを32回も繰り返すと、過去を振り返る事が多くなる。答えは未来にしかないのに、何をしているんだろうか。
1番、古い記憶は何なのか、1番、色褪せない記憶は何なのか、1番、思い出したくない記憶は何なのか。
探さずとも幼少期の思い出が溢れ出す。それは心と身体に刻まれた忘れられない原風景だった。
ここは、新横浜ラーメン博物館にある「夕焼けの街」。
盗まれたバイク、吸いかけのヤニ、結ばれぬ愛。
いくら儚さの欠片を掻き集めてもこの場所には及びはしない。竹竿にかかった洗濯物も石原裕次郎のポスターもパチンコ屋のネオンも全てがエモかった。
地下に広がる夕焼けに目を奪われながら、置いていかれないように、何処かに行ってしまわないように、横に居る父の手を必死に掴む。両親が居ないと何も出来ないくらい子供だった道助は迷子になるのが怖かった。
「どこにしよっか」
キョロキョロと辺りを見渡す父ちゃんを見上げる。真っ赤な夕日に照らされて、顔に影が出来たり出来なかったり。なんだか太陽と追っかけこしているみたいだった。
「ここがいい」
全国津々浦々から有名ラーメン店が集う中、迷う事なく刺した指の先には、あの三文字があった。
「ここは近所にあるお店と同じだよ」
「でも食べた事ないもん」
選んだのは地元・横浜が誇る名店『六角家』だった。
「本当に六角家でいいの?」
何も言えなくなり泣きそうになる。黙っている道助の手を大きな手が包み込む。いつの時代も夕焼けと優しさは眩しかった。
「じゃあここにしよっか」
きっと他のラーメンを食べたかったに違いないよな。そんな親の愛を子供は知る由もなく、鼻水を垂らしながら赤い暖簾をくぐった。
これがあたしと『六角家』の初めての出会いだった。
なぜ地元で食べられるラーメンを選んだのか覚えていない。直感だったのか適当だったのか分からない。けれどこれが原風景だった。この経験が、この記憶こそが「自分の核」なのだと改めて思う。
お母さんの口紅をこっそり使っていた健気な少女がメイクアップアーティストになるように、教室で1人自由帳に絵を描いていた孤独な少年が漫画家になるように、あたしはきっと家系ラーメンを食べる人になったのだろう。
大人になって気が付いた父親の優しさと地元のありがたさを感じながら新横浜に降り立った。
“家系御三家”堂々の帰還「六角家1994+」
ラー博30周年企画として始まった「あの銘店をもう一度“94年組シリーズ”」その最後を飾るのが、我らが『六角家』だった。
ラーメン博物館のオープンである1994年から2003年に卒業するまでのおよそ9年間、全国から集うラーメン好きに家系を提供し続けた。
この「六角家1994+」は、静岡の地で『六角家』の魂を受け継いでいる『蔵前家』の大将が1994年当時の味を30年間の技術と経験により進化(+)させると言うコンセプト。
期待と感謝の気持ちを抱いているのは、イエリストであるファンのみならず家系職人さんも同じ。たくさんの祝い花が届いていた。
ちなみにあたしが訪れたのは98年とかその辺だった気がする。ちなみにちなみに高校生の頃は「こむらさき」で1年くらいバイトしていた過去がある。チョウさん、ヨウくん、元気か?
昔のバイト先に寄ることもなく、お客さんとして子供の頃と同じ場所でレトロを一望する。相変わらず真っ赤に染まった夕焼けは眩しく、頬は紅潮し心は高揚していた。
この日を楽しみにした同志たちが並ぶ列に着き、今か今かと待ち侘びる。心臓の鼓動とは裏腹に列の進みは遅い。回転率はかなり良かったからきっと体感だろう。
事前準備で現存する最後の『六角家』である戸塚店との思い出に浸る。もちろんこの1994+に協力してるそうだ。
デジタルになった食券機でお目当ての一杯を購入する。他の店舗を巡る気持ちは頭になかった。六角家一択である。
あの頃よりも50センチは高くなった身長で、伝統の赤黒看板を見上げ、深い紺色に変わった暖簾をくぐる。26年ぶりの“ラー博六角家”だ。
確か真ん中に厨房があって大きなコの字型のカウンターだったような気がする。そんな当時の記憶を思い出しながら店内を見渡す。
(おそらく)当時と同じ赤いカウンター。さらに「六角形」にこだわった内装がイカしまくってる。紺色のTシャツもカッコよかった。
そしてようやくの対面の時。目の前に置かれた一杯は、まさしく『六角家』。美しい青磁の器の中でスープが黄金に輝いている。
その圧倒的な佇まいとビジュアルにあたしは…
麺喰らう前に、面食らう。
家長道助の2個下の後輩1994+。
「テメェ出身どこだコラァ」「オラァ何処の看板背負ってんだ!?」そんな横浜のヤンキーノリでスープを一口。
旨みが口いっぱいに広がる。7LLLLDDDDDKKくらいの広さはゆうにあった。トイレは4つはあった。そしてあたしの人生とは正反対の深みがある味だ。
さすが【横浜の看板】を背負ってるだけある。カスな先輩を黙らすパンチ力とキレ。それだけでなく六角家由来の“豚骨臭さ”がなくマイルドな仕上がりになっている。これがあの頃の味で、あの頃を進化させた味なのか。うま、過ぎる。
なんたるクラシカルだろう。
まさに家系ブライダル。もうこれは結婚しかない。
こうしてあなたとあたしは結ばれた。もちろん運命の黄色い糸“運麺”で。
しかし驚きだったのがこの運麺が「酒井製麺」ではなかった事だ。
これは衝撃だ。ずっと付き合っていた人が結婚してたくらいの衝撃。
「こんなに美味いの!?」
そう叫び出しそうになるくらい酒井に負けず劣らずの最高の麺だった。
改めて見て頂きたいのが「鶏油」である。『六角家』は油ドバドバが特徴。
そう「油が鋭利」
まるで神童「那須川天心」
豚骨スープを包み込む鶏油の掛け算に、段違いのガンギマリだった。
『六角家』ならではの「キャベチャーというカルチャー」もたんと味わい
”六角家伝統”の「黄身まで味が染み込んだ味玉」もやる。
2個やる。
全てを放り出したくなるほどの美味。思考は既に停止し、珍しくまくっていた。
もうゴールドチェーンも豪邸もいらない。高級然としたポルシェに使用人もいなくていい。
この“家”があれば充分だ。
夕焼けの街で、食うための箸を割り、豚がふんだんの出汁を飲み、柔和な味を堪能し尽くす。
ここは懐かしさの中に新しさがある家系由来の伝統激旨ラーメンだった。気が付いたら昭和レトロの街並みを亡霊のように彷徨っていた。
ありがとう。そしておかえりなさい。これからもよろしくね。
――――――人生の進むべき方角は、ここにあったな六角家。
こうして【六角家1994+】が道助の家族になった。幸せになろうよ。