自分ゲーム史
父親
私の父は一般的なサラリーマンですが兎角"ゲーム"というよりは"ゲーム機"に魅了された人間です。
ゲームハード機でお酒が飲めるような人で物心ついたころには家の一角に小さなゲーム博物館のようなものがありました。
私は20代ですが父の影響で同世代の人よりもゲームの知識が古いと感じます。
Twitterなどでは(複数アカウントがあるが)明らかに4,50代と間違われることがあります。
任天堂の初代(正確には違う)ハード機のファミリーコンピューター、今は亡きハドソンのPCエンジン、湯川専務(当時父がよく話していた人物、実際は知らない)でお馴染みのドリームキャスト。Sonyのプレイステーションについては語るまでもありませんが、それらを語ると大体、ねぇ何歳?と突っ込まれます。
周りの同世代の男の子がポケモンをやっていたころにバイオハザードやメタルギアソリッドをプレイしていました。
ゼルダやポケモンは家にはなかったし、やってみたいとも思いませんでした。
子供ながらにバイオやメタルギアのリアルな描写や素晴らしいストーリーや凡人が思いつかない演出に魅了されていました。クリア後はまるで素晴らしい映画を一本観たような感覚になります。
私の人生はゲームというより父親が大きく影響しています。プログラミングを習ったのも父の影響です。でもどうして父なのか、なぜ同性の母ではないのかは未だ謎です。
妹
私たちは二人姉妹です。無論彼女も父親の影響を受けました。
同性の友達に「どうしてお兄ちゃんや弟がいないのにゲームをしているの?」とよく言われていたそうです。
小学生の時に出会ったモンスターハンターというゲームに憑りつかれ十数年。リリースしたモンハンシリーズはフロンティアも含め全てプレイしている生粋のハンターです。
彼女もまた全シリーズを制覇していることから古参に間違われることがあると話していましたが実際には20代です。
彼女のエピソードの一つとして、ゲームソフトの説明書(私たちの小さい頃のゲームはキャラクター紹介や簡単な操作方法などが書かれている小冊子がついていた)を教科書と共にランドセルに忍ばせ学校に行くのです。
持って行ってどうするのかと聞いてみると、休み時間にこっそり見て内容を頭に叩き込むといいます()
希代のゲーム好き。
周りの男の子でもそんなエピソードを持っている人はそういないでしょう。
母を除く私達家族は常にゲームと生活してきました。
友人 SとT
地方のそんなに大きくはない田舎街。
小さなころから仲が良かった幼馴染がいます。
名前を仮にS とします。彼ともう一人のTと、近所に女の子がいなかったということもあり、いつも3人で遊んでいました。
向こうも当時女子では珍しく本気でゲームをする私が面白かったのでしょう。学校が終わるといつも誰かの家に集まっていました。
私たちは小、中と同じ学校に通い高校からは3人それぞれ別の高校に進みました。
会う機会こそ少なくなりましたがテスト以外の放課後はオンラインゲームでほぼ毎日のように遊びました。
ゲームで一喜一憂し、時には口喧嘩をし、恋愛事情やそれぞれの学校での出来事を語り合い、くだらない事を言っては大笑いしまるで兄弟のように長い時間を過ごしました。
ーSはとにかくゲームの才能があった。
彼のゲームの才能は別格でした。もともと頭がよかったのもあっただろうし(彼は地元で有名な進学校に通っていた)何よりも努力を惜しまない性格でした。何に対しても常に疑問を持ち、その内容は別次元で私もTも目が点になることがよくありました。
ゲームとの向き合い方は今も彼を参考にしています。
性格は穏やかで全ての人間に優しく、沢山の友達もいました。彼は全てにおいて恵まれた人でした。
ある日Sは事故で亡くなったのです。
現実を受け入れられませんでした。
人生とは何か。人が生まれる意味とは…。
考えても仕方のないことを延々と考え苦しみました。憎しみや哀しみで心が千切れそうでした。
彼が生きるはずの人生はどんなだったろうか。
もし生きていたらどんな素晴らしい人生を送っていただろうか。
社会に出ていたらどんな偉業を成し遂げていただろう。
素晴らしい女性と結婚し子供だっていたかもしれない。
悲しいというより悔しかった。
なぜ彼なのか。とにかく“惜しい”。
この感情が全てだったのを今でも覚えています。生きることがどうでもよくなりました。何も手につかなくなり3人で大笑いしながらしたゲームも辛くて一切起動することはなくなりました。
人はいつか死ぬ。絶対に。
でも"死"なんてものはずっと先にあるものだと思っていました。自分の力ではどうにもならない運命という大きなものがあることを知りました。価値観が変わり、あらためて人生は一回なんだと痛感しました。
彼の死に打ちひしがれどのくらい経ったか、このままではいけないと思い始めたころ彼との会話を思いだします。
「スプラトゥーン面白いからやろうよ!」
スプラトゥーンの魅力をこれでもかと力説していました。当時は他のゲームに夢中だったり学業で忙しい時期でもあり曖昧な返事をしていたのです。
こんなことになるなら一緒にやってあげればよかった…
今まで感じたことのない大きな"後悔"に襲われ、彼と同じ世界を見たいという気持ちが湧き上がっていました。
発売から既に数年経ったスプラトゥーン2を購入します。
想像以上に心理的に過酷なゲーム内容(もはや子供のゲームではない)と、もう絶対に会うことが出来ない友達への想いがリンクし泣きながらプレイし続けること一年半。目標だったこのゲームの最高ランク、ウデマエXに達っすることができました。
本当に難しいゲームで上位には行けませんが自分の中で後悔を解消出来た気がしました。
(早く楽になりたくて私の凄く自分本意な解釈です。)
と同時に彼の死を受け入れられた気がし、彼が生きられなかった分まで生きようと思えるまでになりました。
私は生まれて初めてゲームに救われたのです。
一方、TもSが居なくなった現実を受け入れられず私とは逆により一層ゲームにのめり込みます。
ゲームをしている間は辛い現実を思い出さなくて済む、と大学にも行かずほぼ24時間、睡眠を削り無心でプレイしていたと後に話してくれました。
大学は中退したものの今はスポンサーがつきプロゲーマーとして活動しています。
(2023年11月現在 既に引退している)
常々、人の人生は環境で決まると思っています。
周りの人間から大きく影響を受け人生が動きます。
私は父親の元に生まれることがなければゲームをすることがなかったかもしれないし、SやTと遊ぶ事もなかったかもしれません。
TもまたSの死がなければプロゲーマーにはなっていなかったでしょう。
もうすぐSがいなくなって4年です。
ブランクはあったものの私は今もゲームと共にあります。
―N―
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