《スーパーボランティアの尾畠さんが能登半島入りも 1日で活動断念した理由》被災地を前に初めて涙した日、明かした「85歳を区切りに引退」発言の真意

「記者さん、実は今夏に石川県の輪島へ行ってきました。本当は地震発生直後の1月に行きたかったが、車が故障していて行けませんでした。車の修理も終わり、20日分の食料などを準備してすぐに向かいました。現地はアスファルトに穴があき、道が酷かった……」(尾畠さん、以下同)
大分から20時間かけてようやくたどり着いた輪島市だったが、尾畠さんを待ち受けていたのは意外な“壁”だったという。
「(登録や許可が必要で)すぐにボランティア活動はできないと。『県庁と市役所、社会福祉協議会に許可をもらってOKならチームに入って行動してください』と聞いてちょっとダメだなぁと思った。これまでは被災地のボランティアセンターに行けばすぐに始められたけど。車中で1泊だけして帰りましたが被災地を前に何もできず、初めて涙が出ました」
地元で今も続けるボランティア活動

 地元の大分では、別府湾の海岸を清掃したり、子どもたちの通学路の草刈りを日々続けている。「海岸のテトラポッドには、ありとあらゆるゴミが溜っています。潮の満ち引きに合わせて3~4時間ほど清掃をしています。

 人から『手伝いますよ』と言われても断ってる。テトラポッドでの作業は危ないから、作業は全部自分でやっています」

 長年酷使した体は悲鳴を上げていた。
「右目が見えないんです。緑内障になってダメと言われました。病院の先生から眼帯を勧められましたが断った。右耳も聞こえないけど、補聴器とかは嫌いだからつけません。あと、ガンで胃の一部を切除してるけど、自分に衰えを感じたことは、まーったくない。被災地に行くとね、普段出ないような力が出るんですよね。“バカ力”だよね」
尾畠さんは、ボランティア活動をする上で、決めていることがあるという。

「やっぱり“させていただいている”という意識が大事。だから、活動先で物品、飲食など対価は全く受け取らない。爪楊枝一本だって受け取らない。勧められるけど、その誘惑に負けそうになったこともないね。自分で初めに決めたことだから。明日は我が身です。たとえば明日、大分で災害があるかもしれない」

【NEWSポストセブンより抜粋引用しました】

この記事を読ませて頂いて感じたのはやっぱり“させていただいている”という意識が大事。
と言う発言を読ませて頂いた時、改めてああ凄いなあ,
私には到底、その心境にはなれないなあとおもいますね
有難い事ですね


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