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君子訓 巻之上


 天地は、萬物の父母なり。
其の徳廣大にして限りなく、萬物を生育してやむ事なし。
人は、殊に天地の正氣を受けて生まれ、仁義の性を備えたれば、萬物の霊にして、貴き賤しき、みな天地の御子なり。
なかについて、國土を治め給う君子は、天より専らこの人を厚くかしづきて、人民のつかさとし、下を治めしめ給う。
其の故は、天地は人を生じ出し、養い惠むを以て心とし給えども、天もの言ざれば、自ら命令を下して人を治める事あたわず、君子を取立て、官祿を与え、其の地の人民を預け給うなり。
然れば、凡そ國土、人民を司どり治める人は、各々、其の主君より命を受けれども、其の寶は、天りよ立て給える代官なり。
故に、天職と云う。
君子と稱するは、國に君として民を子とすという義なり。
天職とは、天に代わりて民を治めることを司どるなり。
凡そ、國天下の君、其の宰臣および一郡一郷の司まで、其の任大小異なれども、皆、君子にして、天職を分かち任ずる人なり。
夫れ、國郡の君は、天より其の人に私して、富貴にし給うにあらず、其の人に威権を借して、治め易くせしめん為なれば、天道に受け従いて、民を子の如くする事、其の職分なり。


 古語に、君を立てるは、民の為にすと言えり。
凡そ、國君を立てるは、其の民を治めしめん為なり。
國民を以て、其の君一人を養いて、富貴ならしめん為には非ず。
然れば、國郡の主となる人は、我一人の楽しみを好まずして、民を安くし國を治める事、我が職分なる理を辨え知りて、日夜朝暮、偏に仁愛の心を先とすべし。
この理を知る時は、其の職分を勤めて、民を安くし國を治めるを楽しみとし、世俗の好む淫楽・漁獵・男女の慾等は、自ずから薄くなるべし。
昔漢の東平王、京都に参覲せられしに、其の時の天子明帝、汝國に在るに何を以て楽しみとするやと問い給いしに、東平王、善をすること最も楽しと答えられき。
されば、善政を行い、國民を安くする程の楽しみはなかるべし。
凡そ、國郡以下小郷邑を治める人も、其の徳、聖賢に及ばずとも、古の道を学び、人を治める古法を手本として行わば、などか民安く國治まらざる事なかるべき。
然らば、其の身、尊栄して、世の誉、後の名まで、いみじき面目なるべし。
豈、眞の楽しみにあらずや。


 生を好み死をおそれる事、人と我と同じ。
身の艱難を嫌い安楽を願う事、人と我と同じ。
父母・妻子、一處に在るを悦ぶ事、人と我と同じ。
飢寒を苦しみ温飽を楽しむ事、人と我と同じ。
然らば、我が悦び苦しむ心を以て、人の心を推しはかりて、人にも悦び楽しましむべし。
是れを、恕という。
是れ、仁を行う術なり。
されば、人に悦び楽しましめてこそ、我が心も楽しむべけれ。
人の憂いを顧みずして、我獨楽しむ事は有るべからず。
譬えば一座にみちみちたる数十人、みな酒を飲みて楽しむ中に、唯一人隅に向かいて泣くものあらば、一座の人みな興さめぬべし。
孟子にも、古之人、民与偕に樂む、故に能く樂しむ也といえり人の司となる人は、此の道理を能くさとり給うべし。


 智者は、心明らかにして、民の憂い苦しみをよく知りて施さず。
民の楽しみ願う事を能く知りて施す。
愚者は心昧くして、民の憂い苦しみを知らず、我一人の私のみに徇いて、民をめぐむ事を好まず。
是れを以て、智者は、必ず仁あり、愚者は、必ず不仁なり。
故に、よく学問し、道理に明らかならば、などか仁心もおこらざるべき。


 学問は、身を修め人を治めるを有用の学とす。
是れ眞の学問なり。
もし左もなくて、文字を知るを以て学問と思い、多く聞き多く見るに博学・多識なりとも、何の益もなき無用の学なるべし。
故に、唯、有用の学を務むべし、無用の学をなすべからず。


 眞西山曰く、人の君たるもの、大学を知らずんばあるべからず。
人の臣たるもの、大学を知らずんばあるべからずと言えり。
君も臣も、身を修め國家天下を治める道、大学の書に備われり。
是れを読みて、受用せずんばあるべからず。
又、中庸の九経に、身を修め人を治める道備われり、考うべし。
此のニ書を能く読みて、受用し行わば、外に求めずとも、其の要は、此の内にあるべし。


 世を治めるに、大道二つあり、文と武となり。
文は、徳を専らとし、武は、威を専らとす。
威と徳と二つながら備わりて治道なれり。
徳なければ人なつかず、威なければ人恐れず。
文武の徳なくして、人なつかず、人恐れざれば、怨み、背き、侮り、犯して、世治まらず。
仁にして人を愛するは、文徳なり。
義ありて人を正しくするは、武徳なり。
もし古事を覚え、詩歌を作るを以て文とし、騎射を習い、剣戟をふるを以て武とするは、甚だ小にして末なり。
人の上たる人の学問は、詩を作り文を書き、大和もろこしの故事来歴を多く覚え知る事にはあらず。
ただ、古聖賢の教えをうけて、身を修め人を治める道を知る、是れ則ち、君子の学なり。
先ず、大学を以て道に入るの門とす。
次に論語・孟子・尚書及び大学・衍義を考え知り給うべし、是れ、身を修め人を治めるに益あり。
又、通艦は、漢土歴代の記録にして、古人の行いし善悪の跡を記し、評論を載せたれば、尤も政治の道、倫理・網常の教えに益ある事、四書六経に次げり。
古人のなせる善悪の跡を考えて、今日行う所の是非を辨うべし。
聖人の経は、萬世の則なり、通艦は萬世の鏡なり。
聖人の書は、譬えば医書の病論のごとし。
病の因縁を知り、療治の法を知る。
通艦は、古人の療治せし医案を考え、其の薬法を知るが如し。
古人のなせる跡を考え、今の病人に対して療治するは今日に於いて甚だ切要なり。
通艦を考えて今の鏡とするは、端的にして切なる事なり。
政事を執行う人は、是れを考えずんばあるべからず。


 上天道にかない、下義理にかない、中義理にかなう道、一つあり、其の名いかん、公と言う。
公とは、私なきを言う。
又、上天道に背き、下人心に背き、中義理に背く道一つあり、其の名いかん、私という。
私とは、公ならざるなり。
人、我を忘れて、身に私せざるを公と言う。
人、我を立て、人の事を棄てて、専ら我が身の為のみをするを私と言う。
君に事える道を以ていわば、我が身を忘れて、ひとえに君に忠するは、公なり。
専ら我を利して、君を忘れるは私なり。
私心深ければ、いかなる非義をも為すものなり。
故に人の善悪は、公私の二つを以て分ち知るべし。
君に私あれば、民を愛する心眞實ならずして、人民、信服せず。
臣下に私あれば、君に忠なく、民に愛なし。
才能も見るに足らず。
其の余は、皆是れにならえ。


 身を修めるには、天理と人欲との勝負を試むべし。
身を養うも、亦、然り。
民を治めるには、君子と小人の進むと退くとを以て、治乱を知るべし。


 上より利欲を行いて、下に見せしむれば、臣下も民も、皆、小人となる。
上より禮を好みて下に交れば、臣下も民も君子となる。
凡そ、風俗は、皆、上よりおこる。
上の好む事は、必ず下にも好んで風俗となる。
風とは導き行う所なり。
俗とは、下に習いて行う所なり。

十一
 古の聖人、國を治め民を安ずるの道、其の要、三つあり。
政・教・刑なり。
士には、祿食を与えて、義を守り利欲に遠ざからしむ。
農には、公役を省きて年貢を軽くし、力を耕作に盡さしむ。
桑麻を植え、布帛を織らしむ。
工人を惠みて、其の利用を賞し、無用の華美の物を作ることを禁ず。
商賈を通じて運上を軽くし、市の價を平らかにして、奇巧・無益の物を売り、姦利をなす事をいましむ。
此の上に、遊惰を警め、奢侈を禁じ、倹約を行わしめて、四民ともに其の分を安んじ、其の業を勤め、衣食足りて困窮に到らしめず。
是れ民を養う政なり。
上徳行を勤めて下の手本となり、学校を建て、師を立て、士民に人倫の道を教えて、士は禮義を知り、庶民ともに善に移り、罪に遠ざからしむ。
是れ教えなり。
斯の如くして民政に従わず、教えに入らず、人の害となる者あれば、其の罪を正して是れを懲らす、是れ刑なり。
此の三つの考えは、國を治めるの要なり。
後世にも此の事なきには在らず。
唯、其の法、古に及ばず、且行うもの其の人にあらざれば、其の具ありといえども、其の道行われずして國治まらず。

十二
 人の身のはたらきは、一心を主とし、両手両足を使いものとす。
身の内、少しにても痛む所、かゆき所あれば、手行きて是れをさすりかく。
是れ、我が心、吾が身を愛すること切にして、心と身と一體にして通ずる故なり。
君の心に仁愛厚くして、萬民を憐む心深ければ、民の愁い苦しみを知りて、惠を施さざる事なかるべし。

十三
 孟子に、仁心ありといえども、仁政を行わざれば、民、其の澤を被らずといえり。
國を治める人、何程慈愛の心ありても、善政を行う道を知らざれば、唯、目前の小惠を行うまでに、國民の心を心服する程のことは是れなし。
昔齊の垣公、老人の飢えたるを見て食を賜る。
老人辞して曰く、願わくは、國中の飢えたる者に食を賜らば、我も飢えまじきとて受けず。
又、或る國の宰臣、貧人に物を施すことを好みて、外に出る毎に、必ず銭袋を持たせ行けるに、乞丐、其の惠を得んとて、いつも街にみてり、或る者諌めて曰く、賢人を挙げ用いて貧民を救わしめば、萬人、其の所を得て飢寒に及ぶまじ、何ぞ小惠をなすやといえり。
仁心ありといえども、仁政を行わざれば、民を救う功なくして、國の治めに益なし。

十四
 孟子曰く、親を親しんで而ち民に仁あり、民に仁ありて而ち物を愛すと言えり。
君子の道は、仁を専らとして、人を慈しみ、物を憐むなり。
其の内に天然の次第あり。
まず親を親しむとは、父母・兄弟・親類・縁者を厚くするをいえり。
次には、民を仁す。
民を仁すとは、臣下・萬民を廣く慈しみ、各々其の所を得せしむるを云う。
もし一人も其の所を得ざれば、仁するにあらず。
其の余は、物を愛するにあり。
物を愛するとは、禽獣虫魚草木を妄りに殺さず、妄りに伐らざるをいう。
其の内、親疎・貴賤・有情・無情・大小の次第によりて、仁を施すに厚薄の替わりあれば、かく三つの品をわけ、教えを立て給えり。
すべて言えば、親しむも愛するも、皆、仁なり。

十五
 仁政を行わんとならば、まづ、倹約を守るべし。
倹約は、奢り縦ならざるなり。
衣服・居宅、よろず内の事につきて、華美を好まず、妄りに費やさざる是れなり。
國大なりといえども、土地より生ずる米穀、其の外の財は、限りあるなれば、上の物好きにまかせて無用の費えをなせば、財を用い盡して年々に足らず。
況や、歳の豊凶ひとしからざれば、財用の積も同じからず。
上の財乏しければ、禮義を行い、変に備え、貧窮を惠む事もならず、果ては、下を虐げ取り、債を負いて約束を失い、國危亡に至る。
何ぞ仁政を行うに暇あらんや。
古より、明君賢主みな倹約ならぬは無し、倹は、誠に君の美徳なり。

十六
 古の法は、三年耕して一年の食あり。
農を以て立てば、田を四町作る者は、年貢の外、其の得分を四つに分かち、三町の穀を其の一年に使い用いて、一町の穀は其の儘残しおく。
毎年かくの如くすれば、三年には三町分の穀を余す。
是れを三年耕して一年の食ありという。
君と臣は、我が祿を四つに割りて、其の三つを一年の用とし、其の一つを余して、貯えとす。
三年積れば一年の祿をあます。
九年にして三年の貯えあり。
三十年にして十年の貯えあり。
昔、帝堯の時、九年の洪水あり。
殷の湯王の時、七年の旱ありしかども、民の飢餓なかりしは、常に倹約行われて、上下共に備えありつればなり。
後世は華美の風俗盛んになり、費用歳々に廣くして、常の年にも財穀足らず、僅に一年穀熟せざれば、上下共に困究す。
倹約行われずして、其の備えなき故なり。

十七
 君一人の私欲を恣にし、我が身一人を楽しまんために、多くの人民を苦しめること、我が本心に省み求めれば、誰とても心よからざるべし。
人の君として民を憐むは、誰もあるべき所の本心なり。
君たる人は、此の本心を保ちて、心よからん事を求むべし。
人を苦しめ虐げて、我獨り慰み楽しむこと、誰も心よかざる事なれど、私欲に迷いて、其の快からざる事を、反って心楽しみとする、是れ民を憐むの本心を失いて、斯の如し。
譬えば、傷寒を煩い、大熱病をうけては、食する所の飯も味噌も魚鳥の肉も、味あしく苦くして喰われず、喉の乾きて、平生の好める旨き味を嫌い、冷水を頻りに飲めば、反って快きが如し。
國土あれば、米穀金銀の財は、自ずから生ずる故、上より倹約を行えば、土貢を軽く取り、運上を求めざれども、國の財豊かにして缺ける事なし。
昔漢の文帝、天下の民貧しとて、一年或るいは半年の貢を度し免し給い、運上など求めざりしかば、天下の蔵入りの財少なく、國用たらずして、困究し給うべき事なれども、在位二十三年の間、國豊かに民富て、天下太平なり。
天子の倉には、米多くして腐り、銭縄朽ちて切れ切れになりぬるよし、漢史に記し置けり。
是れ、倹約を行い、諸々の費えを省き給いし故なり。
帝の倹約を史に記し侍るは、身に皁綈を著給い、幸する所の愼夫人、衣裳を地にひかず、殿上の帷帳、文繡の飾なし。
嘗て露臺を作らんとて、工人に命じて、其の費えを積らせたまいしに、百金を用うべきよし奏せしかば、百金は、中人十家の産なりとて、其の作事を止め給いしとなり。
上一人、斯の如く、少しの費えを惜しみて、聊かの奢りなく、下を厚く惠み給いしかば、郡臣以下、其の徳に化して、倹約を守り、富み足らする事、宜なるかな。

十八
 君子の財を費やして、貧を救い、人を助け、善を行うは、其の財を惜しまざるにはあらず。
其の財を惜しむこと甚だしくして、善事に財を用いるなり。
故に、人を救い惠む事を好む人の、常の財の用いようは、倹約にして妄りに費やさず、愚かなる人の目には、財を惜しめると思えり。
又、常に奢り、財を亂りにし、惜しまざる人は、必ず人に施し救う事は、惜しみてせざるものなり。
凡そ、我が身の為に財を惜しみて、人に施すに惜しまざるは、君子の財を用いる道なり。
我が身のため小財を惜しまずして、人に施す事を惜しむは、小人の財を用いる道なり。

十九
 匹夫立針の地を持たず、衣薄く食足らざる者多し。
されど是れまた、天地の子なり。
國郡の主も亦、天地の子なり。
國を保つ人は、其の財祿の多き事、匹夫と幾、萬倍という事を知らず。
同じく天地の子にして、其の財祿の多少天地懸隔なること斯の如し。
然るに、國郡を保つ人は、其の國郡の寶を用い、身を養いて足らず。
下にある匹夫の、常にさえ衣服足らずして、飢寒を免れ難き者の財を貪るは、天道の萬民を養い惠み給う心に叶うべからず。
國郡の主といえど、其の喰らう所は匹夫より多きこと能わず、着る所も匹夫より長きこと能わず。
居る所は一屋に過ぎず。
然れば、國郡の主といえども、財多き事を求むべからず。
其の領地に生ずる財を用いて余りあり。
然るにもし、領地の財用にて足らざるは、是れ侈をなし、費え多くして、其の財を失い、倹約を行わざればなり。

二十
 國土に一年生ずる所の五穀の惣数を数え、國土の人民一年の間食する所の粮の数を数え比べるに、一年生ずる所の五穀にては、一年の糧足らず。
是れ貧民は、雑穀・菜根を食して、飢えを助ける故なり。
商人の酒を造り、菓子を拵え、士の奢侈をなして、朝夕定まれる食の外に穀食を費やすは、皆是れ、民の食を奪いてなせるなり。

二十一
 貧賤なる人、富貴なる人の財を貪るにすら、猶、賤しむべし。
少しく義理を忘れる者は、是れを恥じとせず。
況や、富貴にして郡邑を領する程の人、貧民の財を貪り取ること、いと不仁にして、其の心尤も悪むべし。
人の財を貪らざれども、我が財を亂りに費やさず、奢らず、我が欲を忍びて人に借らざれば、財延びて不足なし。

二十二
 世俗の廻り遠しとて行わざる事は、却って其の験近くして、其の益大なる事あり。
其の験するどにして近きと思える事に、却って験なくして害になることあり。
道を行い、倹約を守り、与うべきを与え、取るまじきを取らず、廉直なれば富む。
倹約ならず、与うべき物をも与えず、財を用ゆべきにも用いざれば、國郡の財満ちて余りあり。
君の國用も不足なく、凶年もまれなり。
もしかく有れば、廻り遠くて今の世には、用い難しといいて、法をするどにして民をきびしく使い、年貢を過分に取れば、民貧しく力盡きて、國の財足らず。
然れは、廻り遠きが、するどなるより其の益大なり。

二十三
 士民に、常に奢らず高ぶらず倹約すべしと教えれども、従わざるは、上を信ぜぬ故なり。
上より倹約を行い、禮義を重んじて、下に示せば、臣民自ずから謙りて、倹約を守り奢らず。
是れ、身を以て教えるなり。
下は、上の詞に従わずして、行いに従うもの也。
桀紂の悪王といえども、其の臣に悪をせよとは教えず。
唯、其の好む所、行う事、悪しき故、天下の悪人、其の朝に集り、善人は、日々に遠ざかりぬ。
是れを、其の言に従わずして、其の行いに従うという。

二十四
 古人の曰く、天下の患は、在位の人、学無きより甚だ敷はなし。
在位の人、学を知らざれば、君大道を聞く事を得ずして、世俗の賤しき論に従い易くして、義理の言、入り難し。
然れば、学は、君臣の要務ならずや。


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