初学訓 巻之五
一
耳目口腹の慾を恣にして、一時快しと思えど、其の楽しみいまだ果てざる内に、早く憂い来る。
酒食色欲を過して、楽しむと思えど、其の楽しみの内に、早く祟をなすが如きの類なり。
すでに、はじめに快き事は、終には、必ず、禍となる。
後の禍をおそるれば、前に快き事を求むべからず。
又、はじめに苦しみて勤めれば、必ず、後の喜楽となる。
味よき酒食を過ごせば、たちまち病起り、にがき薬を飲み、熱き灸をすれば、必ず、後は、病去りて、身の益となるが如し。
二
養生の道も、亦、よく謹みて、慾を堪えるにあり。
養生の要は、飲食色慾を堪えて過ごさず、心を和げ氣を平らかにし、悲しみ、怒り、憂い、思いを過ごさず。
又、風寒暑湿の外邪を防ぐべし。
飲食色慾は、内慾なり。
風寒暑湿は、外邪なり。
強き人も、内慾を過ごし、外邪に傷られれば、病に冒されて、長生を得がたし。
又、生れつき弱けれど、よく保養すれば、天年を保ちて長寿なり。
若き時より、早く養生をつとむべし。
若く血氣さかんなれば、飲食色慾恣なり。
いましむべし。
飲食色慾を恣にすれば、元氣つきて短命なり。
中年以後は、色慾より、飲食の慾、尤もこらえ難し。
内慾にやぶれて、元氣減れば、外邪も侵しやすく、病起りやすし。
人の天年を保たずして、早く死ぬるは、多くは、飲食色慾の二に傷られればなり。
凡そ、養生の術、其の細かなる事は、方書に多く載せたりと雖も、其の大要は、斯の如くなるに過ぎざるのみ。
三
心は、静かなるべし。
騒がしかるべからず。
静かなれば、明かなり。
静かならざれば、心闇くして、道理を暁りがたし。
流水は、動きて影をうつさず、止水は、静かなるゆえ明かなるが如し。
慮りは、深かるべし。
浅かるべからず。
慮りは、思慮なり。
慮り深ければ、見ること遠く、聞くこと審らかにして、見聞に迷わず。
慮り浅ければ、見ること聞くことに迷いやすく、人に欺かれ、身の禍、人の憂を知らず、遠く久しきを考えず、先見の明なし、心を静かにして、思案を好み、思慮を深くして、事の是非と、後の禍を考えるべし。
四
萬事を行うに、待という字を用ゆべし。
待とは、急ならざる事は急がずして、心静かに思案し、詳に行うをいう。
此の如くすれば、過ち少なし。
事を行うに、忙しく急なれば、必ず、誤りあり。
程子も、事以急而敗者十常七八といえり。
待とは、急ならざる事は、詳にしていそがず、よく思案するをいう。
怠り忽にして、急なる事を急がず、時におくれるは悪しし。
五
古の君子は、朝夕、只、天道の眼前にある事を思いて、常に、心も事もおそれ謹みて、天に背かず。
今の人は、天道は、遙に遠きことにて、わが身に與らざる事と思いて、天を欺きそむきて、恐れず、わが心に悪と思いながら、行ないてやめず。
是れ、天道を欺きて、畏れざるなり。
凡の人、天の與え給う所の、わが心を保たずして、不仁を行い、天のあわれみ給える人物を愛せずして、苦め侮るは、天に背くなり。
天地の子として仕え奉る道にわあらず。
是れ、父母の命に背きて仕えざるが如し。
天道に不幸なるなり。
天道おそるべし。
六
尚書に、善をすれば、天より百の祥を降し、不善をすれば、百の禍を降し給うといえり。
又、善悪のむくい、影の形に随い、響の音に應ずるが如く、必ず、其のしるし有ることを、聖人説き給う。
又、天道は善に福し、淫に禍すといえり。
天より、善人に福をあたへ、悪人には禍し給うなり。
易にも、積善の家には、必ず、餘慶あり、積不善の家には、必ず、餘殃ありといえり。
久しき善をつとめる家には、さいわい多く、久しく悪をつとめる家には、禍多しという意なり。
是れ、天道の常理なることを説き給う。
是れ皆、聖人の教えなれば、偽り違いあるべからず。
必ず、其のしるしあり、疑うべからず。
又、古語に、天道は還す事を好む、といえり。
天道は、善人に福し、悪人に禍し給う道理にて、善悪ともに、天道より返報をくだし給う。
天道は廣大にして、にわかに、其のしるしなけれど、後は必ず、其の報いあり。
天道は畏るべし。
おろかなる人は、此の理を知らずして、天道を畏れず、悪を去りて善を行う志はなくて、悪を行いても、只、神仏に諂い祈りて、さいわいを求め、禍をのがれんとす。
心あらん人は、よく思案すべし。
人間の内にても、心明かに、私少なき正直なる人は、人の諂い求めるを好まず、理を曲げて人に私せず。
況や、神は、聡明正直にして私なければ、何ぞ人の平生善を行わずして、只、諂い求める者に私して、さいわいを與え、禍をゆるし給わんや。
此の理明かにして、知りやすし。
又、古語に、神は非禮を享けずといえり。
神は正直なれば、人の、道理にかなわざる祭と、祈祷とをば享け給わずとなり。
菅相丞の歌に、
「心だに誠の道に かないなば 祈らずとても 神や まもらん」
又曰く、
「あやまりのあらば、中々さもあらば、心つくしに何いのるらん」
とよみ給えり。
此の二首の道理至極せり、違うべからず。
凡そ、此の理甚だ明かにして、いかなる無学なる人も知りやすし。
されども、凡夫は、道理にくらく、利欲深き故、善を行い悪をせざれば、天道にかない、福ありて、禍なき理を知らず。
只、欲心と非禮のわざを以て、神仏に諂い祈り、又、權勢ある人にへつらい求めて、財禄を得んとす。
されど、天道神明には私なければ、諂えりとて、福を與え給わず、とがあるを赦し給わず。
道にちがえる祈りの、其の驗なき事、今目の前にあらわなり。
又、非禮を以て神に祈り、人にへつらい求めて、福禄を得る者まれにあり。
それは、生れつきたる福の内に得たるなり。
へつらい求めて得たるにあらず。
もし、百人に一人も、へつらい求めて、其の生れつきたる福を得る者あれば、愚人は、それに迷いて、へつらえる故に得たりと心得そこないて、へつらい求む。
愚にして此の理を知らざればなり。
七
古人の神に祈りしは、君父のために祈り、又、わが誤りを改め善に遷りて、心に誠あり、敬あり、其の上、禮正しくて、祭るべき正神に祈りし故、其の福をうけたり。
理もなく禮もなく、祈るまじき神にへつらい祈りしにあらず。
われに預らずして、祭るまじき社を淫祠という。
淫祠は福なしといえり。
家を守る神にあらざれば、祈りても利生なしとなり。
わが君につかえずして、他の君につかえるが如し。
道にかないて、祈るべき神に祈らば、其のしるし有りなん。
道なくて祈らば、神は非禮をうけ給わざれば、祈るとも、驗あるべからず。
八
凡そ、人と生れては、尊きも卑きも、富めるも貧しきも、只願わくは、心に深く陰徳を保ち、身にあつく善事を行いて、人の患いをあわれみ恵み、人の苦しみを助け救うべし。
常に、是を以て志とすべし。
陰徳とは、心の中に善を保ちて、人に知られん事を求めざるをいう。
凡そ、善を行うの道は、飢え凍える人、病者、かたわなる者、乞食、貧人をたすけ、鰥寡孤獨のたよりなき人を、愍み恵むべし。
老いて妻なきを鰥といい、老いて夫なきを寡といい、幼くして父なきを孤といい、老いて子なきを獨という。
此の四の者は、養うべき人なくて、飢寒する者なれば、困窮せる民なり。
仁を行いて人を救うには、先づ、此等の人を先にすべし。
是れ亦、賤しきといえども、われと同じく天地の子なれば、わが同胞の内、不幸なる人なり。
尤もあわれむべし。
すべて、人のため利ある事をなして、害ある事を除くべし。
人の害になる事を、心によく思いて、假にも爲べからず。
わが身を楽しまんとて、人を苦しむべからず。
古より、道なき人は、わが一人の心を楽まんとて、多くの人民を苦しましむ。
是れ、大なる不仁なり。
只、われひとり楽しむべからず。
民とともに楽しむべし。
人のうれいをうれい、人の楽を楽むべし。
九
人と才能を争うべからず。
人と威勢を争うべからず。
人の才あるを妬むべからず。
おのれ立たんとして、人をも立つべし。
我のみ立たんとすべからず。
心けわしく、人を言い貶すは、人をそこない、物をやぶるなり。
不仁と云いつべし。
十
富みては、貧しき者を忘れず、貴くしては、賤しき者を侮るべからず。
又、かりそめにも、人を譏るべからず。
人を譏りおとすは、即ち、悪を行うなり。
人の才あり善あらば、少しなりとも褒めあげそだつべし。
嘲りていい貶すべからず。
人をそしり、人をいいおとすは、不仁なり。
人の才行あるを妬むは、わが身を立てんとするものなり、不義なり。
鄙狹というべし。
いやしむべし。
十一
凡そ、心に仁を保ち、身に善を行うこと眞實にして、人の知らん事を求めず、善を行いし報いの福有らん事を願わざる、これ、陰徳なり。
陰徳を行う事、此の如くにして久しければ、善積もる事窮まりなし。
豈、楽しからざらんや。
後漢の明帝、其の弟、東平王に問いて、汝家に居ては、何をか楽しとするや、とのたまいしに、東平王答えて、善をする事、最も楽しといえり。
凡そ、世間の楽しみに、善をするほど、いとおもしろく楽しむべき事、其の外に、又何かあらんや。
匹夫のともがらも、善をすれば楽あり。
日々に善を行いてやまずんば、其の積れる楽しみ、限りなかるべし。
況や、富貴の人をや。
東平王の答え宜なり。
善を行う事、此の如くなれば、求めざれども、自ら、天道神明の恵みありて、禍なく、福あり。
其の驗の、必ず、違わざる事、聖人の教え明かなり。
又は、古今天下の書に載せたる所、及び、語り傳える事限りなし。
疑うべからず。
小人は、一事善を行いて、其の報いなければ、驗なしとて、止めて行わず。
凡そ、善を行う事、久しく積み重なれば、必ず、其の驗あり。
人したがい、天喜び給う。
又、小人は、悪を行いて禍無ければ、害なしとて止めず。
悪を行うこと積み重れば、必ず、其の報いあり。
天道おそるべし。
十二
されど、又、善をなしても、福なき人あり。
それは、すぐれて命分うすく、福少なく生れつきたる人なり。
又、悪をなしても、禍なき者あり。
それは、すぐれて厚き氣を受けて、福を身に生れつきたる者なり。
共に、定まりたる道理の常とす可からず。
されども、其の一代に報いざれば、必ず、子孫に報ゆ。
悪をなしても何の害かあらんということなかれ。
天道は畏るべし。
愚なる人は、目の前に見えざる事は、福も禍もなしと思い、後の利害を知らず。
善悪に必ず、報いあるは、自然の天理なり。
疑うべからず。
又、生れつきたる禍福あり。
是れ、天命なり。
此の二すぢの理ある事を知るべし。
たとえば、生れつき強き人は、酒色を恣にし、大食し毒物をくらえど、長命なる人あり。
それは、すぐれて元氣厚き人なり。
常とすべからず。
もし、其の人の禍なきを見て、常の理と思い、酒色を恣にし、大食し、毒物をくらわば、必ず病をうけて短命なるべし。
悪を行いて、禍を畏れざるは、此の理に同じかるべし。
十三
親、先祖に善人あれども、子孫悪なれば、先祖の善報いなし。
親、先祖悪人なれども、子孫善人なれば、先祖の悪の報いを免る。
子孫たる人、善を行いて、親、先祖の悪を補い除くべし。
十四
天地は、萬物を生みて育て給う父母なる故、其の生める所の人倫は、天地の子なれば、是れをあわれみ給うこと、人の親の、子を思うが如し。
ここを以て、其の生み給う所の人倫と萬物を愛すれば、天地の御心喜んで必ず、福を下し給う。
これを苦めそこなえば、天地の御心怒りて、必ず、禍を下し給う事、たとえば、人の親の、わが子を愛しむ者を喜びて、其の恩を報えん事を思い、わが子をそこなう者を怒りにくみて、其の恨みを報えん事を思うが如し。
天道は畏るべし。
これを知らずして、只、神に諂い祈りて、福を得、禍をのがれんとす。
されども、人倫を愛せず、生物を害えば、天地神明のあわれみ無くして、天罰逭れがたし。
罪を天に獲れば祷る所無しと聖人ものたまえり。
疑うべからず、おそるべし。
十五
善を行い、人民を愛すれば、必ず、天の恵みありて益あり。
善を行いて、必ず、益を得る。
愚者は、益なき事を行いて、禍をのがれず。
人は、只、智者のするわざをなすべし。
愚者のわざをなすべからず。
十六
天地の御心にしたがいて、人をあわれみ、人の患を救い、餓を助け、歎きをやめ、善を常に行う人は、必ず、天地の恵みあり。
神明の助けあり。
是れ、人を救えば、わが身の福となる、然れば、是れに及べる大なる祈祷なく、功徳なし。
世の人、此の理を知らず、神仏に洽く諂い、又は、功徳をなすと思いて、民に益なきことに、そくばくの財を費やし用いれども、不仁にして人倫を愍まざれば、いかほど財と力とを用いて祈れども、天道神明の助なくして、身にも子孫にもさいわいなし。
是れ、古の書に記し、近代の語り傳える所、諸人のまのあたり見聞かせる所明かなり。
およそ、福を得禍をのがれんと思わば、福を求め、禍をのがれる道を知るべし。
其の道を知らずして、妄りに求めても、其の驗なし。
福を求め禍をのがれる道は、いかんぞや。
人の困窮を恵み、人の害を除き、患いを防ぎ、飢寒を助け、鰥寡孤獨の貧人を救い、諸々の善を行うに及べる祈祷は、さらになし。
此の外には、そくばくの財をつくして、祈り求むとも、是れに及ぶべからず。
心あらん人は、是れを行いて、善を積み重ねるをつとめとすべし。
其の恵みを受ける事、多くの人に益あり。
わが身にも、亦、楽しみあり。
ついには、身の福となる。
同じく財を費し用いて、功徳と思えども、天道にかなわず、人民を救わず、無益の事に用いれば、世の財を費して、却て、世のついえとなる。
惜しむべし。
大和漢の、古の事を考えるにも、此の道理たがわず。
されども、遠き事を引くにも及ばず。
わが日の本百年以来、このごろに至りて、まのあたりに見聞きたる、世間の諸人のなせる事を考え見て、其の益あると益なきとを知るべし。
凡そ、俗人は、無学にして道理に暗きのみならず、利分の損得をも知らず。
故に、善を行いて天道にかなえば、必ず、天喜び、人喜びて、禍なく福あり。
悪を行いて天道に背けば、必ず、天怒り人恨みて、禍あり、福なき事を知らず、常に天道を畏れずして、却って、侮り背き、私を恣にし、ことさら、天の子としてあわれみ給える人を恵まずして、侮り苦しめ、身の禍を求め、身の亡ぶる事をなして楽しみとす。
ついに、天道神明の責めをこうむりて、亡びざれば止まず。
かなしむべきかな。
是れ、道理に暗きのみならず、損得をも知らざるなり。
十七
凡そ、人は、若き時より老いに至るまで、悪しき友に近づかず、益ある師友を求め擇びて近づくべし。
人に交わるに、謙りて、わが才智を以て人にほこらず、古の聖人の道を学び、わが心を修め、愚なる心の惑をさりて、知を明かに開き、仁心を深く保ち、孝を先として、人倫を厚く愛し、日々に、わが力に従いて、善を行いておこたらず、常に、人に益ある事をなして、人を妨げず、天道を畏れ敬い、身を終わるまで、天地の道にしたがい仕え奉るべし。
人となれる者、一生の間つとむべき道、此の外に、更にあるべからず。
老いては同じ事するならいなれば、返す返す申し侍る。
天道は必ず、おそるべし、侮るべからず。
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