二宮翁夜話 第七章
第七章 勤倹の巻
三十七 大を致すは小を積むにあり
翁曰く、大事をなさんと欲せば、小なる事を、怠らず勤むべし。
小積りて大となればなり。
凡そ小人の常、大なる事を欲して、小なる事を怠り。
出来難き事を憂いて、出来易き事を勤めず。
夫れ故、終わりに大なる事をなす事あたわず。
夫れ大は小の積んで大となる事を知らぬ故なり。
譬えば、百萬石の米と雖も、粒の大なるにあらず、萬町の田を耕すも、其の業は一鍬づつの功にあり。
千里の道も一歩づつ歩みて至る。
山を作るも一と實の土よりなる事を明らかに辨へて、勵精小さなる事を勤めば、大なる事必ずなるべし。
小さなる事を忽にする者、大なる事は必ず出来ぬもののなり。
翁曰く、世の人とかく小事を厭いて、大事を欲すれども、本来大は小の積りたるなり。
されば
小を積んで大をなすの外に術はなきなり。
夫れ國中の田は広大無辺無数なり。
然るに其の田地は皆、一鍬づつ耕し、一株づつ植え、一株づつ刈り取るなり。
其の田一反を耕す鍬の数三萬以上なり。
其の稲の株数は、一萬五千内外なるべし。
皆、一株づつ植えて、一株づつ刈るなり。
其の田より實法りたる米粒一升の数は六萬四千八百余りあり。
此の米を白米にするには、一臼の杵の数千五六百以上なり。
其の手数思わざるべけんや。
小の勤めざる可からざる知るべきなり。
【本義】
【註解】
三十八 粒々辛苦の功徳を積め
翁曰く、世の中大も小も限りなし。
浦賀港にては、米を数えるに、大船にて一艘二艘と云い、藏前にては、三蔵四蔵と云うなり。
實に俵米は数を為さざるが如し。
然れども其の米大粒なるにあらず。
通常の米なり。其の粒を数えれば一升の粒六七萬有るべし。
されば一握りの米も、其の数は無量と云いて可なり。
まして其の米穀の功徳に於いてをや。
春種を下してより、稲生じ風雨寒暑を凌ぎて、花咲き實のり、又こきおろして、搗き上げ白米となすまで、此の丹精容易ならず實に粒々苦辛なり。
其の粒々苦辛の米粒を日々無量に食して命を継なぐ。其の功徳、又、無量ならずや。能く思うべし。
故に人は小々の行を積むを尊むなり。
予が日課縄索の方法の如きは、人々疑わずして勤めるに進む。
是れ小を積みて大を為せばなり。
一房の縄にても、一銭の金にしても、乞食に施すの類にあらず。
實に平等利益の正業にして、國家興復の手本なり。
大なる事は人の耳を驚かすのみにして、人々及ばずとして退けば詮無き物なり。
縦令退かざるも、成功は遂げ難きなり。
今爰に数萬金の富者ありといえども、必ず其の組其の先一鍬の功よりして、小を積んで富を致せしに相違なし。
大船の帆柱、永代の橋杭などの如き大木といえども、一粒の木の實よりなまじ、幾百年の星霜を經て、寒暑風雨の艱難を凌ぎ、日々夜々に精氣を運んで長育せし物なり。
而して昔の木の實のみ長育するにあらず、今の木の實といえども、又、大木となる疑いなし。
昔の木の實今の大木、今の木の實後世の大木なる事を、能々弁えて大を羨まず、小を恥じず、速ならん事を欲せず、日夜怠らず勤めるを肝要とす。
「むかし蒔く木の實大木と成りにけり今蒔く木の實後の大木ぞ」
【本義】
【註解】
三十九 倹約と吝嗇との別を説く
翁曰く、世の中に事なしといえども、変なき事あたわず。
是れ恐るべきの第一なり。
変ありといえども、是れを補うの道あれば、変なきが如し。
変ありて是れを補う事あたわざれば、大変に至る。
古語に三年の貯蓄なければ、國にあらずと云えり。
兵隊ありといえども、武具軍用備はらざればすべきようなし。
只だ國のみにあらず。
家も又然り。
夫れ萬の事有餘無ければ、必ず差し支え出来て家を保つ事能わず。
然るをいわんや、國天下をや。
人は云う我が教え、倹約を専らにすと。
倹約を専らとするにあらず、変に備えんが為めなり。
人は云う我が道、積財を勤むと。
積財を勤めるにあらず、世を救い世を開かんが為めなり。
古語に飲食を薄うして、孝を鬼神に致し、衣服を悪うして、美を黻冕に致し、宮室を卑しうして、力を溝洫に盡くすと。
能々此の理を玩味せば、吝か儉か辯を持たずして明らかなるべし。
【本義】
【註解】
四十 儉素は安全の守り
高野氏旅粧成りて暇を乞ふ。
翁曰く、卿に安全の守り授けん。
則ち予が詠める「飯と汁木綿着物は身を助く、其の餘は我をせむるのみなり」の歌なり。
歌拙しとて軽視する事勿れ。
身の安全を願わば此の歌を守るべし。
一朝変ある時に我が身方と成る物は、飯と汁木綿着物の外になし。
是れは鳥獣の羽毛と同じく何方迄も身方なり。
此の外の物は、皆我が身の敵と知るべし。
此の外の物、内に入るは敵の内に入るが如し。
恐れて除き去るべし。
是れ式の事は、是れ位の事はと云いつつ、自ら許す處より人は過つ物なり。
初めは害なしといえ共、年を經る間に思わず知らず、いつか敵と成りて、侮る共及ばざる場合に立ち至る事あり。
夫れ此れ位の事はと自ら許す處の物は、猪鹿の足跡の如く、隠す事能わず。
終に我が足跡の為め猪鹿の猟師に得られるに同じ。
此の物内に無き時は、暴君も汚吏も、如何共する事能わず。
進んで我が仕法を行う者、愼まずんばあるべからず。
必ず忘れる事勿れ。
高野氏叩頭して謝す。
波多八郎傍わにあり、曰く、古歌に「かばかりの事は浮世の習いぞと、ゆるす心のはてぞ悲しき」と云えるあり。
教戒によりて思い出したり。
予も感銘せりと云い生涯忘れじと誓う。
【本義】
【註解】
四十一 怠け者食うべからず
櫻町陣屋下に翁の家出入りの畳職人、源吉という者あり。
口を能くきき、才ありといえども、大酒遊惰なるが故に困窮なり。
来年に及んで、翁の許に来り、餅米の借用を乞えり。
翁曰く、汝が如く年中家業を怠りて勤めず。銭あらば、酒を呑む者、正月なればとて、一年間勤苦勉励して、丹精したる者と同様に、餅を食わんとするは、甚だ心得違いなり。
夫れ正月不意に来るにあらず。
米偶然に得られる物にあらず。
正月は三百六十日明け暮れして来たり。
米は春耕し、夏耘り、秋刈りて、初めて米となる。
汝、春耕さず、夏耘らず、秋刈らず、故に米なきは当り前の事なり。
されば正月なりとも餅を食うべき道理ある可からず。
今貸すとも、何を以て返さんや。
借りて返す道無き時は、罪人となるべし。
正月餅が食いたく思わば、今日より遊惰を改め、酒を止めて、山林に入りて落ち葉を搔き、肥を拵え、来春田を作りて米を得て来々年の正月、餅を食うべきなり。
されば来年の正月は、己れが過ちをくいて餅を食う事を止めよと、懇々と説論せられたり。
源吉大に發明し、先非を悔い、私し遊惰にして、家業を怠り酒を呑み、而して年中勉強せられる人と同様に餅を食いて、春を迎えんと思いしは、全く心得違いなりき。
来年の正月は、餅を食わず、過ち悔いて年を取り、今日より遊惰を改め、酒を止め、年明けなば、二日より家業を初め、刻苦勉励して来々年の正月は、人並に餅を搗き、祝い申すべしと云い、教訓の懇切なるを厚く謝して、暇乞ひをし、しほしほと門を出づ。
時に門人某、密かに口ずさめる狂歌あり
「言行が一致ならねば年の暮れ畳重なるむねや苦しき」
翁此の時金を握り居られて、源吉が門を出で行くのを見て俄かに呼び戻し、予が教訓能く腹に入りたるか、源吉曰く、誠に感銘せり、生涯忘れず、酒を止めて勉強すべしと。
翁則ち白米一俵餅米一俵金一両に大根芋等を添えて興へらる。
是れより源吉生まれ替わりたるが如く成りて、生涯を終われりと云う。
翁の教養に心を盡される事此の如し。
此の類枚挙に暇あらずといえども、今其の一を記す。
【本義】
【註解】
四十二 衣食に対する覚悟を示す
翁曰く、衣は寒を凌ぎ、食は飢えを凌ぐのみにてたれる物なり。
其の外は皆、無用の事なり。
官報は貴賤を分つ目印にて、男女の服は只だ粧いのみ。
婦女子の紅白粉と何ぞ異らむ。
紅白粉なくとも婦人であれば、結婚に支へなし。
飢を凌ぐ為めの食寒を凌ぐ為めの衣は、智愚賢不肖を分かたず。
学者にても無学者にても、悟りても迷いても、離れる事は出来ぬ物なり。
是れを、備える道こそ人道の大元、政道の本根なり。
予が歌に「飯と汁木綿着物は身を助く、其の餘りは我をせめるのみなり」と詠めり。
是れ我が道の悟門なり。
能々徹底すべし。
予若年より食は飢を凌ぎ、衣は寒を凌ぎて足れりとせり。
只だ此の覚悟一つにして今日に及べり。
我が道を修行し施行せんと思う者は、先づ能く此の理を悟るべきなり。
【本義】
【註解】
四十三 経済の立て方にも理外の理あり
翁曰く、哀公問う。
年飢えて用足らず是れを如何。
有若答えて曰く、何ぞ徹せざるやと。
是れ面白き道理なり。
予常に人を論す。
一日十銭取って足らずんば、九銭取って足らずんば、八銭取るべしと。
夫れ人の身代は多く取れば益益不足を生じ、少し取りても、不足なき物なり。
是れ理外の理なり。
【本義】
【註解】
四十四 負債者よ機先を制せよ
翁曰く、何程勉強すといえ共、何程倹約すといえ共、歳暮に差支える時は、勉強も勉強にあらず、倹約も倹約にあらず。
夫れ先きんずれば人を制し、後るれば人に制せられるという事あり。
倹約も先んぜざれば用をなさず。
後るる時は無益なり。
世の人此の理に暗し。
譬えば千圓の身代、九百圓に減ると、先づ一年は他借を以て暮らす。
故に、又、八百圓に減るなり。
此の時初めて倹約して、九百圓にて暮らす故に、又、七百圓に減る。
又、改革をして、八百圓にて暮らす。
年々此の如くなる故、労して功なく、終に滅亡に陥いるなり。
此の時に至って、我れ不運なりなどと云う。
不運なるにあらず。
後れるが故に、借金に制せられしなり。
只だ此の一挙、先んずると後れるとの違いにあり。
千圓の身代にて九百圓に減らば、速に八百圓に引き去って、暮らしを立つべし。
八百圓に減らば、七百圓に引き去るべし。
之れを先んずると云うなり。
譬えば難治の腫物の出来たる時は、手にても足にても断然切って捨てるが如し。
姑息に流れ因循する時は、終に死に至り悔いて及ばざるに至る、恐るべし。
【本義】
【註解】
四十五 力行の里人は安楽自在なり
翁曰く、農家は作物の為めとのみ勤めて朝夕力を盡くす時は、自然願わずして穀物蔵に満つるなり。
穀物蔵にあれば呼ばずして魚売りも来たり、小間物屋も来たり、何もかも安樂自在なり。
又、村里を見るに籬丈夫に住居の掃除も届き出来、平に穂先揃いて見事なるものなり。
又、之に反して出来不平にして穂先揃わず、稗あり艸あり、何となく見苦しき田畑の作主の家は、籬も破れ、家居不潔なるものなり。
又、一種不精者の困窮ながらも家居は清潔に住むあり。
是れは籬其の外も行き届きたれど、家に俵なく、農具なく、庭に積肥なく、何となくさみしきものなり。
又、人気和らせざる村里は四壁の竹木も不揃ひにて、道路悪しく堰用水路に笹茂るなど見苦しきものなり、大凡違わじ。
【本義】
【註解】