二宮翁夜話 第六章
第六章 貧富の巻
三十二 貧富は何によって岐れるか
翁曰く、遠きを謀る者は富み、近きを謀る者は貧す。
夫れ遠きを謀る者は、百年の為めに松杉の苗を植う。
まして春植えて、秋實のる物に於いておや。
故に富有なり。
近きを謀る者は、春植えて秋實法る物をも、猶ほ遠しとして植えず。
只だ眼前の利に迷うて、蒔かずして取り、植えずして刈り取る事のみに眼をつく。
故に貧窮す。
夫れ蒔かずして取り、植えずして刈る物は眼前利あるが如しといえども、一度取る時は、二度刈るを得ず。
蒔きて取り、植えて刈る者は歳々盡る事なし。
故に無尽蔵と云うなり。
佛に福聚海と云うも、又同じ。
【本義】
【註解】
三十三 貧富の源は元始の大道なり
翁曰く、富と貧とは、元と遠く隔つ物にあらず。
只だ少しの隔てなり。
其の本源只だ一つの心得にあり。
貧者は昨日の為めに今日勤め、昨年の為めに今年勤む。
故に終身苦んで其の功なし。
富者は、明日の為めに今日勤め、来年の為めに今年勤め、安楽自在にして、成す事成就せずと云う事なし。
然るを世の人、今日飲む酒無き時は借りて飲み、今日食う米無き時は、又借りて食う。
是れ貧窮すべき元因なり。
今日薪を取りて、明朝飯を炊き、今夜縄を索ふて、明日籬を結べば、安心にして、差支えなし。
然るを貧者の仕方は、明日取る薪にて、今夕の飯を炊かんとし、明夜索ふ縄を以て、今日籬を結ばんとするが如し。
故に苦しんで功成らず。
故に予常に曰く、貧者草を刈らんとする時、鎌なし。
之を隣りに借りて、草を、刈る常の事なり。
是れ貧窮を免れる事能はざるの元因なり。
鎌なくば先づ日雇い取りを為すべし。
此の賃銭を以て鎌を買い求め、然る後に草を刈るべし。
此の道は則ち開闢元始の大道に基く物なるが故に、卑怯卑劣の心なし。
是れ神代の古、豊蘆原に天降りし時の神の御心なり。
故に此の心ある者は富貴を得、此の心なき者は富貴を得る事能わず。
【本義】
【註解】
三十四 貧富には自ら原因あり
翁曰く、貧となり富となる、偶然にあらず。
富も困って来る處あり。
貧も困って来る處あり。
人皆、貨財は富者の處に集まると思えども然らず。
節検なる處と勉強する處に集まるなり。
百圓の身代の者、百圓にて暮らす時は、富の来る事なく貧の来る事なし。
百圓のの身代を八十圓にして暮らし、七十圓にて暮らす時は、富是れに帰し財是れに集まる。
百圓の身代を百廿圓にて暮らし、百卅圓にて暮らす時は貧是れに来り財是れを去る。
只だ分外に進むと、分外に退くとの違いのみ。
或る歌に「有といへば、有とや人の思うらむ呼べば答える山彦の聲」と云える如く、世人今有れども其の有る原因を知らず。
「無といえば無しとや人の思うらんよべば答える山彦の聲」にて、世人今なきも其の無きもとを知らず。
夫れ今有る物は、今に無くなり、今無きものは今にあり。
譬えば今有りし銭のなくなりしは、物を買えばなり。
今無き銭の今あるは勤めればなり。
縄一房なへば五厘手に入り、一日働けば十銭手に入るなり。
今手に入る十銭も酒を呑めば直ちになし。
明日疑いなき世の中なり。
中庸に曰く、誠なれば則明なり、明なれば則誠なりと。
縄一房なえば五厘となり、五厘遣れば縄一房来る。
晴天白日の世の中なり。
【本義】
【註解】
三十五 報恩は貧富の源なり
翁曰く、世人の常情、明日食う可き物なき時は、他に借りに行かんとか、救いを乞はんとかする心あれども、彌々明日は食うべき物なしと云う時は、釜も膳椀も洗う心なしと云えり。
人情實に然るべく尤の事なれども、此の心は困窮其の身を離れざるの根元なり。
如何となれば、日々釜を洗い膳椀を洗うは、明日食わんが為にして、昨日迄用ひし恩の為に洗うにあらず。
是れ心得違いなり。
たとえ明日食う可き物なしとも、釜を洗い膳も椀も洗い上げて餓死すべし。
是れ今日迄用ひ来たりて、命を繋ぎたる恩あればなり。
是れ恩を思うの道なり。
此の心ある者は天意に叶う故に長く富を離れざるべし。
富と貧とは遠き隔てあるにあらず。
明日助からむ事のみを思いて、今日までの恩を思わざると、明日助からむ事を思うては、昨日迄の恩をも忘れざるとの二つのみ。
是れ大切の道理なり。
能々心得ふべし。
【本義】
【註解】
三十六 貧富驕倹は、各自の分限を以て論ずべし
翁曰く、世人口には貧富驕倹を唱えるといえども、何を貧と云い何を富と云い、何を驕と云い、何を倹と云う理を詳かにせず。
天下固より大も限りなし小も限りなし。
十石を貧と云えば、無縁の者あり。
十石を富といえば百石のものあり。
百石を貧といえば、五十石の者あり。
百石をを富といえば、千石萬石あり。
千石を大と思えば世人小旗本という。
萬石を大と思えば世人小大名と云う。
然らば何を認めて貧富大小を論ぜん。
譬えば売り買いの如し。
物と価とを較べてこそ、下値高値を記すべけれ。
物のみにして高下を言うべからず。
価のみにて、又高下を論ずべからざるが如し。
是れ世人の惑う處なれば、今是れを詳かに云うべり。
曰く、千石の村戸数一百、一戸十石に当たる。
是れ自然の数なり。
是れを貧にあらず富にあらず、大にあらず、小にあらず、不遍不倚の中と云うべし。
此の中に足らざるを貧と云う。
此の中を越ゆるを富と云う。
此の十石の家九石にて經営むを是れ倹という。
十一石にて暮らすを是れを驕奢と云う。
故に予常に曰く、中は増減の源、大小両名の生ずる處なりと。
されば貧富は一村一村の石高平均度を以て定め、驕倹は一己一己の分限を以て論ずべし。
其の分限に依っては、朝夕膏梁に飽き錦繍を纏うも、玉堂に起臥するも奢りにあらず、分限に依っては米飯も奢りなり。
茶も煙草も奢りなり。
【本義】
【註解】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?