樂訓 巻之下 讀書
一
凡そ、読書の楽しみは、色を好まずして悦び深く、山林に入らずして心閑かに、富貴ならずして心ゆたけし。
此の故に、人間の楽しみ是れに代わる物無し。
天地陰陽を以て道の法とし、古今天下を以て、心を遊ばしめる境界として、其のおもむき至りて大に廣き事、極まりなし。
一日書を読むの楽しみ至れるかな。
聖賢の文を見て、其のこころを待て楽しむは、楽しき事の至りなり。
其の次に、古の事を知らせる史には、我が國は神武天皇より今年まで二千三百七十年、もろこしは、黄帝より今まで四千四百年の間の事をのせたり。
此の故に、からやまとの史を見れば、遠き古のあと、目のあたりに明らかに見えて、我が身あたかも其の世にあえる心地して、数千年の齢を保てるが如し。
此の楽しみもまた大なるかな。
今目の前なる事のみを見て、古のふみを知らざるは、極めて頑なし。
人不通古今、馬牛而襟裾すと、韓退之も云り。
古き書を見ず、古の道を知らざる人は、萬の理に昧く、諸々の事を知らず、夢見てさめるが如く、迷いて一生を過ごす。
是れ、大なる不幸なるかな。
凡そ、古今の書に通じて、理を極め、事を知れらば、我が心の内、萬物の理、見る事聞く事に疑い無くして、大なる楽しみなるべし。
古のふみを知らざれば、からやまと、古今、天地の内にみちみちたる理も事も、みな通ぜずしてくらしと云うべし。
二
我が輩、経史にちぎりを結べる縁深ければにや、ふみに対すれば、いつとなく又なく楽しくおもえるは、天より幸いを厚く下し給えるなり。
凡そ、天の物を生じ給う事、二つながら全からず、かれこれ足らいぬるは稀なり。
故に、こなたを得れば、必ずかなたを失う。
譬えば、花麗しければ、實よからず、實よければ花麗しからざるが如し。
又、千葉の花には實無し。
此の故に、才学有る人は、多くはまどし。
才学ありて又、富貴ならば、二つながら足える幸いなり。
是れ、得難き理なれば、かかる人は世にありがたかるべし。
才学ある人の、富み貴くして、さいわい並びぬるは、天の惜しみ給う所にして、いと難き事になん。
又、天のかかる人を貧賤にして苦しめ給えるは、其の人によりて、其の徳を玉にせんとし給える理も有りぬべし。
才学において幸いあらば、貧賤にして時にあわざる事を憂うべからず。
わが輩かかる愚かなる心もて、もし富貴にして、さかんに奢り怠りにならいならば、文学を嫌い、道に志なくして、楽しみなかるべし。
しかれば、自ら貧を甘んじて、富貴をうらやむべからず。
三
書を読み字を写すに、あきらけき窓、潔き机、筆硯紙墨の精良なるを得て用いるも、亦、人生の一つの幸いなり。
此の楽しみを得る者少なしと、蘇子美が云えるも、書生はまどしき人多ければ、かくいえるなるべし。
又、貧しきは燈なし。
古には雪に映し、蛍を集め、壁をうがちて、書を読みし人だにあれば、今此の六つの助けを得て、また、燈火をやや親しむ人は、幸いありと思い、つとめて書を読むべし。
四
或る人のいえるは、聖賢の書を以て一の師とし、筆硯紙墨と案とを以て五つの友とし、あけくれ是れに交わるは、益ありて楽しみ多し。
又、燈火の暗きを照らして晷につぐも、大なる宝也。
五
ふみ見るには、時を惜しむべし。
されどあかねさす昼は、事しげくて功少なし。
ぬば玉の夜は、しづけく、古を考える楽しみ多し。
此の時を失い、徒らに寝てあかすは、惜しむべし。
六
四時にしたがい、月花をもてあそび、折々の景物をめで、其の折節にかないたる唐の大和の古き歌を誦して、心に楽しまんこそ、自ら作る労なく、たは易くして、いと面白きわざなるべけれ。
もろこしの古、其の才あまりありし人も、賓主に対し、其の折にかなえる古き詩を彼是れ引きて、其の情をのべしためし、左氏が書などに多くのせたり。
是れ、我が作らんより、古めかしく理まさりて、人を感ぜしむる事深かりしにや。
古の事法とすべし。
我が輩つたなき詞を以て、なまじいに不用なる事言い出すは、自らはいみじと思えど、詩歌を知れる人の見る目も恥ずかしく、顔之推がいえる詅癡符のそしり免れ難かるべし。
我が如きともがら、才つたなくて詞を巧みにせんとする苦しみ、いといたずがわしく覚ゆ。
もし天才ある人、容易く作り出さんは興あるべし。
されどそも五字の句を吟じ成して、一生の心を用いやぶるは、益なし。
七
凡その事、友を得ざれば為しうべからず。
唯、読書の一事は、友なくて一人楽しむべし。
一室の内に居て、天下四海の内を見、天地萬物の理を知る。
数千年の後にありて、数千年の前を見る。
今の世にありて、古の人に対す。
我が身愚かにして、聖賢にまじわる。
是れ皆、読書の楽しみなり。
凡そ、萬の事わざの内、読書の益にしく事なし。
然るに世の人これを好まず。
其の不幸、甚だし。
これを好む人は、天下の至樂を得たりと云うべし。
後論
九
つらつら世の中の人の命を考えるに、長生の人少なし。
幼き時より、四十路に至る間に、世を早くする人多し。
五十を不夭とすとは、若死に非ずと云う意なり。
六十を下壽とし、七十を古稀といえるは、むべなるかな。
若き時より、なれむくまじき人々の数々、其の面影、目の前なりしも、多くは亡くなり行きて、年の経ぬるは、誠にかなしむべし。
花の春ごとに開くを見ても、昔の人の帰り来らざるを恨む。
是れを思いて、わが齢久しきを悦ぶべし。
白髪の新にして又新たなるを歎くべからず。
十
同じく人と生れて、富貴なる人あり、貧賤なる人あり、其の高下の品誠に多し。
富貴なる人は、おごらずして人を恵むを楽しみとすべし。
乞丐も生れつきたる分ありて、定まりたる事をさとり、分をやすんじて、楽しむべし。
譬えば、松は高き事数十尺に至り、平地木は、低き事数寸に過ぎず。
同じく樹木となれど、長短各々ことなれるは、生れつき定まれば也。
極めて貧しき人も、我が分の低きを安んじて、憂うべからず。
生れつかざる富貴を羨むべからず。
又、世には、我ほどもなき人多し。
それより下なる人を見て、我が分を楽しむべし。
上を羨むべからず。
又、同じく人と生まれたれども、長壽なる人あり、短命なる人あり。
長き短き其の品多くして、あげて数え難し。
富貴を極めて、萬の事心のままなる人も、唯、命の幸のみ心に適わず。
されども是れまた、生れつきて天命の定まれる所なれば、短しとて、悲しむべき理にあらず。
此の理に達し、天命を楽しみて、身を終わるべし。
死ぬる時、もし苦しみ悲しまば、平生楽しめりと、かいなかるべし。
終わりを愼むべし。
譬えば、松は千年を保ち、槿花は、唯、一日のみ。
長短各々事なり。
是れ生れつきて定まれる分あれば、短紀は長きを羨むべからず、各々其の分を安んずるべし。
十一
此の世に有りては、此の世の楽しみを知らず。
富貴にしては、我が力あるを以て善を行い
人を助けて楽しむ道を知らず。
清福を得ては、清福の楽しみを知らず。
病なき時は、病なき楽しみを知らず。
譬えば、寝ねたる人の、夢、是れ夢なる事を知らざるが如し。
十二
榮啓期が三つの楽しみは、人となり。
男子となり、命長かりしをいえりしは、誠にさる事なり。
今の世の人は、此の上に、又、大に楽しむべき事一つあり。
これを知りて、人ごとに楽しむべし。
其の楽しむ可きはなんぞ。
大君の御めぐみによりて、かかる太平の御世に生まれ、堯舜の仁に遭いて、白頭まで干戈を見ず、是れ、大なる楽しみにあらずや。
康節の世を論ぜし詞に、太平の世に生まれ、太平の世に死ぬると云りしは、誠に大なる幸なり。
今の世の人、皆しかり。
乱世に生まれては、朝夕兵革を事とし、或は難をのがれ避けて、身のおき所もなく、山にも海にも、白波の立田山、夜半にひとり行き難きのみならず、白日といえど、同じき輩多く伴わざれば、近き所にも往きかえる事やすからざりしとなん。
老いては、身の死なざる事を嫌うと云いしは、古の人、乱世の苦しみを云えるなり。
かかる世に生まれし人の苦しみ、今より思いやるにも悲しむべし。
昔より乱世は多く、治世は少なし。
今の人は、いにしえ兵乱の世、久しく続きて、不幸に憂いにしずめる事を思いやりて、我が大君の御めぐみと、今の世の太平の楽しみを忘るべからず。
蓼蟲は、からき事を知らず。
今の世に生まれては、今の世の楽しみを知れる人少なし。
古を思いやりて、今の世を楽しむべし。
十三
我がともがら才もなく徳もなく、君を助け民を助けるわざ無けれども、一歩の田をつくらず、一本の麻を植えずして、食に飽き、衣をあたたかに着、家に居て風雨におかされず。
是れ、大なる幸なり。
農夫は、又、日夜耕作に苦しめども、飢え凍えを免れず、あわれむべし。
是れを思いて、我が身、貧しくとも、憂いなく楽しむべし。
外を求め上を願うは、おごりて分を知らざるなり。
古語に曰く、上にた比べれば、足らざれども、下に比べれば余りあり。
是れを以て、我が身を楽しむべし。
十四
萬の事、はじめ、事のいまだ備わらざりし時を思い、今に比べなば、苦しみ無く楽しみ多かるべし。
上古の時は、野に居り穴に住む。
五穀のはむべきなく、絹布の着るべき無し。
もろもろの器無く、火食を知らず。
其の苦しみ、思いやるべし。
今の世の人は、上古に比べるに、事毎に備わりて、楽しむべし。
又、我がはじめ貧賤なる苦しみを思いて、今の時にくらぶべし。
戦国の時のうき事を思いて、今の太平を楽しむべし。
十五
人ごとに生まれつきたる楽しみあれども、学ばざれば、己が物なりながら知らず。
衆人の楽しみは皆、外欲にあり。
是れを恣にすれば、却って我が身の禍いも、是れより起こる。
君子は、学んで道を楽しみ、命を安んじて貧を憂えず。
閑を得ては、書を読み、時節を感じ、風景を翫び、月花を愛で、詩歌を吟し、草木を愛する、此れあまたの事、かわるがわる楽しまば、朝夕の楽しみ極まりなかるべし。
老いては、心やすく、身楽にして、貧賤を甘んじるこそ、折にかないて宜しかるべけれ。
かかる時、楽しまずんば、日月逝きて止らず。
惜しむべし。
此の如く、世に極まり無き楽しみ有るを知らず、何となく憂い苦しみて過ごさんは、誠に不幸の人、一生を空くすと云うべし。
十六
人の楽しみは、善を行うより楽しきは無し。
漢の東平王の、善をするは、いと楽しと云える、むべなるかな。
富貴の人は、廣く人を愛し、諸々を救いて、其の楽しみ廣し。
貧賤の人も、其の分に応じて、人を救う志だにあらば、其の善をする巧多かるべし。
十七
老いては、彌、人を貪らず、物事に、慮り深くして、人を妄りにそしらず、怒らず、人の妨げとならず、人の我に無禮不仁なるを堪えて、怒り恨みず、人ごとに君子ならざれば、かくこそあるべけれと思いて、心にかけて苦しみ憂えず、貧賤を甘んじて、身やすく心閑かにして楽しむべし。
十八
天長く地久しくして、極まり無し。
人は、天地と参つとなりながら、命の短き事、譬えば、朝露の如く、一生の過ぎやすき事、過客の如し。
歳月は、行きてとどまらず、時節は去りて流れるが如し。
李白が詩に、人生大夢の如し、胡為此生を苦しむと云えり。
およそ人の命、上壽は百歳、中壽は八十、下壽は六十といえり。
下壽を保つ人もまた多からず。
七十なるは、稀なり。
かかる短き齢の内を、一日も善を行わず楽しまずして、あだに暮らすべからず。
古歌に
世の中をかくいひいひてはてはては、いかにやいかにならんとすらん。
と云えるは、今更おどろくべきにあらざれども、凡そ、人は皆あだにして、定めなき身を持ちながら、死期の近き事を知らずして、平生あやまって、百年のはかり事をなせり。
老いの身は、殊に残生のいくほどなくして、死期の近きにあらん事、忘れるべからず。
十九
もし我が身に禍あらば、古今甚だしき禍にあえる人多し。
それに、我が不幸を比べて見れば、我が禍はさほどなくて、恨むなかるべし。
是れ、つたなき計り事のように聞こえれど、古の賢者の教えなり。
これを試みるに、しるしを得る事多し。
此の計りごと捨て難し。
二十
もし不幸にして憂い多からば、我が身はもとより、かかれとてこそ生れけめと思い、天命に任せて、死ぬるまでは楽しみ、憂い無くして過ごさまほし。
達人は命を知りて憂い無し。
二十一
世には、白髪を見ずして死する人多し。
道を知らずして死ぬるは、殊にうらみ多し。
此の世のありさまをだに知らで、世を早くする事惜しむべし。
我がともがら白髪を見る事久し。
幸とすべし。
東坡が詩に、人は、白髪を見て憂い、我は、白髪を見て喜ぶと言いしもむべなり。
二十二
年老いて、夕日のかたむける如く、死ぬべき時、近くいたりぬれば、命を安んじて、悲しむまじき理を知るべし。
易の離に、ほとぎをたたきて歌わずんば、終に大耋の嘆きあらんと云り。
ほとぎは、人の傍にある日用の器なり。
これをたたき歌うとは、悲しみ無く、楽しんで日を送るなり。
大耋の嘆きは、夕日の大に傾くをなげくを云う。
人の老に至り、死の近き事、夕日の傾く如くなるは、是れ、かくあるべき常の理なれば、嘆くべからず。
なげくは、常の理を知らず、愚かなり。
故に、凶しと云り。
是れ、常に楽しみて、老いに至るを嘆くべからずと也。
人の若きより老いに至り、死に近きは、四時の行われるが如く、定まりたる常の理なり。
然るに、老いをなげき、死を苦しむるは、理に昧しと云うべし。
命を知らざれば也。
易に、これを戒めてしか云り。
淵明が、いささか化に乗じて、盡きるにかえらん、彼の天命を楽しんで、又、何をこうたがはんと云い、又、朝与仁義生夕死復何求めんと云りし、誠に達人の事ばなるかな。
そう孔建が詩にも、先民誰か死なざる、命を知りてまた何をか憂えんと云り。
誠に古より死なざる人なし。
命を知らで、天運に任せざらんは、憂いおおかるべし。
平生よき人も、終わりをよくせざらんは、一生のつとめ空くなれる事、惜しむべし。
晩節を保つ事、心にかくべし。
二十三
つくづくと思えば、楽しみ多き此の世なるを、道を知らざれば、我と心を苦しめ、天を恨み、人をとがむ。
かく道を知らで憂い多き人は、くれまどう心の闇こそむげに愚かなりというべけれ。
人の身金石にあらず、生きるもの終に死なざるは無し。
又、二たび生まれくる身にし、あらざれば、此の世なる間は、楽しみてこそありぬべけれ。
悔しく過ごし昔の事は、すべきよう無し。
いくばくならぬ齢なれば、今よりのち、一日も早く日月を惜しみ、先の僻事を悔いて、飛騨たくみうつ墨なわにあらぬれども、唯、一筋に善を好み、道を楽しみて過ごさんこそ、此の世に生けるかいあるべけれ。
年老いては、同じ事するならいなれば、あまのたくなはくりかえし、かくいいて、たまくしげあけくれ自ら心を戒め、又、人に楽しみをすすめる仲立ちとするならし。
返す返す、われも人も、かく生まれつる楽しみを知らざで、身をいたずらになし、さてもかい無く世に朽ちなん事うらむべし。
もし朝に道を聞けらば、人となれるかいありて、夕に死ぬとも、また何をかうらみんや。