家道訓 巻之一 總論上
一
人の世にある、高き卑しき、皆、身を修めて、家を整えるを以て勤めとす。
家の本は身に有り。
故に、家を治める主人は、先づ、我が身を正しくして、家を整えるべし。
身脩まらざれば、家、整い難し。
家整わざれば、身を安くし難し。
君子は常に身を愼みて、後の患を慮る。
ここを以て、身安くして、家保つべし。
家の主人、正しければ、家人を教え導くべし。
主人、正しからざれば、家人の則なく、善を勧め悪を戒め難くして、家法、行われず。
故に主人の身の行いは、家人の見習える手本となれり。
つつしむべし。
二
凡そ、身を修め、家を整えるに、禮を以てすべし。
禮とは、人倫の作法なり。
心に愼み有り、身に則あるを禮と云う。
愼み無く、則無ければ、人の心を失い身のわざ悪しく、人に交われば、人倫の道立たず。
夫れ、人の禽獣にかわれるは、禮あればなり。
禮無ければ、鳥獣に同じ。
禮を行うは、難しく苦しき事にあらず。
事ごとに、行うべき筋目に従いて行う故に、心安くして身の行い穏やかなり。
正路なる平地を行くが如し。
故に、人禮有れば易し、禮無ければ危うし。
ここを以て、人たる者は、禮を行わずんば、あるべからず。
三
常に禮を守りて、内行を正しくすべし。
内行正しからざれば、外に善を行うも、皆、偽りとなる。
是れ、禮を行う初めなり。
内行を正しくするとは、父子・兄弟・夫婦の間むつまじく、敬い有り、家人を憐みて恩あり。
人を使うに忙しからず、いるがせならず、財を用いるに、良きほどにして奢らず、薮坂ならず。
色慾をつつしみ、恥を知りて淫行なかるべし。
是れ、内行の正しきなり。
四
父母に仕えて常に力を盡し、時々の見舞い、膝下のつかえ怠らず、古語に、夕に定めて朝に省みると言えるが如くすべし。
暇なき人も、朝夕の間、時々務めて父母の前に侍り仕うべし。
常に養を省み、飲食の味よくして、自ら寒温の節を試みて勧め、冬は父母を暖かにし、夏は涼しくすべし。
外に出づれば、必ず父母に対面し、内に帰れば、必ず父母を省みる。
父母に対しては、顔色を温和にして言を荒くすべからず。
父母の心を悦ばしめ、父母の身を養う。
二つの務め闕くべからず。
是れ皆、人の子たる者の定りたる法なり。
此の法に背くべからず。
父母の事を常に思い慕いて、心にかけて、忘れざるを孝とす。
五
兄弟に睦まじく、夫婦和して別あり、妻を導くに禮を以てし、子弟を教え戒めて愛を過ごさず、彼是れにつきて愛憎の私無く、子弟を導き禮を力め、書を読み、藝を習うに、怠りなからしむべし。
凡そ、子弟の教えは、必ず厳正なるべし。
六
凡そ、家の主として、家を治める人は、先づ、父母に能くつかえるを第一の努めとし、次に妻を導き、子弟を教えるを以て要とし、其の次に、下部を使うに、心を用いて禮法を正しくすべし。
苦しめ侮りて虐げるべからず。
七
子を育てるには、奢りと恣なるを早く戒むべし。
衣服・器用以下、萬の俸養、我が身の俸碌より軽く薄く、ぼうぞくなるべし。
愛を過ごして、物ごとに豊かに華美なるは、是れ子に奢りを教えるなり。
幼けなき時より奢れば、年長じて益々甚だし。
始め豊かにして、後に抑えるは悪しし。
始め屈みて、後にようやく伸びるはよし。
幼きより戒めて、偽りなくして誠を本とす。
萬の事、質朴にすべし。
又、怠り我がままなるを、早く戒めて、謙り譲る事を教ゆべし。
子を育てるに、早く教えると、左右の人を擇ぶとにありと言えるは、賈誼が名言なり。
此の二つに心を用ゆべし。
早く教えざれば、悪に移り易し。
附き従う人悪しければ、悪しき事を見聞きて、一生の禍いとなる。
幼きより悪しき事を見聞きしては、先入の言、主となり、後に善事を見聞きても移らず。
悪しき癖付きては、後に習いとなりて改まり難し。
八
先祖を尊び、時節の祭禮、怠るべからず。
親戚を厚くし楽しむべし。
親戚を疎くして、外人に親しきは、逆なり。
國法を畏れ守り、上たる人の行い、國家の政を謗るべからず。
上を謗り、國政を誹るは、是れ大なる不忠不敬の至りなり。
謹むべし。
謗る人有りとも雷同せず、口をつぐんで言うべからず。
凡そ、我が身を省み修めて、常に我が過ちを責めるべし。
人を責め人の不善を云うを、戒めとすべし。
九
凡そ、家を治めるに、先づ、父子兄弟夫婦の三親を篤くすべし。
古語に、父子親しみ兄弟和し、夫婦正しきは、家肥えたるなりと言えり。
もし、三親和せずんば、富めりと言えども家の痩せたるなり。
十
凡そ、家に有りて家人に交わるには、善を行いて悪を戒める、是れを要とす。
善を行わざれば、人の道立たず。
善を行うには、愛敬を本とすべし。
愛とは、人を憐みて疎かにせざる也。
敬とは、人を敬いて侮らざるなり。
此の二つは、すべて、人倫に交わりて、善を行う心法なり。
善をするは、愛敬の外に無し。
父母を愛敬するを本として、兄弟・夫婦・親戚・下人に対するも、皆、然るべし。
各々其の人の品によりて愛敬すべし。
疎けれども疎そかにすべからず。
是れ愛なり。
賤しけれども侮るべからず。
是れ敬なり。
十一
毎日つとに起きて、手と面を洗い、先づ、父母の気色を伺い、飲食の好みを問いて整え薦め、其の求めあるを聞きて、努め行いて、父母の心に叶うべし。
子弟に、其の日の務むべき課程をさづけ教え、奴婢に、其の日の所作を云いつけ、怠りなからしめ、外事あらば使いを命じ、人の附託あらば、滞りなく整うべし。
朝は早く起き、門戸を早く開かせ、家内の塵を払い、門の内外庭中を掃除して、皆、潔くすべし。
朝遅く起きるは、家の衰えとなる。
戒むべし。
古人、家の盛衰は、朝起きる事の遅速を以て試むべしと云いし、むべなるかな。
十二
凡そ、家内の平日の用心は、かねてより早くすべし。
第一に、来年の秋までの糧米を備え、次に鹽醬を蓄え、脯醢を造り、薪・炭・油をかねてより集むべし。
右の貯え無ければ、家の計立たず。
奴婢を憐み、其の衣食居所を察して飢寒せしめず、其の所を得せしむべし。
男女内外の別を正しくし、武士は、槍・長刀・弓矢・鉄炮・杖・棒等を、常に便りよき所に置くべし。
常に用いる器を整え備え、器の損なえるをば、修補し、屋宅藏庫牆壁の破損せるを早く修理し、材木竹茅土石を求め貯え、馬をよく飼い、其の外、家に飼うべき畜類を養い、菜蔬草木、時に順って飢養うべし。
藏の開けたて出し入れを察し、盗賊と火災との用心、常に厳しくして怠るべからず。
火を防ぐ器なども平日備うべし。
凡そ、家内の事、常に心を用いて怠るべからず。
十三
四民ともに、常に家業を務めて怠らず、其の上、倹約にして諸事つづまやかにし、家事に疎かなるべからず。
勤めると倹なるとの二つは、是れ、家を納める要法なり。
勤倹の二つを常に行うべし。
十四
家に居ては、陰徳を行うべし。
心に仁を保ち、身に善を行いて、其の善を人の知らん事を求めざるを陰徳と云う。
貧しき人も、其の力に応じて善を行うべし。
飢えたる者に食を与え、凍えたる者を温かにし、渇ける者に湯水を與え、老いたる者を助け、幼きを慈しみ、病人を労わり、人の子弟に孝弟を勧めて行わしめ、人の善と才能を褒め薦め、人の誤りを誹らず、人の悪を隠して表さず、人の過悪を諌め、道にある茨、荊、棘など、人を害する物を去り、道に落ちたる物を拾いて、其の主を尋ねて返し、生きる物を少しなりとも故無くして妄りに殺さず、常に斯の如くにして、陰徳を行うべし。
年を経て久しく行えば、其の善、積りて大なり。
楽しむべし。
貧しき人すら、斯の如くなるべし。
況んや富める人をや。
富みて財余りある人は、天道みてるを虧く理なれば、人に施さずして、財を多く集め置けるは、後は必ず禍い出来て、財を失い、子孫に其の財を残し難し。
財多き人は、尤も父母に篤くし、親戚朋友の乏しきを賑わし、貧しき人を助け、飢寒を救いて廣く人を愛し、善を行うべし。
夫れ、人を救い助けるは、天の好み給う所、天道は、善に幸し給う理なれば、斯の如く広く人を愛する事、久しくば、天の悦び給う事、深くして、福を受ける事疑いなかるべし。
天道は、還す事を好むと言えり。
善を行えば、天より福を下し、悪を行えば、天より禍いを下し給う。
善悪につきて報いあるを、還す事を好むと言えり。
此の理、必ず違わず、是れ天道の誠なり。
是れを以て、
善を行いて久しければ、彼の、道無くして神仏に諂い祈り、其の福をうけ、禍いを遁れんとするよりも、百倍のしるし有るべし。
愚かなる人は、天道の善に福し給う理を知らざる故、天道を畏れずして、天道を違う。
天道の善に福し、悪に禍いし給う理、古今、唐、大和、其のためし多し。
其の理明らけし。
即時に其のしるし無けれど、後、必ず報いあり。
疑うべからず。
悪を行うと、財多くして人に施し救うはざるとは、天の憎み給うことわり、逃れ難し。
天道畏るべし。
十五
武士たらん人は、武備に心を用いて、兵具を調え備え、損じたるをば修補し、常に帶佩せる大小刀、其の刀弓矢槍長刀など、時々拭い磨き、塵を払い、清らかにすべし。
又、金銀米銭なども、武備のため別に貯え置くべし。
もし常の時、財用不足して、急用有りとも、武備の為に貯え置きしを取りて用ゆべからず。
凡そ、武具は、他の器より清らかにし、俄かに事ある時、事缺けつまづかざるように、無事の時、かねて調え置くべし。
怠るべからず。
にわかの時に、陣用意に及ばずして、事に臨んで忙わしからず、心静かなるべし。
武具も、無用の華美なる飾りを為すべからず。
十六
家の主は、常に仁愛にして、善を行うを以て楽しみとし努むべし。
餘財あらば、兄弟親戚の貧窮をにぎわし、朋友の乏しきを助け、我が采地の農人の饑寒を救い、我が家に久しく来たれる貧困なる者に施し、窮民の拠り所なき者あらば、我が力に随いて救うべし。
乞人の内にて、老人病者畸人、殊に盲、蹇、瘖、老いて子無く、幼くして父なき者、養わるべき親族なくして、自ら食を求めかね、千方無くて乞人となる者有り。
是れ皆、窮民の拠り所なき人なり。
憐れむべし。
かかる急難なる者あらば、力の及ぶ程は、救い惠むべし。
餓えたる者は、養い易し。
斯の如く、人を救い
善をする事は、人間世の最も楽しむべき事なり。
心を用ゆべし、漢の明帝の弟、東平王の、都に来朝せられしに、明帝の、汝國にありて何事か楽しきと問い給えば、東平王、國にありて、善をするとこ最も楽しと答えられし事、むべなるかな。
凡そ、富貴なるも貧賤なるも、其の位に応じて善をなすべし。
志だにあれば、貧賤にしても日々善行わる。
善をする程、楽しき事無し。
つとめて善を行いて、此の楽しみを知るべし。
財を惜しみては、善を行い難しと、古人いえるもむべなり。
又、無益のことに財を費やすは、愚かなり。
是れ善を行い人を救うに志なければなり。
十七
家を治めるにも、忍の字を用ゆべし。
忍とは堪えるなり、堪忍するを云う。
奢りを抑えて、慾を恣にせざるも堪えるなり。
又、我が家の貧なるを堪えて、人を貪らざるべし。
凡その人、君子に在らざれば、我が心に叶わざる事多し。
堪忍せざれば、人の交わりは和がず。
然るに父兄は、子弟の己れに仕えよう足らずして、心に叶わざれば、子弟を責む。
子弟は、父兄の惠み薄くして、飽き足らざれば父兄を羨む。
其の餘、夫婦親戚も亦しかり。
互いに堪忍せざれば、怒り恨み出来て、父子兄弟夫婦親戚の間、睦まじからず。
此の故に、人の行いの我が心に叶わざる事を、互いに堪忍して恨み怒らざれば、一家の内、和らぎ親しむ。
是れ家を調える道なり。
又、人の悪しきをば許して堪忍し、我が身には、道を盡して、人に堪忍せられる行いを為すべからず。
十八
凡そ、家人を使うには、人の心を押し計り、憂い苦しみを知りて、人の苦しみ無きように施すべし。
奴婢は、主人を頼んで身を養う者なり。
心を用いて情けあるべし。
刻薄にして情け無く、彼を苦しむべからず。
凡そ人を使う者は、下人の憂い苦しみを能く思い計りて、考え知るべし。
十九
家を治めるに四つの教えあり。
一には、家業を勤めて生業をおさむ。
二には、倹約にして財用を足らず。
三には、愼みて我身を保つ。
四には、恕にして人を愛す。
是れ王凝が語なり。
恕は、我が心にて人の心を押し計りて、人の好む事は施し、嫌う事は施さず。
凡そ、家を治める人は、皆、此の四つを守るべし。
二十
子弟の幼き年より、良き師を選び求めて、早く聖賢の書を読ませ、善を教え悪を戒め、孝弟忠信禮義廉恥の道を知らしめ、行わしむべし。
仮初にも、悪しき友に交わらしむべからず。
是れ第一に戒むべし。
悪しき事、
見聞かしむべからず。
幼き時は、殊に悪しき事は、早く移り易し。
よき事も悪しき事も、先入の言は早く主となる。
よき友を求めて交わらしめ、よき事を見聞かしむべし。
善悪皆習い馴れるより移り易し。
習れ馴れる事愼むべし。
二十一
身を修め家を保つに、約の字を守るべし。
約にす、とは、つづまやかなるなり。
恣ならず。
取り広げざるを云う。
是れを以て
情慾を防ぎ、財用を節にするは、身を修め家を保つ道なり。
論語に、約を以て失うもの少なしとのたまえり。
約なれば、誤り少なしとなり。
二十二
家の主となりては、三族を親しむべし。
三族は、第一に父族、第二に母族、第三に妻族なり。
父方の一族は本族と云う。
先祖より傳われる血脈同じ。
親疎の変わりあれど我と同気なる故、篤く親しむべし。
父族を篤く親しむは、是れ亦、先祖へ仕える道なり。
次には、母方の一族は、是れ父族に次ぎて親しむべし。
次に、妻の一族は母の族に次げり。
三族を親しむ、其の次第軽重、斯の如し。
是れ古の法なり。
今の人は、妻族を専ら親しみて、父族母族に疎し。
軽重ある事を知らず。
父母への不幸なり。
愚かなりと云うべし。
妻族を親しむべからずと云うには在らず。
軽重の次第あるべし。
二十三
我が身、朝夕飲食の俸養は軽くして、身を労働すべし。
奢りて酒食の美を好み、怠りて身を安逸にすべからず。
奢らず怠らず、斯の如くすれば、第一徳を養い、次に、身を養い、次に財を養う、三つの益あり。
飲食淡薄にして、身を労働すれば、食気滞らず、気血めぐり、脾胃破れずして生を養うによろし。又、身を労すれば、艱難労苦に耐えて、忠孝の行、学問藝術を習うにつとめよし。
もし身體を労働せずして安逸にならえば、艱難に堪えずして、忠孝の務めを苦しみ、学問技芸に怠り、殊に士は武勇の嗜みなく、軍陣にて艱苦に絶えず、病起こり身弱りて用にたたず、武勇を励み難し。
凡そ心は、安静にし、身は労働せしむべし。